第11話


 四番目の兄が疑問に思ったこと。

「いつから二人は呼び捨てで呼び合っているんだろう?」

 それはデビュタントの、少し前のお話。



 公爵夫人教育のためにクラウスの元に来ては、義母である彼の母から教えを乞うていた。そんな中、ペテルセンの王子妃たちとも茶会で顔を合せ、中でも第三王子リチャードの妃とは特に気が合った。クラウスがリチャードの側近補佐という立場や友であることを差し引いても、親しみ以上の感情を持つようになっていた。

 リチャードの妻マリアンヌは彼らよりも一つ年下で、元は侯爵令嬢。

 ローザとは年齢差があるものの、妹のように気にかけてくれ仲を深めていった。

 そんなとある茶会での出来事。

 茶会だと聞いたリチャードが少しだけ様子を見に来た時に、二人が名前を呼び捨てにしているのを見て、ローザは驚いてしまった。

 ローザの両親はもちろん、兄夫婦ですら互いを呼び捨てにすることはなかったから。

 二人は気負うことなく自然体で話をしている。まるで本当の恋人同士のように。

 たぶん政略的な結婚であっただろうに、こんなにも近しい関係性を結べていることがとても羨ましく見えた。


「お二人は、恋愛結婚だったのですか?」


 リチャードが場を辞した後、ローザは静かに問いかけた。政略が前提の王族の婚姻。

 気にしている可能性も否定はできないので、後ろに控える侍女たちに聞かれぬよう、小声で聞いてみたのだった。


「あら? 気になりますか? うふふ」

「そ、そういうわけではないのですが。ただ、お二人はとても仲がよろしいようですし。それにお名前で呼び合っていらっしゃって、少し驚いてしまいました」

「まあ、そう見えますか。それは嬉しいわ。もちろん、本当に仲は良い方だと思いますよ」

「どうすれば、お二人のようになれるのでしょう」

「そんなに焦ることはありませんわよ、まだ婚約期間なのですもの。結婚生活はこれからですわ。ゆっくりでよろしいと思いますけれど、中々そうもいかないのかしら?」


 少し俯き気味に視線をさ迷わせるローザの横にスルリと移動すると、マリアンヌは彼女の手にそっと自身の手を添えた。

 姉のような包容力のあるマリアンヌの手は暖かく、心まで温められていく気がする。


「私たちの婚姻はもちろん政略的なものでしたわ。ただ、第三王子という立ち位置が良かったというのもあるのかもしれませんね。

 長兄の王太子夫妻や、第二王子夫妻とも違う。どこか自由な空気の中で過ごさせてもらっているのも大きいと思うのです。

 自然に、極自然にこうなったという感じでしょうか」

「自然に……。羨ましいです。私たちはまだぎこちない雰囲気がどうしても拭えなくて」

「ふふふ。そんなの当たり前ですわ。だってまだ婚約者同志ですもの。それに、国をまたいだ距離ですのよ、どうしたってぎこちなさは拭えないでしょう。

 一緒に暮らすようになって初めて互いを知ることもあるのですもの。婚約者と言ってもまだ他人同士。ぎこちなさは初々しさの証ですわ」

「初々しさ、ですか」

「ええ。ローザ様はまだデビュタント前。その初々しさも含めて全てが眩しく映りますのよ。私たちの方が微笑ましくて、羨ましく思っておりますわ」


 マリアンヌの言葉に少しだけ恥じらいながら、笑みをこぼすローザ。


「私はクラウス様にとっては子供だと思うのです。だから少しでも早く大人になりたいと思っておりました。わがままを言わず聞き分けの良い婚約者であるようにと、いつもそんなことばかりを……」

「まあ! そんなことを? ローザ様、よろしいですか。殿方というものは……」


 マリアンヌがローザの耳元にそっと顔を近づけ、小声で話しかける。

 「え?」「それは……」「でも……」マリアンヌの言葉にローザが言葉を漏らす。

 時に頬を赤らめ、時に驚いたような顔をでマリアンヌを見つめたりと。


 ローザが悩んでいるであろうことはマリアンヌだけでなく、多くの者が思っていたことだ。幼い子供の頃であればまだしも、歳を重ね物心がついてくれば聡明な彼女のこと、他の子よりも早くに苦悩するのではないかと思い至る事実。

 だが、王女としての彼女立場が距離を生み、その苦悩を分かち合う者を拒むのだった。


「ローザ様も嫁いだ先は公爵家ですもの。今よりももっと自由に動けると思いますわ。

 後宮に入ってしまえば堅苦しいことばかりですものね。これからは、もっと自由に好きな事をできますのよ。クラウス様と一緒にどこにでも行けるし、やりたいことも出来るなんて素敵ですし、楽しみですわね」

「自由に……」

「ええ、王女と言う立場よりもはるかに自由がききますわ。うふふ」


 ローザはマリアンヌの言葉に、心が浮かれてくるのが自分でもわかった。

 今も王女としてある程度は自由に過ごさせてもらっていると思っている。それでも、立場や警備の面で出来ない事も多い。

 行きたい場所も、やりたいことも人並みにあるけれど、王女して我慢をすることが当たりまえになっている。

 しかし、これからは王女としてではなく、公爵夫人として今よりも自由な生活が待っているという事実を知り、嬉しく思い自然に顔がほころんでくるのだった。


「まずは、おねだりをすることから始めれば良いのですわ。ね?」


 マリアンヌは屈託のない笑みを浮かべ、ウインクをローザに送った。

 淑女がウインクをするなんてと乳母が見たら叱られそうだが、こんなに自由に振る舞うマリアンヌが羨ましく、憧れを抱きつつ、「はい。まずはそこからですね」と頷いてみせた。



 マリアンヌとの茶会を後にし、公爵邸に戻ったローザは晩餐の後クラウスとともにお茶の時間を過ごしていた。

 今日の茶会でマリアンヌに耳打ちされたこと。自分に出来るだろうかと思うことも多々あったが、彼女の自由な姿に憧れたローザは一つ、一つこなしてみようと決心した。


「クラウス様。クラウス様は夫婦とはどのようなものだとお思いですか?」

「夫婦ですか。これは難しい質問ですねぇ。う~ん、お互いを尊重し、愛を持って接することでしょうか」

「まあ、兄と同じようなことをおっしゃるのですね。

「兄上? 王太子殿下ですか?」

「ええ。実は、初めてこのペテルセンに来る馬車の中で、夫婦とはどのようなものか兄に聞いたのです。兄は、互いを大切にし、思いやることと言っていましたが、付き添った乳母が言うには、その兄の代わりをするのが夫になる方の特権だと」

「え? 特権?」

「はい。私を独り占めできるようになるのが、夫になる方の特権だと」

「なるほど、それはそうかもしれませんね。互いを独占するという考えは間違いではないと思います」


 フムフムと、訳知り顔で頷くクラウスだったが、まさかこの後にとんでもない衝撃が待ち構えていようとは思ってもいなかったのだった。




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