第5話 乙女の心は浮き沈む
「……ふぁふ……」
翌日の午前八時、双魔は欠伸を噛み締めながら食卓で新聞を読んでいた。
台所では左文が朝食の準備をしている。もうそろそろ出来上がる頃だろう。
「……むぅ……バスクチーズケーキ……食べたことがないが美味しそうだな……」
隣ではティルフィングがテレビに釘付けになっている。毎朝欠かさず観ている話題のスイーツを紹介するニュース番組の一コーナーだ。
「………ふぁー………」
双魔はもう一度欠伸をした今度の欠伸は大きかったので声が出てしまう。昨日は結局よく眠れなかった。それでデートコースの一つでも決まっていればよいのだが結局はノープランだ。鏡華には申し訳ないがどんな場所に行きたいかを聞いて、それから考えるしかない。
昨夜からの思案を引き摺りながら新聞を捲っているとある記事に目が留まった。
「……世界魔術協会序列八十七位、”
如何やらスコットランドの貴族が死んだらしい。名前だけは双魔も耳にしたことがあった。確か、十六世紀くらいから続く格式のある家だ。魔術師としての家系も同様に長い故に代々一角の魔術師を輩出していたはずだ。恐らく跡は嫡子が継ぐのだろう。
「……一流の魔術師が暗殺やら戦争じゃなく病気で死ねるんだから平和な時代だな……」
既に世界大戦勃発の危機から一世紀以上経っている。当時は科学兵器が主流の時代だったが、各国では魔術師たちが暗躍していた。当然、有力な魔術師は敵国の脅威だ。記録や師に聞いた話だと力のある魔術師は戦地に駆り出されるか、暗殺で死ぬのが普通だったらしい。今もキナ臭い魔導界隈であるが世界は平和になったのは確かなのだろう。
「双魔、おはよう!」
「ん、おはようさん………ん?」
「うん?うちの顔、何かついてる?」
双魔は珍しく遅めにリビングに降りてきた鏡華の顔を思わず凝視してしまった。何やらいつもより顔が艶々としているような気がする。
「い、いや……何でもない?」
少し動揺したことを隠したくなった双魔は新聞で顔を隠した。
「?変な双魔……左文はん、おはよう。ごめんな。うちも何か手伝うわ」
「鏡華様、おはようございます。そうしましたらお味噌汁をお願いしてもよろしいですか?」
「うん、分かった」
鏡華は手早くエプロンを着けると台所に消えていった。双魔は何となくその背中を視線で追ってしまう。
(………何か、いつもより明るい?のか?)
「…………婿殿……」
「っ!吃驚した……玻璃か、何だよ?」
首を傾げていると突然後ろから話しかけられた。振り向くと浄玻璃鏡が佇んでいた。同じ家の中にいるのに相変わらず神出鬼没だ。
「……主……が……気に……なる………か?」
「鏡華?いや、まあ……そうだな……何かいつもより明るいような気がするが……」
「……浮か……れて……い……る……のだ……主……は…………婿殿……と……出掛け……る……のが……嬉し……い……と……見え……る……」
「……そうなのか」
「……主……を……頼ん……だ……ぞ……婿殿……」
それだけ言うと浄玻璃鏡は定位置のソファーに座り込んで瞼を閉じてしまった。
鏡華は二人で出掛けようと言っただけで大分、喜んでくれているらしい。嬉しくなると共にやはりしっかりとエスコートせねばという気持ちが強くなる。
(……んー……)
「ソーマ、ソーマ、出掛けるのか?」
「ん?ああ、鏡華とな。悪いんだがティルフィングは……」
「うむ!我は良い子だからお留守番も出来るぞ!」
「ん、いい子だな。お土産買ってくるから……」
「うむ、楽しみにしてるぞ!」
「お待たせー」
「坊ちゃま、新聞の続きは後になさってください」
ティルフィングの頭を撫でてやっていると鏡華と左文がお盆を持って台所から出てきた。うるさく言われては敵わないので双魔は素直に新聞を畳んだ。
