第9話 新鮮な幼馴染

 「…………ふぅ……」


 双魔が鏡華のことを考えながらアメリアと愛元がスイーツを頬張るのをボーっと眺めていた時、アパレルショップの鏡華は試着室で疲れた様子で息をついていた。


 そして、目の前では梓織と店員二人が眉間に皺を寄せて難題を突きつけられたような顔をしていた。


 「……困ったわね……」

 「……困りましたね」

 「……本当に」


 そんな三人の横には鏡華が試着した服が山のように積まれていた。最早何着来たのか鏡華は覚えていない。兎に角、沢山着たとしか言えない。


 三人の反応も最初は笑顔で「似合う」と言ってくれたのだが段々と表情が曇りはじめ、今の顔になってしまった。まるで能面の顰(しかみ)のようだ。


 「……やっぱり、うちにはお洋服は似合わへんのかな……」

 「……え?鏡華さん……何を言っているの?」


 ポツリと漏らした鏡華に梓織の表情が変わった。大きく瞬きをして何やら不思議なものを見たような顔だ。


 「え?だって……梓織はんも……店員はんも難しそうな顔してはるし……」

 「違います!それは違うんですよ!?お客さん!」

 「ええ!違うんですよ!」

 「ち、違うって何が……」


 突然、大声を出した店員二人に身体をビクッとさせた鏡華に梓織が真剣な顔で語りかける。


 「鏡華さん……逆なの……」

 「……逆?」

 「そう、逆よ!鏡華さん、何を着ても似合ってしまうから……私たちじゃ選びきれないの!」

 「……そ、そうなん?」

 「ええ、そうなの……ベルといい……下手に素材がいいと何でも似合うから困るわ……」


 梓織の主張に店員二人も「うんうん」と深く頷いている。美人は何を着ても似合うもの。様々なタイプの服を何十着も着た鏡華であったが全て似合ってしまうので三人は途方に暮れてしまったのだ。


 「そうしましたら、やはり……」

 「そうですね……それ以外ないかと……」

 「……まあ、ここはそうするしかありませんよね…………」


 (……こ、今度は何?)


 三人は額を突き合わせるとコソコソと鏡華に聞こえないくらいの声で相談を始めた。それを見て鏡華の混乱は増々深まる。


 そして、言葉をいくつか交し合ったところで三人は示し合わせたように頷いて鏡華の方に向き直った。


 「鏡華さん、やっぱり私たちには決めきれないわ……だから……」

 「……だから?」


 梓織の提案は至極真っ当なものだった。それを聞いた鏡華は少し考える素振りを見せてから首を縦に振った。その雪のように白い頬が少しだけ赤らんでいた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「それでその時梓織ちゃんがお嬢にッスねー……」

 「そんなこともありましたなー……」

 「……お前さんたち本当に仲がいいのな…………」


 店に入って一時間は経っただろうか。アメリアと愛元はそれぞれ頼んだスイーツを食べ終えていた。今は二杯目の飲み物を頼んで世間話と言ったところだ。


 先ほどから三人娘とイサベルの面白おかしな話をカップを傾けながら聞いている双魔であった。


 「そう言えば、鏡華さんはそろそろッスかね?」

 「まあ、もう一時間は経ったな……」


 ピロンッ!


 アメリアが鏡華のことを気にした時だった。愛元のスマートフォンに何やら通知が届いた。


 愛元はぶかぶかの袖で隠れた手で器用にスマートフォンを操作する。そして、にっこりと笑って顔を上げた。


 「噂をすれば、ですなー。如何やら鏡華殿の着替えが済んだようであります」

 「……ん、そうか、それじゃあ、行くかね」


 双魔は残っていたコーヒーを飲み干すとサッと席を立った。愛元がその姿をにこにこしたまま見上げた。


 「伏見殿、そんなに早く鏡華殿の洋装が見たいのですかなー?」

 「……左慈、お前さんの分だけ出さなくてもいいんだな?」

 「おっと、これは失言でしたなー……どうかご勘弁をー」


 謝る気があるのかないのか、愛元は大仰にぺこぺこと頭を下げて見せた。


 「アタシも鏡華さんがどんな服を選んだのか気になるッス!早く行くッスよ!」


 アメリアは鏡華のコーディネートに興味が移ったのかすぐにでも店を出そうな勢いだ。


 「お前さんらは先に行っていいぞ」

 「伏見くん!ごちそうさまッス!ほら、愛元ちゃん!行くッスよ!」

 「引っ張らないで欲しいでありまーす。伏見殿、ご馳走様であります。それではお先にー……」


 愛元はアメリアに引っ張られるようにカフェを出ていった。双魔は伝票を片手に内心落ち着かない。


 (……さてさて……どんな服を選んだのかね…………)


