第3話 気になる背中

 (……さてさて……鏡華に話を聞くにしてもどうするかね…………)


 双魔は家路を歩きながら今日二度目の長考に入っていた。


 学園を出る前にイサベルに改めてお礼のメッセージを送るとすぐに返信があった。


 『しっかり鏡華さんと話すこと!それと、またお弁当を作っていってもいいかしら?』


 頼もしさといじらしさが詰まった短い文章に双魔は笑みを浮かべながら「ありがとさん、また楽しみにしてる」と返した。


 そして、学園を出てから鏡華に話を聞くに当たりどうすればいいかを延々と考えているのだ。


 鏡華とは幼い頃の付き合いなので互いのことはほとんど知っている。何が好きか、何が嫌いか。何をすれば喜んで、何をすれば怒るのか、全て知り尽くしている。


 しかし、知り尽くしているが故に今回のような状況でどう行動すればいいのか双魔にとっては何とも難しい問題だった。


 (……んー…………おっと!)


 ボーっと歩いていたせいで前から歩いてきた二人組とぶつかりそうになったのを何とか避ける。


 「今日はどこに行くの?」

 「この間君が行きたいって言っていたパブに行ってみようと思ってるんだけどどうかな?」

 「本当っ!?嬉しいわ!わたし、絶対にあの店のシェパーズパイを食べてみたいと思ってたの!楽しみ!」

 「ハハハッ!僕も楽しみだよ!」


 そんな会話が横を通り過ぎていく。振り向いて見ると二人は腕を組んで歩く仲の睦まじい男女二人組だった。もしかしなくとも恋仲なのだろう。


 (……お熱いこって………………ん?んん?)


 前を向いて歩きだそうとした双魔は足を止めてもう一度振り返った。振り返るとそこにはやはりあのカップルがどんどんと遠ざかっていくのが目に入る。


 そして、それを見た双魔は何とも単純明快な答えを生み出した。


 「……なるほど、その手があったか……もう少し世事にも関心を向けるべきかね……まあ、いいか……さっさと帰ろう。きっとお姫様二人が待ってるからな」


 再び歩き出した双魔の眉間からは皺が綺麗に消え、代わりに口元に柔らかな笑みが浮かんでいた。


 楽し気ながら少し重い足取りで家路に急ぐ。双魔の胸を期待と僅かな緊張がくるくると円舞曲を踊るように満たしていくのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 二度目の考え事が解決し、足取りが速くなったのか双魔はすぐにアパートに帰ってきた。扉の呼び鈴を鳴らす。


 『はいはーい』


 扉の向こうからパタパタとスリッパが廊下を叩く音と今、双魔の脳内の大部分を占めている人物の声が聞こえてくる。


 鍵が解かれ、ガチャリと扉が開く。


 「おかえりなさい」

 「ん、ただいま」


 見慣れた赤を基調とした小袖に身を包んだ鏡華が優しい笑みを浮かべて迎えてくれた。そして、廊下の奥からは甘い匂いが漂ってくる。


 「……いい匂いだな」

 「ほほほっ、せやろ?今日はお饅頭作ってみたんよ。食べたくなってもこっちには売ってへんからね。ティルフィングはんも興味津々!お夕飯の前やけどもう少しで蒸し上がるさかい、一つ食べる?」

 「左文に怒られないならいただくかね」

 「ほほほっ!左文はんもそないお小言は言わへんよ……そしたら、きちんと手洗ってな」

 「ん、分かった」


 鏡華は手早く双魔のローブを脱がせ、壁に掛けるとキッチンの方へと消えていった。


 (……今は……普通だったな……でも、やっぱりなんか気になるんだよな…………)


 双魔は鏡華に対する違和感を感じながら洗面所で手洗いとうがいを済ませてリビングに入った。


 「ソーマ!お帰りだ!」

 「ん、ただいま」


 食卓の上に置かれた蒸し器に興味津々だったティルフィングがテテテッと寄って来たので頭を撫でてやる。


 「坊ちゃま、お帰りなさいませ。丁度お饅頭が蒸し上がったところです。夕餉の前ですがお一ついかがですか?」


 割烹着にほっかむり姿の左文がそう言いながら蒸し器の蓋を開けると白い湯気と共に食欲をそそる甘い匂いがより強く広がった。


 「な?左文はんはお小言なんて言わへんよって言ったやろ?お茶も用意したさかい食べよ」


 湯気の後ろにお盆に湯呑と急須を乗せた鏡華が微笑みながら立っていた。


 「ん、それじゃあ、いただくかね」

 「うむうむ!美味しそうだな!楽しみだ!」


 双魔とティルフィングが椅子に座ると左文が饅頭を一つずつ皿に乗せて配る。薄茶色の皮の小麦饅頭だ。その隣では鏡華がトポトポと湯呑に緑茶を注ぎ、饅頭の皿の隣に置いて回り、四人全員に行き渡った。


 「それではいただきましょうか!熱いのでお気をつけてください」

 「ん、いただきます」

 「いただきますだ!はむっ!はふはふはふっ!あふいっ!あふっ!むぐむぐむぐ……ごくんっ……うむ!美味だ!甘くて美味しい!」

 「……むぐむぐ……ん、美味い。餡も滑らかだな」


 薄い皮の中にこしあんがたっぷりと詰まっている。それでいて皮も弾力があって何とも絶妙だ。


 「よかった。双魔、こしあんの方が好きやもんね」

 「ズズズッ……鏡華はつぶあんの方が好きだろ?」

 「ほほほっ!ちゃんと自分の分も作ったよ?ほら」


 そう言いながら鏡華は饅頭を半分に割って見せた。中には確かに艶やかなこし餡が入っている。


 「私もつぶあんの方が好きですね……もぐっ……もぐもぐ……うん、鏡華様、よく出来ています!」

 「左文はんにも褒めてもらえるんなら安心やわぁ……あむっ……うんうん……美味しい」

 「もう一つ食べてもよいか?」

 「ん、いいぞ」

 「どうぞ、ティルフィングさん」

 「うむ!あー……はむっ!むぐむぐむぐ……」

 「……ズズズッ……ん、美味かった。それじゃあ、晩飯の時間になったら呼んでくれ」


 双魔は湯呑の中を飲み干すと立ち上がった。もう少し考えたいことができたので今のうちに済ませておきたかった。


 「うん、分かった。後で呼びに行くわ」


 双魔は鏡華の返事を聞くとひらひらと手を振って廊下に消えていった。その背中を見つめる鏡華は少しだけ首を傾げる。


 「……なんやろ?双魔、少しおかしなかった?」

 「む?そうなのか?むぐむぐむぐ……」

 「確かに、何かを考えているような様子でしたね……」


 ティルフィングは饅頭を頬張りながら目をぱちくりさせてピンと来ていないが、物心つく前から双魔の世話をしている左文は鏡華の言葉に頷いた。左文もそう思ったのなら鏡華の気のせいということもないだろう。


 「…………はむっ」


 双魔のことが気になりつつ、鏡華は二つに割った饅頭をさらに半分に割って口に放り込むのだった。


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