第10話 春の川辺は麗らかに
双魔と鏡華は店を出ると取り敢えず右に歩き出した。理由は単純で左に行くと来た道を逆戻りしてしまうからだ。
「~♪」
鏡華は家を出た時沈んでいたのが嘘のように上機嫌だ。気づいてはいないのだろうが可愛らしい鼻歌が双魔の耳にはしっかり聞こえている。
緩やかに吹く風にスカートがふわりと揺れる。鏡華が楽しそうで双魔も嬉しい。それに、やはり洋装の鏡華は新鮮だった。気を抜くと隣に見惚れてしまう。
「~♪うん?双魔?どしたん?」
ジッと見つめていると視線に気づいた鏡華と目が合ってしまった。正直に言うのも照れくさいので双魔はふいっと目を逸らした。
「……いや、何でもない……それより何処か行きたいところはあるか?」
「うーん……せやね……行きたいところ言うても土地勘あるわけでもないし……双魔にお任せじゃあかんの?」
「……ん、やっぱりそうなるか……んじゃ、こっちに行こう」
「ふふふっ!何処に連れてってくれるん?」
「大した場所じゃない、と思う。本当にな」
「そうなん?ふふふっ!心配することあらへんよ!双魔と一緒ならうちは何処でも楽しいんやから!」
「…………」
鏡華はころころと笑うと双魔の腕を抱く力を強めた。慎ましくも柔らかい感触に双魔の心臓がドキリと跳ねた。動揺しているのはお見通しかもしれないが平静なふりをして足を目的地に向ける。
街には多くの恋人や家族連れが行き交う。二人もその流れの内に入るとふらりふらりと大通りから消えていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ん、着いた」
「着いたって……ここ?」
双魔が足を止めると鏡華もそれに合わせて立ち止まった。そして、不思議そうに首を傾げる。
それもそのはずだ。双魔が「着いた」と言ったその場所は…………テムズ川沿いの遊歩道だった。大通りからは随分と人が減ったが家族連れや犬を連れた人々が気持ち良さそうに歩いている。少し遠くを見ると露店なども出ているようだ。
「のんびりとぶらぶら歩こうと思ってな。風も気持ちいいし……慣れない店で少し疲れただろ?」
「……ふふふっ……しっかり気ぃ遣ってくれるんやから。流石うちの旦那様やね」
「……ん……そう言われるとむず痒いんだが……」
「ふふふっ、ごめんな。それじゃあ、お散歩しようか」
「ああ……ところで腕は……」
「だぁめ、このまま」
「…………」
鏡華が上目遣いで腕に力を籠めると双魔は片目を閉じて親指をグリグリ刺激すると渋々といった様子で歩きはじめた。照れ隠しなのは言うまでもない。
鏡華も再び歩きはじめる。テムズ河はバスで橋を渡る時に何度か見ているがこうして川沿いを歩くのは初めてだ。
春風がふわりふわりと風を撫で、綻びはじめた花の香りを運んでくる。川の水面は斜陽が反射してキラキラと輝いている。
心地よい陽気のせいか川岸につけられたボートの上では舟の主らしき人々がゆらゆらと揺られながら昼寝をしていた。
置かれたベンチに腰を掛ける老人たちは釣り糸を垂らしてパイプをふかしたり、新聞を読んだりしている。実に平和で穏やかな時間だ。
双魔は特に何も言わない。昔から二人の時に多くの言葉を交わすわけではない。互いに互いのことは何でもわかるのだ。沈黙が心地よい関係というものもある。
(…………こういうの、最近はあんまりなかったけど……やっぱり、好きやねぇ)
鏡華の気疲れも段々と溶けていき、気分がよりよくなってくる。隣を見ると双魔の表情も穏やかだ。そのまま、ジッと見つめてみると双魔が視線に気づいた。
「ん?どうした?」
「何でもないよ、幸せやなぁ……と思っただけ……」
「ん、そうか。まあ……なんだ、俺も幸せだ」
「っ!?……突然そないなこと言われたら照れてまうよ……もうっ!」
「いてっ……先に言ったのは鏡華だろ……」
双魔が真剣な顔で突然予想外のことを言い出すので鏡華は驚いて軽く双魔の脇腹を肘で突いてしまった。
それでも腕を離さずに空いた方の手で熱くなった顔をパタパタと扇ぐ。ちらりと双魔を見ると双魔はあまり恥ずかしがっていないようだ。
(……もうっ!)