 支払いを済ませる間、双魔は鏡華のことばかり考えていた。そのまま、初めに出迎えてくれた店員に見送られて足早に店を出る。


 カフェを出てアパレルショップに入る。店先には二人いた店員のうち若い方の女性が双魔を待っていた。


 「お待ちしていました!さ、どうぞ!」


 店員について店の奥に進むと試着室の前に梓織とアメリア、愛元が立っていた。その横にはもう一人の店員も満足げな表情を浮かべていた。


 「伏見くん、待っていたわ」


 双魔に気づいた梓織が振り向いた。その表情は店員と同じく満足げだ。


 「ん、幸徳井、助かった。ありがとさん」

 「別にお礼なんていいのよ。それよりも、しっかりと鏡華さんのことを誉めてあげて?」

 「伏見くん!鏡華さん凄いッス可愛いッスよ!」

 「そうですなー、西施せいしも嫉妬するかもしれませんなー。それほどでありますなー」


 ”西施”とは中華における春秋時代、越王勾践が呉王夫差に献上したという絶世の美女だ。つまり、愛元もアメリアと同じように鏡華をべた褒めしているのだ。二人は既に着替えた鏡華を見たらしい。


 しかし、試着室のカーテンは閉まったままだ。


 「鏡華さん、伏見くんが来たわ」

 「……うん……これで大丈夫なんかな?」


 カーテンの向こうからは少し不安気な声が聞こえてくる。鏡華にしては少し珍しい。


 「大丈夫。伏見くんもきっと喜んでくれるわ。ね?伏見くん」


 梓織は双魔に問いかけると試着室の前から二歩下がった。双魔は入れ替わりでそこに立つ。


 「……鏡華」


 布を一枚隔てた向こうに鏡華がいる。どんな服を纏っているのか双魔の胸は自ずと高鳴った。


 「……双魔……双魔が開けてくれへん?何や……自分で開けるのは……恥ずかしゅうて……」

 「ん、分かった……じゃあ、開けるぞ?」

 「……うん、ええよ」


 双魔はカーテンに手を掛け、一呼吸おいて思い切り引いた。金具がシャーッと音を立ててカーテンレールを滑っていく。そして、目の前には一時間前とは様変わりした鏡華が両手を前に合わせて立っていた。


 ボルドーのニットにグレーをベースにしたチェック柄のロングプリーツスカート、白のデニムジャケットを肩から掛けて、ヒールの低い黒のブーツを履いている。頭の後ろで丸く纏めた髪には双魔が贈った鏡華のトレードマークでもある曼珠沙華が咲いていた。


