『地獄の姫君はどこか変?』

第1話 双魔の悩み

 「…………」


 とある三月の昼下がり、ブリタニア王立魔導学園魔術科棟の地下の一室にて、一人の少年が難しそうな表情を浮かべて天井を睨んでいた。


 ロキとの決着がつき、共に戦った評議会のメンバーたちに自分がフォルセティの生まれ変わりであると告白してから二週間が経った。


 何か変わったことがあったかと言えば特になく、日に日に暖かくなり蕾の膨らむ気配を感じるようになったくらいだ。


 イサベルとアッシュ、フェルゼンはかなり驚いて色々なことを聞いてきたが、双魔が包み隠さずに知っていることを全て話すと納得して、それだけだった。今までと変わりなく付き合ってくれている。


 アイギスをはじめとした皆の契約遺物たちは双魔の秘密を聞くと口を揃えて、「そんな気はしていた」と言ったらしい。こちらも変わりなく接してくれている。


 ただ、元から何かを知っていたと思わしきハシーシュには後日呼び出された。


 『……双魔、大変なのはこれからだ……詳しくは言えねぇが……兎に角、気は抜くなよ?』


 散らかった準備室に響いたハシーシュの真剣な声と紫煙の匂いは妙に頭の隅に残っている。しかし、ハシーシュのそんな雰囲気もそれきりで今朝会った時にはいつも通り二日酔いで顔を真っ青にして、安綱に背中を摩られていた。


 が、煮詰め過ぎた紅茶を口にしてしまったような顔をしているのは全くもって違う理由からだった。


 「…………」


 片目を閉じて親指でグリグリとこめかみを刺激しながら、膝に置いた分厚い魔術研究書を捲る。勿論、内容など頭に入っているわけがない。考えているのは同居人のことだ。


 「……うーん…………」


 そして、悩みに悩んだ末、思わず唸り声を上げたその時だった。


 コンッコンッ!


 準備室のドアがノックされた。学園はまだ春期休暇中だ。この時間に事前の連絡も無しにドアを丁寧にノックするような客人が訪れてくる覚えなどない。


 「どうぞ」


 双魔は考え事を続けながら相手が名乗る前に生返事で入室を許可した。


 『……?』


 ドアの向こうの仄暗い廊下で少し迷うような気配がしたが数瞬後にドアはゆっくりと開かれた。


 「……双魔君?今、いいかしら?」


 遠慮気味に開かれたドアの隙間からそーっと顔を出したのは紫黒色の艶やかな髪を一本のサイドテールに纏めた真面目そうな美少女、イサベルだった。


 「……ん、イサベルか。取り敢えず、入っていいぞ」

 「ええ、それじゃあお邪魔するわ」


 イサベルは部屋に入ると言われた通りにテーブルの前に置かれたソファーに腰を掛けた。本から顔を上げてイサベルに目を遣るとその膝の上には見慣れたバスケットが乗っている。


 「……ん?それは?」

 「お昼ご飯よ。作ってきたの……よかったら……その、一緒に食べようと思って……どうかしら?」


 イサベルは視線を迷わせながら、少し照れ臭そうに言った。ランチのお誘いだ。壁に掛かった時計を見ると確かにいい時間だ。腹の虫も食事を催促するように蠢いているような気がする。


 「ん、わざわざありがとさん。それじゃあ、頂くかな……ああ、茶でも入れるか。少し待ってくれ。よっこらせっ……っと!」


 双魔は立ち上がると仕事机の横の棚に置いた電気ケトルのスイッチを入れる。そのまま、棚から急須と茶缶を取り出し、パッパと緑茶を入れる準備を整える。


 「今日はどうしたんだ?魔術科の方も文化祭の準備も煮詰まって来てるんだろう?」

 「ええ、進捗状況は遺物科とも錬金技術科とも足並みを揃えられているわ。順調なお蔭で今日の作業はもう終わったのよ。それで、遺物科の評議室に行ったらアッシュ君が双魔君はここだって教えてくれたの」

