第12話 ダンプカー危機一髪
ブオオオオォォォォォォン!!!
ダンプカーはエンジンを唸らせ猛然と疾走する。運転席はよく見えない。なぜ暴走しているのかも分からない。が、蛇行は収まりこちらに真っ直ぐに向かって来る。このままでは確実に死ぬ。
(っ!ティルフィングを、いや、ギリギリで間に合わない。俺がどうにかするしかないか)
双魔は瞬時に判断し空いた左手で地面を触れた。その瞬間だった。
「ちょっと!何するのよーーー!お金貯めてようやく買った私のお店―――!止まりなさーーーーい!!」
咄嗟のことに正常な判断能力が何処かに行ってしまったのかお姉さんがキッチンカーを守ろうとダンプカーの前に飛び出そうと動いた。
(っ!!?)
「双魔っ!」
まさかの事態に双魔は一瞬固まりかけた。しかし、鏡華の声が聞こえた。鏡華の両の眼が紫色に輝いた。直後、走り出そうとしていたお姉さんがその場にへたり込む。
閻魔大王譲りの神通力で一時的にお姉さんの魂魄を掌握したのだろう。少々乱暴だがこのタイミングでは最良の行動だった。
「鏡華!助かった!
キッチンカーに迫るダンプカーの前方と周囲に幾重もの緑色の魔法円が生じる。
地面には一面の青芝の絨毯が現れ、その領域に踏み入ったダンプカーの速度が瞬時にまるで喰われたように失速する。
そして、周囲の魔法円からは太い蔦が躍り出てダンプカーに絡みついていく。”摩擦青芝草”に慣性を殺され、絡みついた蔦によって進行方向を変えられたダンプカーはキッチンカーの直前で左折して川沿いに設置された柵に突っ込んだ。
そして、柵を破壊し、前のタイヤが川に乗り出したところでやっとその動きを止めた。鋼鉄のワイヤーをも上回る強度を持つ”封縛蔦”が最悪を回避してくれた。
余りの光景に目撃した人々はピタリと動きを止め、一瞬の静寂が訪れた。
……オ…オオオオオオオオオオオオオオ!!!!
数秒遅れて歓声が響いた。歓声の波に乗ったようにパトカーと消防車、救急車が川沿いの遊歩道に何台も躍り入ってくる。
「……ふう」
「双魔!」
一息ついて立ち上がった双魔の傍にすぐ鏡華が駆け寄ってきた。両の眼は紫色に輝かせたままだ。表情もまだ安心したという風ではない。
「双魔、運転手はんが気を失ってる!片手で心臓を押さえたまま!命はまだあるけどこのままじゃ……」
「何っ?……運転手が!?ッ!ガソリンもか……」
双魔の嗅覚が独特な異臭を捉えた。
ダンプカーの暴走は運転手の心臓発作のせいだと鏡華は既に見抜いている。このまま放っておいては運転手は死ぬ。さらに運の悪いことにガソリンタンクが傷つき、少しずつガソリンが漏れ出ている。冬の乾燥した時期だ。少しのきっかけがあれば火の手も上がる。非常に危険な状態だ。
「双魔!運転手はんは救急隊に任せて車の方をどうにかした方がええんとちゃう!?」
「そうだな、分かった。そっちは鏡華に任せる。運転席は蔦で固定してあるからちょっとやそっとじゃ動かないはずだ!」
「うん、それじゃあ、行ってくる!」
鏡華は頷くと救急車から降りてきた救急隊の方へと走り出した。
「さて、こっちは……ティルフィングに来てもらうのがいいか」
ガソリンというものは基本的に気化し酸素と結合しなければ発火することはない。また、ガソリンの引火点はマイナス四十度。それより低い温度にしてしまえば液体の場合でも発火することはない。ティルフィングを来てもらうのが最も良い解決方法だと双魔は考えた。
右手を握り締め、ティルフィングとの繋がりを意識する。刻まれた紅雪の聖呪印が淡く光を帯びた。
「ティルフィングが契約者、伏見双魔の名において願い奉る!盟約に従い、我が傍らに馳せ参じたし!」
双魔の言葉と共に聖呪印が強く光り輝いた。紅光と優しい冷気が双魔の前で形を作っていき、やがてティルフィングが現れた。
「む!ソーマ!呼んだか?」
ティルフィングは双魔を見て目をぱちくりさせたがすぐににぱっと笑って見せた。口元にはお菓子のくずがついている。双魔たちと同じでおやつの途中だったのかもしれない。
「ガソリンが漏れ出てるんだ。爆発を防ぐのにティルフィングの力を借てくれ」
「うむ!よく分からんが分かったぞ!我はどうすればよいのだ?」
元気に返事をして首を傾げるティルフィングの頭を軽く撫でてやると双魔はティルフィングの手を取って慎重にガソリンタンクに近づいた。
覗き込むとぽたぽたとガソリンが”摩擦青芝草”の上に滴り落ちていた。ガソリンは気化のしやすさから揮発油とも呼ばれる。既に幾らか気化してしまっているだろう。
発火してタンクの中身に着火してしまうのが一番不味い。
「いいか、ティルフィング、これを凍気でゆっくりと冷やすんだ。俺がいいって言ったら一気に凍らせる」
「うむ、分かった!ゆっくりだな!そー……」
ティルフィングは頷くと「そー……」と口に出してガソリンタンクを冷却しはじめた。
小さな両手をタンクに翳すと紅の剣気が放出されタンクを包みはじめる。タンクの温度が穏やかに、確かに下がっていく。
一分、二分、三分が経った。双魔の目から見てタンクの温度は十分に下がっている。
「ティルフィング、今だ」
「むっ?今だな?ふっ!」
パキンッ!
