第10話


 クラウスとローザの長い婚約期間の間、何もないわけがない。

 紆余曲折を乗り越え、互いの信頼を掴み取り、想いを積み重ねての今である。

 十六歳でデビュタントを迎えるペテルセン王国にならい、王宮で行われる秋の建国記念日をローザの社交界デビューとした。

 本来であれば社交シーズンが始まる雪解けの春に一斉にデビュタントを招くのだが、他の令嬢とは一線を画するためにこの日を選んだ。

 この夜会の数日前からローザはすでにリューマン公爵家へ滞在し、これからは次期公爵夫人として社交の場に参加する予定となっている。

この日、ストローム王国の王太子夫妻と一緒に一番下の兄も参加し、ここペテルセンへの留学を発表した。


「これからは何かあればすぐに僕に言うんだよ。兄弟の中で一番僕が近くにいるんだ、存分に頼っておくれ」

「あら、四番目の兄様。これからは何かあればクラウス様がいらっしゃいますもの。お兄様を頼ったりはしませんわ。それよりも、お兄様はしっかりとストローム王国とペテルセン王国の橋渡しができるよう、鉱業と農業を学ばれてくださいね。

 私もそのお手伝いは惜しみません。義父様である公爵閣下にも許可はもらっております。クラウス様も良しとしてくれておりますから、いつでも私を頼ってくださいませ」


 元々聡明で利発なローザは、二国間を行き来するうちに両国の知識を十分に吸収している。幼い頃から王女教育とともに公爵夫人としての教育もこなしている。

 学園に通っていないために同年代の人脈は薄いが、知識量から言えば相当なものだ。

 

「ははは。四番目よ。どうやらお前の出る幕はないようだぞ。どうする?今からでも留学を取りやめるか?」


 兄王太子に痛い所を突かれ、苦い顔をする四番目の兄。

 本来なら自分が一番近くにいて、ローザに頼られる未来を描いていたのにその希望は儚くも散ってしまった。


「ローザにとっては身近に兄がいるのは心強いはずです。いつでも我が公爵家へ遊びに来ていただきたい。私も兄弟が出来たようで嬉しいのです。ね、兄上」


 クラウスの言葉に面白くないと思いつつも、四番目ともなればたとえ王子であってもその地盤は盤石ではない。

 両国との懸け橋になるよう、互いの産業を勉強することで自分の存在価値を示したい。そんな思惑をもっての留学だった。本当ならローザの婚約者のクラウスのマウントを取ってやろうと思っていたが、それも出来なかった。

 それでも彼の隣に並ぶ妹はとても幸せそうに笑顔を浮かべている。

 弟稼業には慣れている。ならば、ここペテルセンで彼の弟役を演じつつ、甘い蜜でも吸ってやるかと気持ちを新たにする四番目の兄だった。


 ……たぶん、そんなことを思っているのだろうなと、兄王太子は四番目の弟を見ながら考えていた。

 婚約者であるクラウスの隣に立つ妹ローザは、誰が見ても幸せそうだ。

 年齢の差を心配したこともあったが、それも今となっては杞憂に終わったと思っている。唯一の王女であり、皆に可愛がられて育ったローザだったが、彼女の幸せを皆が願っていた。出来るなら政略では無く、愛ある結婚をして欲しいと思っていたのに、蓋を開ければ一番の政略結婚を強いてしまった。

 兄として、次期国王である王太子としても胸が痛かった。

 それでも今見た妹の顔は、誇らしく咲く花のように美しい。何よりも婚約者であるクラウスもローザを大事にしてくれている。そこに男女の愛情があるかはわからない。

 子供の頃を知るからこそ、情愛が湧いてこない可能性もある。もし自分が彼の立場なら、一人の女性として見られるかどうかわからないと思うから。

 それでも、愛おしそうに見つめる彼の瞳の熱は本物だと思うし、これ以上ない相手だとも確信している。

 そんな妹ローザを、少しだけ寂しく見つめる兄王太子だった。



「ローザ、ファーストダンスだ。お手をどうぞ」

「はい、クラウス。参りましょう」


 クラウスの差し出した手を取り、ローザは舞踏場の中央へと進み出る。

 王女して、公爵夫人として十分にダンスの練習も受けて来た。

 その身のこなしはもちろん、指の先にすら神経を渡らすように踊る姿は、息を呑むほどに美しい。まだ幼さの残る風貌でも、その気品はすでに一流の淑女そのもの。


「皆がローザを見ている。今夜の君は誰よりも美しい」

「ふふふ。だとしたら、クラウスが私を美しくしてくださっているのですわ。ありがとうございます」

「ローザはいつも僕の欲しい言葉を口にしてくれる」

「まあ。だって、私はあなたの。あなただけのものなのでしょう。そして、あなたも私だけのもの。違いますか?」

「いや、違わない。その通りだよ。僕の愛しい婚約者殿」

「私の愛しいクラウス」


 ファーストダンスと言えないほどの見事な足さばき。

 そして、見る者が頬を赤らめたくなるほどに近しい距離感。

 誰か突っ込めよと思わなくもないが、長い婚約期間を経ての今日は皆が知っているだけに仕方が無いと思われていることなど、当の本人たちは知る由もない。


「そう言えば、あの二人呼び捨てで呼び合っているよね。いつからだろう?」

「ああ、そう言えばそうだな」


 そんな兄弟の会話を横で聞いていた義姉である王太子妃が、

「良いではありませんか。幸せそうな二人の姿が見られて安心しましたわ。

 さあ、あなた。私達も踊りませんか?」

「そうだな、では行くか」

「え? ちょっと待ってよ。僕一人になっちゃうじゃない」

「だったらお前も令嬢を誘え。四番目でも王子だ、後ろを見てみろ。婚約者のいない令嬢が列を作っているぞ」

「え? 本当?」


 兄に言われ後ろを振り向くも、列など当然できているわけもなく、しょんぼりと肩を落とすのだった。

 さすがに列は出来ないが、それでも熱視線を向けられていることに気が付くほど彼は恋愛の機微には疎く、春はまだ遠そうだった。



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