少し悔しくなって腕に力を籠める。双魔は少し歩き難そうになりながらも微笑みを浮かべている。こういう時の双魔には敵わない。鏡華は力を緩めると視線を前に戻した。
一方、双魔は内心で安堵しつつ、一番大事な目的を改めて思い出していた。
(……楽しんでくれてるみたいで良かった……今は普通だな……さて、どこで話を切り出すか……)
再び、心地の良い沈黙が流れたその時だった。
「おにいさーん!」
「……ん?」
聞き覚えのある声が耳に飛び込んできて双魔は思わず足を止めた。
「双魔?どしたん?」
鏡華もそれに合わせて足を止める。
「いや……何か聞き覚えのある声が……」
「おにいさーん!こっちこっち!」
立ち止まってきょろきょろと辺りを見回しているともう一度呼ばれた。声の主は間違いなく双魔を呼んでいる。呼ばれた方を見るとそこには見覚えのあるキッチンカーが止まっていた。幟には大きく「クレープ」と書かれている。
「ああ……鏡華、少しいいか?」
「うん?ええよ」
鏡華は不思議そうな顔で頷いてくれたのでキッチンカーへと向かって歩く。
「こんにちは!おにいさん、今日はどうした……なるほどね、デートってわけだ!」
声の主は最早常連と言っても過言ではない移動式クレープ屋のお姉さんだった。鏡華を見るとすべてを理解したと言いたげに腕を組んでうんうんと大きく頷いている。
「今日はこの辺りで商売を?」
「そうなんだー!春の陽気に甘いものって合うでしょー?そう思わない?あ、ところでティルフィングちゃんはいないの?」
「ん、今日は留守番だ」
「そうかー、残念…………せっかく新作用意したんだけれどなー」
ティルフィングがいないと聞くとお姉さんは肩をガクリと落した。初めて会ったのは評議会選挙当日の学園、それから何度か出先で出くわし、その度にティルフィングにトッピングもりもりサービスのクレープを提供してくれている。初めのうちは普通に接客してくれていたのだが、元来ノリのいい性格らしく、今ではこんな感じだった。
ちなみにティルフィングの食べっぷりがお気に入りらしい。その気持ちもよく分かる。
「……あの……」
軽いテンポで会話を交わす双魔とお姉さんの様子を見ていた鏡華が隙を見て声を上げた。
「あ!ごめんね!おねえさんは初めてだよね!初めまして!うーん、ズバリ!おにいさんの彼女さん!?どうなの?おにいさん、そこんところは!?」
「……彼女というか…………」
「いうか?」
「…………婚約者」
「こ・ん・や・く・しゃ!?いやー!おにいさん隅に置けないね!まあ、おにいさんイケメンだもんね!おねえさんも凄い美人さんだし!いやー!美男美女カップルってわけね!ご馳走様です!」
「ご馳走様って……」
ノリの軽さについてこれていない鏡華は目をクルクルとさせているが双魔はもう慣れっこだ。
「折角、声かけてもらったし……クレープもらおうかな。鏡華も小腹空いただろ?」
「え?あっ、うん、せやね」
そう言われてみれば確かに身体は空腹を訴えていた。朝食を済ませてからそこそこ時間が経っている上に、アパレルショップではずっと緊張していたのだ。お腹が空くのも自然だろう。
「おっと!危ない危ない!本業を忘れるところだったわ!あ、今日のお勧めは何といっても新商品”抹茶と栗のアイスクレープ”よ!二人とも見たところだけど本場の日本出身でしょう?食べて感想を聞かせて欲しいわ!勿論サービスするわよ?」
「……じゃあ、俺はそれで。鏡華はどうする?」
「うちは……うーん、せやねぇ……このエビとアボカド?っていうのは?」
「ああ、それはスイーツじゃなくて主食系のクレープよ!特製の香草ドレッシングでさっぱりと、ボリュームもあって満足感も十分!」
「そんなのもあるんやね……それじゃあ、うちはこれにします」
「はいはーい!注文承りましたー!”抹茶と栗のアイスクレープ”と”エビとアボカドのサラダクレープ”!すぐに作るから待っててねー!」
そう言うや否やお姉さんは鉄板に生地を垂らすとクルクルとトンボで伸ばし、瞬く間にクレープを焼いていく。一枚は普通の生地だが。もう片方は緑色だ。きっと抹茶が混ぜてあるのだろう。
生地が焼けるとスパチュラで鉄板から作業台の上に移動させ、冷蔵庫から取り出した具材を乗せ、手早く巻き、紙袋に入れて鏡華に差し出した。
「はい、お待ちどうさま!”エビとアボカドのサラダクレープ”冷めないうちに召し上がれ!」
「わぁ!おおきに!」
「おにいさんはもう少し待ってね!」
お姉さんは再び冷蔵庫を開くとクリームやら、アイスやらを取り出して素早くトッピングしていき、またとんでもない速さで完成させた。
「はーい!お待ちどうさま!栗を多めにサービスしておいたからね!いつもはテーブルとか置いておくんだけど、ここは前置いてたら怒られちゃったからさ、悪いけどそこのベンチで我慢してねー」
「どうも。それじゃあ、食うか」
「うん」
双魔と鏡華はクレープを片手にベンチへと向かう。少し遅めのランチ、少し早めのおやつタイムのはじまりはじまり。
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