双魔の合図にティルフィングが軽く息を吐くとタンクは一気に凍り付いた。ついでに芝に垂れていたガソリンと気化したガソリンも凍結した。さらさらと細かい粒が芝の上に積もる。
「これで一安心だな、ティルフィング、偉いぞ」
「ムフフフフッ……」
双魔がわしわしと頭を撫でるとティルフィングは嬉しそうに身をよじらせた。
「さて、あっちは……問題なさそうだな」
消防隊、救急隊と共に運転手の救出作業をしている鏡華の方を見ると既に運転手は担架に寝かされて救急車へと運ばれるところだった。
鏡華は救急隊らしき女性と何か話している。鏡華は運転手の病気のことも見抜いている。処置についての助言をしているのだろう。
普通の少女の話を救急隊が取り合うことはないだろうが王立魔導学園の学生は異なる。その特殊性から身分を明かせばそれなりに聞く耳を持ってくれる。
そうこうしているうちに双魔にも如何にも「警戒している」と言った表情の消防隊や警官たちが近づいてきた。
「…………」
ティルフィングはさっと双魔の後ろに隠れる。
(……さてさて、取り合ってくれるのはいいが……説明するのはそれで面倒だな……そうするか……ん?)
双魔が面倒事から逃れるための思考を巡らせていると警官たちの後ろを歩く小太りの中年男性が目に入った。頭のサイズに合っていない帽子にぶかぶかのトレンチコートを纏った不格好な男だ。
「……うん?」
近づいてきた男も双魔に気づいたようで両方の眉を大きく上げた。前を歩く警官たちをかき分けて前に出てくる。
「誰かと思ったら双魔じゃないの、どうしたんだー?こんなところで?」
小太り男は双魔に気さくに話しかけてきた。上役が砕けた態度をとるので警官たちは驚いた様子だ。
「ん、たまたま事故に出くわしてな。警部殿がいてくれて助かった。説明の手間が省けるからな」
双魔に「警部殿」と呼ばれた小太りの男の名はジュール=レストレイド。スコットランドヤード所属の警察官で階級は呼ばれた通り警部。”Anna”の常連で双魔とは知った仲だ。
うだつの上がらない風体なのだが”導師”の称号を持つスコットランドヤードでも指折りの魔術師だ。しかし、本人のやる気がないのもあって魔導課には所属していない変わり者である。
「なるほどなー!するってーと処置はほとんど済ましてるって訳だ!ガハハッ!手間が省けた!あっちのお嬢ちゃんは双魔のこれか?」
「…………」
ジュールはニヤリと笑って小指を立てた。双魔が頬を掻くと納得したようにもう一度ニヤリと笑った。
「……うん?双魔、後ろにいるのは……」
ジュールの視線が双魔の後ろに隠れたティルフィングに向いた。ティルフィングは一瞬だけジュールの顔を覗いたがすぐにまた隠れてしまう。
「俺の契約遺物だ。ガソリンタンクの処置をしてくれた」
「なるほどなるほど、噂の契約遺物ちゃんね。うん、可愛らしいじゃないの」
ジュールはうんうんと何度も頷いた。そんなジュールの真横にいた部下がジュールの耳に口を寄せボソボソと何か言いはじめた。
部下はチラチラと双魔を見ている。何やら面倒になりそうな予感がした。
「あー……まあ…………今日はいいだろ?」
「警部殿!」
「なんだよ、俺の判断が間違ったこと、あったか?」
「そ、それは……ありませんが……」
「じゃあ、いいだろ。ってことで双魔、今日は帰っていいぞ」
「いいのか?」
ジュールの意外な申し出に双魔は思わず聞き返した。絶対にこのまま事情聴取の流れだと思っていたのだ。
「いいのよ、若人の逢瀬を邪魔するほど野暮じゃない。その代わり後で話を聞かせてくれよな?」
「ん、もちろんだ。あ、それとあそこでへたり込んでる人、保護してやって欲しいんだが……」
双魔の視線の先には地面にペタンと座ったままのクレープ屋のお姉さんがいた。
「よしきた、あのお嬢ちゃんも関係者だな?おい!」
ジュールが顎でお姉さんを指すと部下の一人がすぐに駆け寄った。
「それじゃあ、またな。さっさと行っちまいな」
「ん、恩に着るよ。ティルフィング行こう」
「う、うむ」
双魔はジュールに見送られながらティルフィングの手を引いて鏡華の元へと向かうのだった。
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