第16話 師匠の元へ~フォーマルな下着

「はぁ~……いい空気~♪」

「うん、きもちいいね~」


 生まれて初めての高級ホテル……まぁ、世の高級など上を見たらきりがないであろうが、僕にとってはこの上なく高級であったその部屋を、思う存分堪能して、しっかりと睡眠を取れた次の日の朝───。

 僕は操と一緒に、ホテルの周囲で朝の散歩をしていた。


 少し寒いけれど、朝の……きーん、と引き締まった空気というのはとてもいいものだ。そして、普段は日本海側に暮らしている僕たちにとって、これまたご褒美とも言える……海からの日の出である。


「あー、きれい~……」

「海がまぶしいね~……」


 風も無く、海は穏やか。

 空も晴れ渡っており、散歩にもうってつけと言えるであろう。


 何気なく、海を見ていると……僕の手に触れる、操の手。

 僕は、隣の操を抱き寄せるようにして身体を触れ合わせ、腰に腕を回してお互いの体温が感じるように寄り添った。


 すっ………

 僕の頬に、手が添えられる。


 見ると、操が微笑んで僕を見つめていた。

 朝日に照らされて、少し眩しそうに。


 僕も、操の頬に手を添えて……

 朝の口づけを堪能した。



 ───────



 今日は、僕が(勝手に)師と仰いでいる、姉帯あねたいさんのお宅にお邪魔する事になっている。今年の初頭に、ご挨拶に訪問したきりで……ずいぶんご無沙汰していて申し訳ないと思っていたのだ。この機会は、大事に生かさないといけないだろう。


 しかし……と、僕は思案する。

 こういう時は、どんな下着でいくのが正解なんだろう……?


 下着にも、フォーマルという概念があるのかどうか僕にはまだわからなかったが、いい加減なチョイスで行くというのは不敬に当たるだろう。それなりに、ちゃんとしたものを選ぶ必要があるのはわかっている。しかし、どのタイプがふさわしいのか───操にも聞いてみたが、一軍のお気に入りの中から新しいものを選んで身につけていく、という一般的な答えしか得られなかったのだ。


 アウターから目立たないように、スポブラと普通のショーツでいいんだろうか。

 でも、大切な人に合う貴重な機会だ……普段穿きの下着では失礼に当たるのではないだろうか。


「う~ん……」


 そこで、一つ候補が頭に浮かんだ。

 ここは、あれにしようか───。


 出発前、もしかしてという予感があって、念の為持ってきていた。まさか、これを使うことになろうとは……。



 コーディネイト・ブラショーツセット(上下揃い)────



 女性下着と言えば、この上下揃いのペア下着であろう。

 最初から、セットで運用することが前提であるため、当然ながらデザインも共通で馴染みも完璧。可能ならば、すべてこのセットもので揃えたいくらいである。

 しかし、品質の良いものはそれなりに高価であることは必然。かつ、サイズの選択幅が商品によって千差万別なのである。安いセットの場合だと、ショーツはフリーサイズのみで、ブラの方も3サイズ程度の中からのみ選択するしかない、という場合があるのだ。女性であっても、この選択肢の狭さはなかなかの悩みどころであろう。

 僕の場合は、このセット物から自分にあったサイズを選べるケースは皆無で、大抵は妥協したり諦める、ということになるのだ。


 だが、価格で許容できるのなら……存在するのである。


 女性下着メーカーの老舗で名門の、ワ◯ール──。

 一流メーカーであり、品質に関しては折り紙付き。

 サイズのラインナップも豊富で、その選択肢の多さは非の打ち所がないくらいだ。

 僕が最大の利点であり特徴だと思っているのは、ブラとショーツをそれぞれ単体でサイズを選択できるうえに、それぞれデザインに対応する品番が振ってあって、ほぼ全てのアイテムとサイズでブラとショーツの上下組み合わせが可能という点にある。

 他のメーカーと違って、去年の品番が一年経ったら容赦なくカタログ落ち、ということもない。長きに渡って愛用できる、すばらしい方針だと思っている。


 唯一のネックは……やはり、価格。

 とにかくこのメーカーの下着は、高いのである。


 中には、姉妹ブランドで安いものもあるが、そちらはやはりサイズの選択肢の幅が若干狭い傾向があるのだ。

 本家ワコー◯名義のブランドから選ぶなら、ショーツのやすいものでも、4000円くらいは覚悟しておいたほうがいいだろう。ブラなどは6000円くらいがスタートラインである。はっきり言って、僕みたいな貧乏人が手にできるものではない。


 だが、最初に買った女性下着が◯コールだったこともあり、このメーカーの品質とデザインの美しさは納得のものだった。その為、少しお金に余裕ができた時に、買っておいたものがあったのだ。

 ちなみに、上下セットで12,000円くらいした。……今考えても腰を抜かすような高価な買い物である。そのため、せっかく買ったのに勿体なくて……試着で2~3度身に着けてみたことがあるだけで、着用して外出したことは一度も無かったのだ……。せっかく買ったのに、勿体なくて使えない───本末転倒と言われようが、僕には……おいそれと身につけられなかったのである。

