第9話


 女性と一緒にいるところを見られたクラウスは、あの日王宮内の一室で公娼をあてがわれていたのだった。

 巷にはびこる娼館などは、一般的にもぐりの館も多い。

 公的に国が認めた公娼と呼ばれる女性たちは、出自がしっかりとしており、淑女教育もきちんと為されている。

 故に客として相手をするのは、高位貴族になることが多い。それは王族も含まれる。

 公に愛妾を持つことを許されない身分の御方でも、やはりつまみ食いはしたいところ。

 ましてやクラウスは、隣国の王女を婚約者に持ちながら外で娼婦を買うこともできず、妾を持つことも、ましてや一夜限りのお遊びすらも叶わない。どこで誰が見ているかわからないのだから。

 それでも二十四歳という男盛りの青年に、婚姻まで我慢を強いるのは気の毒と言うものだ。それに何も知らぬまま王女相手に初夜を迎え、失敗は許されない。……たぶん。

 そんなわけで、王家が内密に公娼を用意し、練習の意味も込めて……ゴニョゴニョ。


 と、そんなところを見られたわけである。

 本来なら相手も仕事と割り切っているのだからそのまま一人帰れば良いものを、生真面目で優しいクラウスは馬車に乗るところまで付き添う事を常としていた。

 ただし、手を引いてエスコートをしたりはしない。相手の公娼もそこはきちんとわきまえており、優しいクラウスに付け込んだりは決してしない。

 あと腐れの無い関係。情が移らぬよう、私的な交流は全くない関係。

 そんな姿を婚約者に見られていたとは知らないクラウスは、スッキリとした表情で公爵邸に着いたのだった。


 時を同じくする頃、婚約鞘のそんな姿を見てしまったローザもまた、公爵邸へと向かう馬車に乗っていた。ただし、かなりの大回りをしながら。

 ローザの乳母である侍女が頼み、しばし王都内見物と称し馬車を走らせていた。

 馬車の中では少しばかりの性教育が始まっている。具体的な夜伽の説明はまた今度。自国に戻ってからゆっくりと。

 しかしながら、この場を丸く収めるには彼女に男の性を理解してもらわねばならないと判断した乳母は、馬車の中で女子トークが始めるのだった。


「ローザ様。先ほどのクラウス様はたぶん、ご想像の通りでございます。

 しかしながら、これは致し方のない部分もあることかと思います」

「浮気……ということ?」

「ローザ様……。どこでそのような言葉を覚えたのかは、今は置いておきましょう。

 この場合、たぶん浮気とは違うのではないかと思います」

「でも、それらしい女性と一緒にいたわ。浮気でしょう? そうに決まっているわ」

「ローザ様、よろしいですか。男性というのは……」


 乳母の口からやんわりと遠回しに語られる話を、わかったような、わからないような不思議な気持ちで聞いているローザ。

 とりあえず、男性には女性ではわからない衝動があるのはわかった。

 そして、それを浮気ととらえるかどうかは、人によるという事も理解できた。

 たぶん今回のようなことは初めてではないこと、しかもそれを国王陛下自らが用意しているだろうことも。そうでなければ王宮の部屋を使わせるようなことはできないから。

 納得がいくかと聞かれれば行かないけれど、とりあえず乳母のお陰で冷静さは取り戻していた。

 

「こういう時は婚約者としてドンと構えていらっしゃれば良いのです。何があろうともクラウス様がローザ様の手を離すことはあり得ませんから」

「……そうね」


 馬車の窓を流れるペテルセンの王都の景色をぼんやりと眺めながら、クラウスに対して自然な笑みが作れるだろうかと少しだけ心配をするローザだった。



 そんなローザの胸中など知らないクラウスは、公爵邸に着き馬車から降りると、待ち構えていた王家の従者から文を手渡された。

「リチャード殿下より、直接お渡しするように言付かりました」

 そう言いながら、半ば強引にクラウスの胸元に押し付け、その手に握らせた。

「では」そう言って騎乗すると、颯爽と駆けていくのだった。

 自分よりも早く着くなんて「さすが王家の早馬。それにしても、早すぎないか?」と、小言を言いながらリチャードからの文を開くクラウス。そこには、白い便箋に一行。


『ばれた すまん』


 ばれた? なにが? と、しばし考えこんでいたら、家令が邸から顔を出し出迎えてくれた。


「お帰りなさいませ、坊ちゃま。王家からの使いでしたが、中でお待ちいただくようお伝えしましたが頑なに拒まれまして。しかし用件はお済みのようで、ようございました。

 それと、婚約者のローザ殿下が一日早くお着きになられ、坊ちゃまを追って王宮に向かわれたのですが、お会いにはなられませんでしたか? 行き違いになられたのでしょうか。それは残念でございました。またお迎えに参られますか? それともこのままお待ちになられますか?」