 鏡華本来の清楚でお淑やかな雰囲気に活発さを組み込んだ絶妙なコーディネート。思わず見惚れてしまうほどに似合っている。


 「…………」

 「…………」


 二人の間には沈黙が流れた。言葉はなく視線を交わすのみ。それを後ろで見ている三人娘と店員二人が何故か緊張しているようだった。


 「…………どう、やろ?」

 「……ん……その……似合ってる、な…………うん」

 「ふふふっ!……良かった」


 鏡華が上目遣いで首を傾げると双魔はやっと感想を漏らした。鏡華の顔も綻んだ。


 が、あまりにも簡素の一言だったのに我慢できなかったのかアメリアが口を開く。


 「伏見くん!鏡華さん頑張ったんスから!もっとあるんじゃないッスか?」

 「アメリア……」

 「梓織ちゃんはいいんスか?愛元ちゃんも!」

 「いやはや、お二人のことですので某らが口を出すのも如何なものかとー」

 「そうよ……鏡華さんだって嬉しそうじゃない……」


 アメリアの苦言を愛元と梓織はやんわりと流した。


 「アメリアはん、おおきに。でも、これでええんよ」

 「鏡華さん?」

 「ほほほっ、双魔はそんなに口数多く褒めることないからね。今やって、皆の前やから照れてるだけ。ね?双魔……」

 「…………鏡華」

 「ね?」


 双魔はこめかみをグリグリと刺激してバツが悪そうにした。確かに顔が少し赤くなっている気がする。


 「……もしかして、余計なこと言っちゃったッスか?アタシ……」

 「気にしなくてもいいのではー?」

 「わーん!!愛元ちゃん!否定している欲しかったッス!」

 「まあ、もう少し感想があっても良かったかもね?結局私たちじゃ決めきれなくて鏡華さんが自分で選んだ服なんだから。伏見くんの好みに合わせてね」

 「梓織はん……それは言わんといて……」


 梓織の言葉を聞いた鏡華は頬に手を当てて双魔から視線を逸らす。その顔は真っ赤だ。


 「……ん、そうか……うん……」


 双魔はそれを聞いてまた頷いた。言われるまでもなく鏡華の着ている服は双魔の好みに合っていた。鏡華のいじらしさを再確認して、人がいなければ今すぐにでも抱きしめていたかも知れなかった。


 「ああ、そう言えば……」


 何かを思い出したのか若い方の店員が会話に入ってきた。その手にはベレー帽を持っている。


 「こちらのお帽子をおススメしたのですが……髪飾りが隠れてしまうからいらないと……愛されていますね!彼氏さん!」

 「っーーー!!…………」


 まさか、バラされるとは思っていなかったのか鏡華は両手で顔を隠してしまった。双魔の顔もさらに熱を帯びていく。


 「彼氏ではなくー、婚約者でありますなー」

 「あら!そうなんですか?これは失礼しました!」


 愛元がまた余計なことを言って、今度は年上の店員が口に手を当てて驚いて見せる。これ以上ここにいたら何を言われるか分からない。すぐに撤退するべきだと双魔は思った。


 「よし、じゃあ、用は済んだな。支払いをお願いします。ああ、それと、配達とかやってますか?着てきた服を送ってもらいたいんですが……」

 「か、かしこまりました!それではこちらに…………」

 「お前さんらもありがとさん。また改めて礼はするから。それじゃあ、残りの休日も楽しんでくれ」


 双魔は振り返って三人娘に礼を言った。視線で「これ以上は分かってるな?」と訴えかける。梓織と愛元はすぐに察してくれたようだ。


 「そうね、これ以上邪魔したら悪いわ。二人とも、行きましょう。それじゃあね、お礼楽しみにしてるわ。鏡華さんもまたね」

 「梓織さん、おおきに!」

 「それではー、ほら。アメリア殿―行くでありますよー」

 「わ、わ!二人とも待って!鏡華さん!またッス!」


 三人は慌ただしく店を去っていた。試着室の前には鏡華と若い店員の二人だけになる。


 「いい婚約者さんですね!羨ましいですよ!」

 「……ほほほっ……おおきに」


 人に言われるまでもない。双魔は鏡華の愛する人なのだから。それはそれとして、双魔が褒められると鏡華も嬉しい。


 そのまま、一言二言店員と交わしていると支払いを済ませたらしい双魔が戻ってきた。


 「待たせたな。制服はうちに送ってもらえるみたいだ」

 「そ、それじゃあ、行こか」

 「ん、そうだな」

 「「ありがとうございましたー!またのお越しをお待ちしております!」」


 二人の店員に見送られて店を出る。隣を歩く双魔の顔を覗くとまだ少し赤かった。


 「……双魔、ありがとう」

 「別にいい……鏡華が嬉しいなら……それでいい……」


 双魔はこちらを見ずにそう言った。まだ照れているらしい。昔から変わらない表情に愛しさが増して、鏡華は双魔の腕に抱きついた。


 「……少し歩きにくくないか?」

 「ええやないの、我慢して……」


 双魔は少しぼやいただけでそのまま歩いていく。少しだけ傾いた太陽の下、街を寄り添って歩いていく。二人のデートはやっと真のスタートを迎えたのだった。

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