 「ん、そうか……メッセージを送ってくれれば……って、俺が気づかなかったのか……悪い……」


 机の上に投げ出すように置かれたスマートフォンを手に取るとイサベルからのメッセージがしっかりと届いていた。考え事に夢中だったせいで通知に気づかなかったようだ。


 ちなみに今日は評議会の仕事に双魔は呼ばれていない。アッシュとロザリンだけで事足りるからだ。ティルフィングと鏡華は家で菓子を作ると言っていた。


 「ううん、気にしないから大丈夫よ。こうして会えたんだし……ええ、問題ないわ」


 そう言いながらも少し不安なような不満なような思いを滲ませるイサベルに双魔は少し罪悪感を感じざるを得ない。こまめにスマートフォンをチェックしようと心に誓う双魔だった。


 ピーーッ!


 そして、そんな絶妙なタイミングでケトルが軽快な音で湯の沸き上がりを知らせる。


 双魔は指で頬を掻くとカップを二つ用意し、急須に湯を注ぐ。玄米茶なので待つ必要はないが、何となく急須を振って茶葉を遊ばせてからカップにお茶を注いだ。香ばしい匂いがふわりと鼻腔をくすぐる。


 カップを両手に持つとテーブルまで持っていき、イサベルの隣に腰を下ろした。


 「お待たせ」

 「それじゃあ、ランチにしましょう」


 イサベルはそう言ってバスケットの蓋を開けた。


 「今日は何を作って来てくれたんだ?」

 「フフッ……今日はこれよ!」


 少し自慢げにイサベルが取り出したのは綺麗な三角形に握られたおにぎりだった。海苔が巻かれた状態でラップに包まれている。双魔はパリッとした海苔も好きだが、しっとりとした海苔も嫌いではない。


 「……おにぎり?」

 「ええ、私もたまには双魔君に合わせたものをと思ったのだけど……」


 イサベルはよく弁当や菓子を作って持ってきてくれる。そのほとんどのが故郷のイスパニアの料理だ。イサベルの腕がいいのも相まってすっかりイスパニア料理が気に入っていた双魔だったが、イサベルは双魔に気を遣ってくれたのだろう。その気遣いが嬉しい。


 「ん、ありがとさん」

 「鏡華さんと左文さんに教えてもらったのだけど……上手に出来ているかは保障しかねるわ……」

 「イサベルが作ってくれたもので不味かったものは一つもないからな。そこは疑ってない」

 「…………」


 双魔が真顔でそう言うとイサベルは一瞬フリーズしたが、すぐに顔を赤くして双魔に寄ってきた。二人の距離はほとんどない。


 「それじゃあ、早速いただくかな。中身は何を入れたんだ?」

 「えーっと……中身は食べてからのお楽しみ!……よ?」

 「……ん?」

 「え?その……鏡華さんがおにぎりの中身を聞かれたらこう返すって言っていたのだけれど……私、何か違ったかしら?」


 イサベルは双魔の反応を見て照れくさそうに首を傾げた。無論、おにぎりにそんなルールなど存在しない。双魔の脳裏に鏡華の悪戯っぽい笑みは浮かんだ。


 (……鏡華はまたイサベルをからかって……まあ、可愛いイサベルが見られたことだし……いいのか?)


 「……鏡華の言うことを全部真に受けない方がいいぞ?」

 「え?それはどういう……」

 「いただきます。あぐっ……むぐむぐ……」


 混乱するイサベルに返事をせずに双魔は手を合わせておにぎりを一つ手に取って齧った。


 海苔と白米、そしてその奥から日本人なら慣れ親しんでいる独特の酸味に辿り着く。


 「ん、梅干しか!それに鰹節も!うん、美味い!」


 一瞬、ただの梅おにぎりかと思ったが奥から鰹の風味がやってきた。食欲を誘う組み合わせに思わず大きな声が出る。


 「そ、そう?喜んでもらえてよかった!他にも何種類か作ってみたから楽しんでもらえたのなら嬉しいわ……それじゃあ、私も、いただきます……はむっ……もぐもぐ……うん、上手に出来てる……はむっ……」