 

 だが、時は来た───

 いまこそ、この封印が解かれるときである。


「わ、めずらしいね……白地の下着」

 操も、取り出した下着を見てちょっと驚いている。


 このセットは、白地の見頃に濃淡2色の紫の刺繍糸で装飾された、上下揃いの下着なのだ。形状は、下がオーソドックスなハイキニショーツ。最近のハイキニは穿き込みが浅めのものが主流であるが、このぱんつはラインアップの中では穿き込みが少し深めだ。

 上も、一般的な3/4カップ形状のAカップ。流石に95Aというサイズは無かったため85Aに延長用の補助ストラップを組み合わせて着用する。ワ◯ールの嬉しいところは、補助ストラップまでもがちゃんと組み合わせられるように用意されているのだ。これを併用することで、僕でも無理なく着用できるのだ。

 残念なのは、延長ホックにはカラーバリエーションが少ないのだ。2列ホックには白が無いので、ベージュの延長ホックを装着している。……色違いのホックが絆創膏みたいで、少し胸が痛んだが……ここはやむを得ないだろう。



 ……では、装着に入ろう。

 まず、鏡の前に立ち前後逆に背中の鈎ホックを───


「天音、あたし着けてあげるよ」

「うん?」


 ───いつものように、着用しようとしたところで、操がそう申し出てきた。


「え、いいの?」

 僕が、戸惑いながらそう聞くと、

「うん。ほら、出陣前に女将さんが十手渡したり、火打ち石でカチカチしたりするシーン、あったじゃない?」

 そんな事を言っている。


 そういえば、いつだったか一緒に見た時代劇で、そんなシーンがあったような気がする。……なんか、作品がちょっと混ざっている気がするけど。


 ……なるほど、出陣か、ふふふっ。

「うん、じゃあ……。おねがいしていいかな?」

「うん♪」


 僕は、改めて……ブラを正面から胸に添えて、肩ストラップを先に腕に通していく。そして、ストラップを指で摘んで、肩に送っていく……。本来なら、ここで後ろ手で背中の鈎ホックを留めなければならないのだが、体が固いため僕には難しい作業だった。

「じゃ、いいかな?」

「うん」

 今回は、ここから操にバトンタッチだ。合わせて、延長用の補助ストラップも手渡す。


 背中側で、ぷちぷちと微かな音を立てながら、操がホックを留めていくのがわかる。最初は、補助ストラップの結合、そして……。

「……きつくない?」

「うん……大丈夫」

 背中の、ホックのポジションを締め付け具合を僕に確認しながら、操が留めていく。

 ひとつ、またひとつと……ホックが留められる毎に、胸に一体化していくブラジャー。ワイヤーの入っているしっかりしたブラなのだが、その装着感はあくまでソフトで、しかも頼もしい。


「うん、できた」


 操の言葉を受けて、僕は改めて肩ストラップを指で摘んで位置を微調整。それから、胸のカップも左右に引いて、密着を最適化させる。


「……うん、いいね」


 ───さすが、高級下着。

 身につけたときの気品と華やかさは、他の製品を圧倒するほどのものを感じた。

 なにより、身につけることでこれほどの高揚感を得られるというのは、他に代えがたい感覚でもあった。


 そして、ペアとなるショーツを受け取り、それを穿いていく。

 上下デザインが揃ったことにより、その美しさはさらに芸術的な輝きを放っているようでもあった。


「……なんか」

「うん?」


 操が、僕のその姿をまじまじと見つめ、ぽつりと言う。


「羨ましいな……ちょっと、嫉妬しちゃう」

「へ……?」


 男のこんな姿を見て、嫉妬とは?


「……あたし、今まで下着にそんな気を使ってなかったから……。天音が、全霊を込めて選んだ下着なんだって……、そう思ったら……なんか」


 まぁ、最近始めた趣味でもあるし……。

 見せないものだからこそ、いくらでも情熱を注げたっていうことでもあるんだけど。


「あたしも、………もっと、冒険しても良かったのかなって。こんなに……ドキドキするんだもんね───下着って」


 操は、少し陶酔したような表情で、僕の下着姿を見つめていた。


 確かに、出会ったばかり頃の操の下着は、お世辞にもおしゃれとは言えないようなものだった。少なくとも、誰かに見せる予定のない、そんな選択の結果を思わせるようなものだったのだ。

 僕としては、逆にそんな下着姿を見て……、この女性は間違いなく他に男の影が無いんだ、という事が実感できて……とても安心したものだったのだが。


「ねぇ……。帰ったら一緒に、新しい下着……探そうね?」


 操は、……僕のブラに手を添えながら、そう言った。

 その指が、美しい刺繍をなぞっていく。


「うん。操だったら……僕なんかより、もっといろんな種類が選べるから。きっと、楽しいよ────」


 僕は、そう言って……今度は操を脱がせて、今日出かけるための下着を選んで身に着けさせていくことにした。


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