「ローザ様が?」

「はい。昼過ぎくらいでしたでしょうか。坊ちゃまは王宮に向かわれたと執事がお伝えしましたら、陛下への挨拶も兼ねて会いに行くと申されまして」

「え? いや。あぁぁぁぁぁぁ?」


 家令の言葉と、リチャードの文の言葉。この二つが重なり、クラウスの疑問符に答えが舞い降りて来た。


「ああ、それはちょっと」

「坊ちゃま、どうされました? お加減でも?」


 額に手を置き何やら奇声めいた声を発するクラウスを心配し声をかける家令に、「いや、大丈夫だ。なんでもない」そう言っておぼつかない足取りで自室に向かうのだった。

 二階の階段を上りながら、突然思い出したように振り向くと、

「ローザ様が着かれたら教えてくれ! 頼む」

「はい。かしこまりました」


 何やらいつもと雰囲気の違うクラウスを見て、何か仕出かしたと悟った家令は、ローザ到着後の段取りを何通りも考え始めていたのだった。



 公爵家の門をローザの馬車がくぐるとすぐにクラウスが呼び戻され、ローザの到着を玄関先で迎えていた。

 馬車が止まるなり近づいたクラウス自ら扉を開き、ローザを迎えるべくその手を差し出すのだった。


「ローザ様、ご無事の到着何よりでした。王宮では行き違いになってしまったようで、申し訳ありません。今宵はどうかゆっくりと体を休まれてください」


 考えに考え抜いたクラウスが出した答えは『何も知らないことにする』だった。

 実際、クラウスは王宮内でローザの姿を確認していない。行き違いになったという事実は他人から聞かされただけのこと。ならば、バレていないという設定で接した方が面倒がないという逃げの一手である。

 何か言われても知らぬ存ぜぬで押し通すつもりでもいた。これは王家が直々に段どってくれたことだ。それを一臣下の自分が断ることなどできないのだから、不貞ではない。断じてないと自分に言い聞かせ、自分を奮い立たせていた。

 無理に作った笑顔が強張っている気もするが、気にしない。


「クラウス様。お出迎えありがとうございます。やっと、お会い出来ました」


 そう言って差し出された手を握り、クラウスはローザを支え自分の横に導いた。

 心なしか少しだけ怒っているような、寂しそうな顔をしている気もするが、それは自分の邪な心が見せているせいだと思い込み、何事もないようにローザを邸に案内するのだった。

 ローザは休憩を挟みながら湯あみをした後、いつものように晩餐の席に着いた。

 何事もなかったかのように振る舞い笑顔を向けて来るローザに心底安心したのか、クラウスはやっと心からの笑みを浮かべることができた。

 ローザも、モヤモヤした物を胸に抱きつつ、いつもと変わらず大事してくれるクラウスに安心し、いつしか大したことではなかったのだと思えるようになっていた。



 それから一年後。

ローザは十五歳になり、後一年後に挙式を迎える段になり夜伽教育を受け始めた。

そこで、クラウスの行動の意味が分かると、フツフツと怒りが沸き上がり遠い隣国で地団太を踏んでいた。そして、勢いのまま文を送りつけるのだった。


『二度目はありません。お覚悟なさいませ』


 たった一行。ローザの書く美しい文字が綴られた手紙を読みながら、何のことかわからず戸惑うクラウス。一年も前のことなど、とうに彼の頭からは消え去っていた。

 ふたりの仲は問題なく深まっていると思っていた彼にとって、彼女を怒らせた理由がわからない。

 考えに考えて、ようやくたどり着いた過去の記憶。

 この時、妻に一生頭が上がらない自分の生涯を確信し、恐怖に恐れおののき、身震いするクラウスだった。

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