第13話


 名前を呼び合い、二人きりの時だけ。もとい、侍女や使用人の前でだけ、膝の上に抱かれるローザ。

 最初は恐る恐る、落としてはいけないと気を遣いながらだったが、段々とコツを掴んで上手く膝の上に座らせることができるようになってきたと喜ぶクラウス。


 少しずつ距離を縮めながら、ふたりは愛を育んできた。

 王家の血を引く公爵家の嫡男とはいえ、さすがに隣国の王女を娶るとなれば話は別だ。

 最初の頃は常に緊張の連続で、間違えてはいないか、これで正しいだろうかと、常に問答しながらの日々。心がすり減り、気持ちがふさぐ時も無いわけではなかった。

 それでも耐えてこられたのはひとえにローザのお陰だった。

 初めて会った時からまっすぐにその想いをクラウスに向けるその態度は、彼の心を奮い立たせるのには十分すぎた。

 年齢の差も、立場の差も越えひたむきに向けるその愛情は、何にも代えがたいほどに熱く、嬉しいものだった。

 婚約を結んでから歳を重ね、その度にローザは美しく花開いていく。

 当初は大人の自分に子供のローザが不釣合いに思えていたが、いつの間にかその思いは逆転をすることになる。

 美しく聡明で、輝かんばかりの王女ローザに対し、先に歳老いて行く自分では不釣合いだと。

 

 かつて隣国マデール帝国の脅威に脅え、小国である両国の為に結ばれた婚約であったが、今となってはマデール帝国の内乱によりその戦力の矛先は内部に向き、小国ごときを相手にすることも無くなった。昔とは状況が大きく変わってきている。

 今ならこの婚約も無かったことにし、ローザはもっと条件の良いところに嫁ぐことも可能なはずだ。むしろローザの母国ストロームでは、それを望んでいるのかもしれない。

 それを考えると、クラウスの心は言い表せない焦燥感に駆られるのだった。

 婚姻の儀まであと一年余り。準備も始まり、今はそのほとんどをペテルセンで過ごすローザは、リューマン公爵家に滞在しクラウスと一緒にいる時間が増えて嬉しそうにしている。それなのに自分は何を考えているのだろうと、時に情けない思いになるのだった。


「クラウス」

「ん? なんだいローザ」


 ローザもまた心穏やかに過ごせないでいた。

 彼の名を呼べば、優しい微笑みと共に自分の名を呼び返してくれる。

 その笑顔に嘘はないはずなのに、時折見せる寂しそうな表情が彼女の心をざわつかせる。クラウスは見目も立場も高位の人間だ。かつては理想の婚姻相手の筆頭として名を連ねていたと聞いている。

 そんな彼にとってみれば自分など社交界デビューしたとはいえ、いつまでたっても子供に見えているに違いない。どんなに歳を重ねても、その身を磨いても、年齢の差が埋まることはなく、彼に相応しい女性になることは出来ないと思っていた。

 


「ねえ。クラウスはこの婚姻をどう思っているのかしら」


 ローザの言葉にドキリとするクラウス。とうとう来るべき時が来たのかと胸を鷲掴みにされる思いだが、大人な自分がそれを気付かれてはならないと必死に耐えて見せた。


「どうとは、どういうことかな?」


「……あなたにとってこの婚姻は、本当は意に添わぬものだったのでしょう?」


 少し間をおいて返事をすれば、彼もまた少し考えるようにゆっくりと答えを口にした。


「ローザ。この婚姻は元々、両国間の繋がりを強固にするためのものだった。隣国のマデール帝国からの戦力に抗うために結ばれたんだ。でも、今となってはその脅威も消え去った。今の君には僕よりももっと相応しい、良い条件の相手も選べるはずだ。

 もし、君自身とストローム王国の想いが合致するのなら、ペテルセンや僕の事は気にする必要はないんだよ。いつでもこの婚約を解消してもらって構わない。君の幸せを一番に考えて欲しいんだ」


 俯きがちに寂しそうな笑みを浮かべるクラウスの言葉に、ローザもまた打ちのめされるような衝撃を受けた。


「それは、どういうこと? 私ではやっぱり子供過ぎて相手にならないって、そういこと?」

「違う! それは違うよ、ローザ。今の君は誰よりも美しく聡明で……、むしろ僕の方が君にそぐわないんだ。これから君は大輪の花のように咲き誇っていく。それなのに、その隣で僕はどんどん萎れていくんだ。君に相応しい男で居られるのは、ほんの短い期間でしかいられないと思う。

……君に見捨てられる未来は、僕には耐えられないかもしれない」


 クラウスは思わず自分の本心を吐露していた。こんなこと言うつもりはなかったのに、ローザの言葉に気が付けば口をついていた。

 捨てられるくらいなら、いっそ今のうちに別れた方がどんなに楽だろうかと、そんなことを思っていたのが災いしたのかもしれない。

 いつも思っていたことが、咄嗟に口から出てしまったのだろう。

 常に大人で居ようと、ローザを支え導ける人間でいようと思っていたのに、こんな姿を見せてしまい、きっと呆れてしまっただろうと諦めの境地になってしまった。

 

