第12話


「実は、我が家族の間には決まりごとがあるのです」

「決まりごと? ですか」

「ええ。決まりと言うか、約束ごととでも言いましょうか」

「へえ。なんでしょう、聞いてみたいですね」


 興味津々に身を乗り出して聞きたがるクラウスに、ローザは毎日のお茶の時間で兄達の膝の上に順番に座ることを話して聞かせた。


「え? 王子たちの膝の上に、ですか? あ、それは今もまだ?」

「ええ。今も順番に兄達の膝に……。呆れられました、よね」


 俯きがちに答えるローザの肩がわずかに揺れた気がしたクラウスは、

「いえ、そんな。呆れたりはしませんよ。幼い頃からそれが普通なら、それもアリでしょう。ええ、全然アリですよ」


 なるべく動揺をみせないよう話すクラウスの顔は、どこか引き攣ったような笑みを浮かべていた。

 幼い頃ならまだしも、十分女性として成長した今になっても……。とは言いだせないクラウスは、衝撃を飲み込み平常心を保つ努力をした。


「本当ですか? 本当に呆れてはいらっしゃらない?」

「ええ。私は一人っ子ですので、むしろ兄妹仲が良くて羨ましいくらいです」

「ああ、良かった。クラウス様ならきっとそう言ってくださると思っていたのです」


 心底安心したような笑みを向けるローザを見て、答えが間違っていなかったと安堵した。したはずだったのだが、さらに追い打ちをかけるようにローザは言葉を重ねる。


「乳母には結婚式の済んだ後、夫婦になってからと言われたのですが。私たちはすでに長い年月を婚約者として過ごしてきていますでしょう? もはや夫婦も同然だと思うのですが。どう思われますか?」

「え? まあ、そうですね。そうかもしれませんね。長い年月を婚約者として過ごした事実は紛れもない事実ですから。そう考えるのもおかしくはないと思います」

「ほんとうに?! ああ、良かった。私の勝手な思い込みで終ったらどうしようかと思っていたのです。でしたら、クラウス様。よろしいですわよね?」


「ね?」と、小首をかしげて見上げるローザの姿は大変可愛らしく、そして愛らしい。

 子供だと思っていたのに、いつのまにかその想いは恋愛の対象として見るに申し分ないほどの女性として変貌していた。

 そんな彼女に「ね?」とおねだりにも似た態度を取られて嫌な気持ちになるはずが無い。なるはずが無いけれど、何の「ね?」なのかがわからない。

 自分を可愛らしく見上げるローザを眺めつつ、戸惑ながら「え?」と返事をするクラウス。そんなクラウスに両手を伸ばして「クラウス様」と、甘えた声で名を呼ばれドギマギするしかなかった。


 両手を伸ばしはにかむように微笑むローザを見て、ぼんやりと遠い過去の記憶がよみがえってきた。


「昔も、こんなことがあったような気が……」


 そんなクラウスの独り言のような声に、「まあ、覚えておいでですか?」と、ローザが喜びの声を上げた。

 

「私ったら何も知らなくて、それが普通だと思っていたものですから。当り前のようにクラウス様のお膝に抱かれるのが当然だと思い込んでいたのです。

 乳母にそれは結婚して夫婦になってからだと教えられまして、お恥ずかしいですわ。

 でも、もう夫婦も同然ですものね、これからはクラウス様のお膝は私のものですわよね?」


「ね?」と小首をかしげ見上げるローザの顔が愛らしすぎて、クラウスは眩暈を覚えた。

 ここは公爵家の談話室。いくら婚約者同志とはいえ、周りには侍女たちがいる。

 ふたりに気遣い壁際に下がっているので、今の会話は聞こえていない……ことを信じたい。だが、いくら王女ローザの願いでも、こればっかりはどうしたものかと悩んでいると。


「クラウス様。やはりお嫌ですわよね」


 寂しそうにうつむくローザの姿が余りにも儚げで、クラウスも苦しい気持ちになってしまう。


「ローザ様。いくら夫婦同然とはいえ、まだ神の前で誓ったわけではありません。

 そこはやはり分別を持つべきだと思うのです」


 至極もっともな理由を述べてなんとか逃げようとするクラウス。

 それに対し今夜のローザは強気で攻めの一手。


「あら、今時の神様はそんな狭量ではありませんわよ。大丈夫ですわ。誰も見ていませんから」

「え? いや、我が家の侍女が見てい……」

「まあ。みんなは何も見ていないわよね?」


 後ろに控える侍女に向かって声をかけるローザ。

 王女殿下にこのように言われて「見ています」など、口が裂けても言えない。

 その場で大袈裟に下を向く侍女たちに、「さすが公爵家。教育ができておりますのね」と、ご満悦そうに微笑んだ。


「さあ、クラウス様」


 そう言って両手を差し出すローザを見つめ、クラウスは頬を赤らめつつ覚悟を決めたのだった。

 そっとローザの腰に手を添えると、自分の膝の上にゆっくりと下ろした。

 いい年をした男でありながら真面目で初心なクラウスは、勝手がわからず緊張で指の震えを気付かれないように何とか我慢する。


「クラウス様。ずり落ちないように支えてくださいませんと、私が怪我をしてしまいます」

「あ、それは失礼。これでいいでしょうか?」


 横向きに座るローザの腰に手を回し、しっかりと支えるように抱きかかえた。


「ありがとうございます。クラウス」


 ウフフとほほ笑んだローザの口から自分の名が告げられた。

 しかも呼び捨てで。

 驚きで目を見開き膝の上のローザを見つめると、


「第三王子妃のマリアンヌ様たちも、名前で呼びあっておりますのよ。今日の茶会で私、羨ましくて、つい。

 ね、私達もそうしません? よろしいでしょう。クラウス」


 薄っすらとほほ笑むローザの顔が、どことなく小悪魔のように見えるのは気のせいだろうかと思いながら、クラウスは言葉を捜していた。

 いや、捜すまでもないのはわかっている。膝の上の婚約者がそれをご所望なのだ。

 真面目すぎて女遊びの一つもしてこなかった故に、免疫が一片もないクラウスには高いハードルだ。だが、王女を娶ると決めた日から、こんな日が来ると思っていた……、わけではないが。男らしく覚悟を決めるしかなかった。


「ロ、ローザ」


 真っ赤に頬を染め視線を反らしたまま、彼女の名を呼ぶ。

 恥ずかしさのあまり膝の上の主の顔が見られない。

 無言で過ぎる時間にたまらずゆっくりと顔を上げれば、そこには嬉しそうに満面の笑みを浮かべたローザがいた。


 ああ、どうやら正解だったらしい。と、安心しながら大きく息を吐くクラウスだった。



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