 イサベルはおにぎりを小さく齧るとうんうんと納得したように頷いた。一口で具に辿り着かなかったのかすぐにもう一度齧る。


 「むぐむぐむぐ……ごくんっ……さて次はどれにするかな……ズズズッ……」


 早くも一つ目を食べ終えた双魔はお茶を啜りながら二つ目をどれにするかバスケットの中を見回す。そして、真ん中辺りのものを一つ手に取って齧りついた。


 「あむっ……むぐむぐむぐ……ん、これは鮭か……うん、いい塩加減で美味いな……あぐっ……むぐむぐむぐ……ごくんっ……米もふっくら炊けてる……あむっ……」


 (……よかった……双魔君に美味しいって言ってもらえて……あら?……双魔君の口元に……っ!?これってもしかして……)


 夢中でおにぎりを食べる双魔をちらちらと見ながらホッとしていたイサベルの目にあるものが映った。それは双魔の口元についた一粒の米粒だった。


 そして、米粒と認識したと同時にイサベルの脳裏には日本の恋人同士の間で起こるというとある現象、俗に言う「お弁当つけてどこ行くの?」というやつだ。


 『ベル、何事においても機会はその時にしか訪れないのよ!行きなさい!』


 心の中の梓織しおりがサムズアップしてイサベルを鼓舞する。


 (……こ、これは……やるしかないわ……梓織、私だってやる時は…………)


 「……ゴクリッ……」


 イサベルが決心を固め、生唾を飲み込み、双魔の口元に手を遣ろうと動かしたその時だった。


 「ん?っと、米粒つけてたか……」


 双魔は自分で米粒に気がつくと親指で拭い、そのままペロリと舐め取ってしまった。


 (あ……ああ…………)


 間に合わなかったショックにイサベルは思わず俯いてしまう。が、視線に気づいたのか今度は双魔がイサベルの方を見た。


 「ん?イサベル……」

 「……へ?」


 双魔の手が優しくイサベルの右の頬に当てられ、そっと顔を双魔自身の方に向けた。


 突然の行動と、自分の顔を覗く双魔に少し呆けた声を出してしまったイサベルだったが、すぐにとある記憶がフラッシュバックした。


 (え!?え!?い、今!?キッ!キキキキッ……キスッ!?)


 ロキとの決戦を前にして少し強引に唇を奪われた時のことを思い出したイサベルは瞬時にパニックに陥ってしまった。


 「…………」


 が、そこは乙女の対応力。すぐに瞼を閉じ、緊張に身体を僅かに震わせながら双魔を受け入れる準備を整えた。


 「………………?」


 しかし、いつまで経っても唇に柔らかで温かい感触はやってこない。その代わりに唇の端辺りに双魔の指が触れた。


 「……双魔君?」


 ゆっくりと瞼を開けるとそこには少し顔を赤くしてバツの悪そうな表情を浮かべた双魔の顔があった。


 「…………いや、米粒がついてたから取ろうとしたんだが…………なんか勘違いさせたみたいで……その、悪い……」


 そう言いながら双魔は人差し指についた米粒を見せて視線を逸らした。


 「……え!?……――――――――――――ッ!!!!?????」


 自分の勘違いに気づいたイサベルの白い肌が燃え上がるように赤くなった。その勢いや、頭から湯気が上がりそうなほどだ。


 「「………………はむっ……むぐむぐむぐ……」」


 気まずい空気に二人は全く同じタイミングでおにぎりを手にとって口に運んだ。


 双魔もイサベルも気恥ずかしさを紛らわそうとバスケットの中のおにぎりを無言で咀嚼そしゃくしはじめる。


 たまに双魔がお茶を啜る音だけが準備室の中に響く。そんな状況がバスケットの中が空になるまで続くのだった。


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