「まあ。クラウスったら、そんなことを考えていたの? ふふふ。

 私がクラウスを捨てるなんてあり得ないのに。おかしな人ね」


 ふふふと笑うローザは、少女らしくはにかんだような笑みを浮かべて笑っている。

 これはどうしたことだ?と情けない顔でクラウスがローザを見つめ返すと、向かいに座っていたローザは何のためらいも無くクラウスの膝に座り、彼の頬に手をあて呟く。


「初めて会った時から、私はあなたに恋しているよ。私にとって唯一はあなたなのに。

どれだけ言葉を重ねたら信じてもらえるのかしら。私があなたを嫌いになることも、ましてや捨てるなんてこともあり得ないのよ。

ね。わかって、クラウス」


 ローザは彼の頬に置かれた手を首に回すと、両手ですがる様に抱き着いた。

 彼女の体温が首から伝わってくるのがわかる。暖かいその人肌の温もりがクラウスの固くなった心を溶きほぐしていくようだった。


「ローザ。きっと、幸せにすると誓うよ」

「違うわ、クラウス。二人で幸せになるのよ。一緒に二人で。ね?」


 クラウスの膝の上でほほ笑むローザを、眩しい物を見るように目を細めて見つめていた。


「そうだね。うん、そうだ。二人で一緒に幸せになろう」

「ええ、そうよ。いつまでも一緒に。クラウス」


 どんなに歳を重ね、経験を積んだとしても、きっと彼女には敵わないだろうと思うクラウスだった。

 二人で一緒に幸せになるというが、彼女のお陰で幸せにしてもらえると思うクラウスは、もう完全敗北を認め彼女の尻に敷かれることを喜びにしてしまおうと心に誓うのだった。



「さあ、少し寒くなってきたわ。戻りましょう」


 ひらりと膝の上から滑り降りるように一人で立つローザは、凛として美しい。

 少し先を行くローザを見つめながら、「僕の婚約者は美しいな」そんな言葉が自然とクラウスの口をつき、嬉しそうに彼女の後を追うのだった。

 



~・~・~




 ついにふたりの挙式も目前となった。

 長い婚約期間の中、色々あったけれどふたりは共に手を取り越えて来た。

 ローザにしてみれば全てが新しいことの連続であっという間の日々でも、クラウスにしてみれば決してそうではなかった。

 同年代の者に比べて遅れた婚姻は、後継ぎを成すことも、足元を固めることも全てにおいて遅れを取ってしまっている。

 それでも、これから共に人生を過ごす日々は楽しみで仕方なかった。



「どうだ。待ちに待った花婿の心境は」


 挙式の数日前、第三王子のリチャードの執務室で揶揄うように声をかけられた。

 以前のクラウスなら、揶揄われたことに腹を立てていたかもしれないが、今は違う。


「ああ、楽しみで仕方ないさ。きっと、ローザの花嫁姿は美しいに違いないからね。

 これからは、本当の意味で独り占めできると思うと、顔が緩んでくるよ」


 少しだけ意地の悪いような笑みを浮かべ、リチャードに答える。

 クラウスの答えにリチャードは、安心したような安堵の表情を浮かべていた。


「そうか。それは良かった。実はどうなることかと思ったけど、本当に良かったよ。

 きっと、王女殿下にとってもお前で良かったんだと、今は本気で思う。

 クラウス。おめでとう」


 クラウスの目の前には、彼の手が伸びていた。握手を求めるその手を力強く握り返し、

「心配させたな。俺もローザで良かったと心から思っている。ありがとう」

 親友ともいえる二人は肩を並べ、同時に笑みを浮かべた。

 

「それにしてもさ、楽しみだな。な?」

「なにが?」

「何がって、お前。楽しみだろう? なあ?」

「だから、何が?」


 ここにきて嚙み合わない、意味のない会話が始まりリチャードは我慢ならずに口にする。


「初夜に決まってるだろう! お前、この歳であんなに若い妻を娶るんだ。それも美しい王女をな。これはもう、男として羨ましいを通り越して妬ましいくらいだ」

「はぁ~。知るか、そんなこと」

「なあなあ、実はもう済んでるとか言う? だって婚約期間も長かったし、我慢できなかったとかないの?」

「そんなわけあるか! 王女殿下相手だぞ。何も無いに決まってるだろ、俺の首が飛ぶわ」

「ははは。それもそうか」


 大きな声で笑うリチャードは、納得したようにこの話を終わらせた。

 終わって良かったと安堵するクラウス。もし突っ込まれたら思わず口を滑らせてしまいそうで、内心ヒヤヒヤしていた。

 いやいや、そんなことあるわけないのは事実だが。まあ、そこはそれ。

 何もないわけではない……ということ。


 リチャードと別れ王宮内の廊下を一人歩くクラウス。

 向かった先は花々が咲き乱れる温室。そこでリチャードの妻であるマリアンヌとの茶会をしているローザを迎えに来たのだった。

 少し歩くと、向こうからその相手が歩いてくるのが見えた。

 侍女を連れ、何やら話をしながら歩いている彼女は、クラウスに気が付いていない。

 そんな様子を立ち止まり観察していたクラウス。どんな姿も美しいと、頬を緩めながら見つめていると、ローザが気が付いた。

 嬉しそうに笑みを浮かべ大きく手を振る姿は、とても淑女の手本となるようなそれではないが、自分に向けて一生懸命手を振る姿が愛らしくて、クラウスも思わず手を振り返すのだった。

 

もうすぐ彼女の花嫁姿をみることになるが、今の自然体の彼女もまた得難いものがある。他の誰でもない、自分だけに向けられたその微笑みを、独り占めできる特権を心から喜びつつ、もうすぐ手に入れられる美しい花を愛でるのだった。


 早足で駆け寄り、腕にぶら下がるように抱き着いたローザを抱き寄せ声をかけた。




「僕の麗しの婚約者殿。さあ、帰ろうか」

「はい。私の愛しい婚約者様」


 

 

~おしまい~


お読みいただき、ありがとうございました。

頑張ってハッピーエンドをかきましたが、やっぱり私には合わないんだなと感じました。

たぶん次作はシリアス系になると思います。

もし、お目に止まることがあれば、読んでいただけると嬉しいです。

ありがとうございました。

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僕の婚約者は今日も麗しい 蒼あかり @aoi-akari

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