味噌汁と言っていたのが聞こえたが、今日の朝は和食だ。目の前に味噌汁、白米、漬物、魚の切り身、納豆が次々と並べられていく。全て並べ終えると鏡華と左文も席に着いた。
「どうぞ、お召し上がりください」
「ん、いただきます」
「いただきます」「いただきますだ!」
いつも通り味噌汁から口をつけ、いつもの朝食が始まった。悩みながら食べる朝食の味はいつもと変わらないはずなのによく分からなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……ん、そろそろか」
時計は十一時半を指していた。鏡華との約束の時間だ。朝食の後、さっさと着替えを済ませた双魔はリビングのソファーでスマートフォンを駆使して周辺のおすすめデートスポットを検索していたのだがピンと来るものは特になく、空振りに終わった。
結局は出たとこ勝負だ。色恋事についてももう少し関心を持っておくべきだったと後悔するがもう遅い。こればかりは今から励むしかない。
とは言いつつもせっかくのデートだ。せめてものという考えから普段はつけないネクタイを着けることにした。というわけで普段のシャツとズボン、薄手のジャケットスタイルに赤とグレーのストライプ柄のネクタイを着けた双魔は鏡華を呼びに行こうと立ち上がった。
「坊ちゃま」
途端に左文に呼ばれた。
「ん?何だ?」
「鏡華様が先に外にお出になっていて欲しいとおっしゃっていますが……」
「そうなのか?ん、分かった」
(……?)
左文の伝言に首を傾げながらも双魔は玄関に向かった。双魔が出発すると察したティルフィングがトテトテと後ろをついてくる。
「ソーマ、何かあったら必ず我を呼ぶのだぞ?」
「ん、分かってるよ。お土産は何がいい?」
「食べられるものなら何でもよいぞ!」
「ククッ!まあ、ティルフィングはそうだよなー」
「む?双魔、何を笑っているのだ?」
「ん?何でもない。それじゃあ、行って来るな」
「うむ!気をつけるのだぞ」
ティルフィングに見送られて玄関を出る。外は晴れていて出歩くには丁度いい気温だった。心地よい風も吹いている。道の向こうでは仲睦まし気な男女二人組が大通りの方へと笑顔で歩いていった。自分も今からああなるのかと思うと面映ゆいものだ。
「…………」
自分らしくないとも思うがそわそわしているのが分かる。鏡華が出てくる気配はまだないが女の子は時間が掛かるものだと思って待つ。
が、そのまま五分が経ち、十分が経ち、十五分、二十分……まだ鏡華は玄関から出て来なかった。スマートフォンを確認すると時刻は既に正午を過ぎていた。流石の双魔もただ待っているわけにはいかなくなってくる。
(……何かあったのか?)
家の中には左文や浄玻璃鏡がいる。もしもはないが少し心配になり、玄関のドアに手を掛けようと振り返ったその時だった。
ガチャリとドアが開いて制服姿の鏡華が出てきた。綺麗な黒髪にはいつも通り真っ赤な曼珠沙華の髪飾りを着けている。
「……双魔、待たせてごめんな?」
これからデートに行くというのに何故かその表情は曇っていた。薄く化粧をしているようだが朝の楽しそうな雰囲気が嘘のようだ。
「お二人とも、お気をつけていってらっしゃいませ……」
見送りに出てきてくれた左文の顔色も何処か優れなかった。
「……ん、じゃあ、行ってくる。帰りは何時になるかまだ決めてないから後で連絡する。鏡華、行こう」
「……うん!せやね」
頷いた鏡華は精一杯の笑みを浮かべているのつもりなのだろうがやはり暗さが抜けきらない。
こうして、久しぶりの二人きりのデートは曇り空のようにスタートしたのだった。
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