第3話


 急な婚姻話に戸惑うのは何もクラウスだけではない。

 むしろ、まだまだ幼さの残るローザも心をざわつかせていた。

 まだ十歳とはいえ、彼女もまた王女としての責任はすでに理解している。

 自分の想いが叶えられることなど無いとわかっているし、それにあった教育も受けていた。

 山を切り開き、鉱物などの資源を取り出す仕事は男達の仕事だ。

 生半可な思いや体力では務まらない。そんな気性の激しさを持つ国民性もあり、ローザもまた守られるだけの姫ではなかった。

 むしろ、上の兄達よりもその気質は強く、わずか十歳にして政にも興味を示すほどだった。


「ローザ。本当にお嫁に行ってしまうのか?」


 夕食の後、ローザは家族でお茶を楽しむのが常だった。

 そして、そんなローザの居場所は兄達の膝の上。それも順番に。それが彼女の定位置だった。


「第一お兄様。またそのお話しですか? もう決まったことですわ、諦めてください」

「ああ、私の可愛いローザ。これが諦められるだろうか? こんなこと……」


 そう言って、膝に乗せたローザの頭に顔を埋め、さめざめと泣き始めた。


「第一兄様。ローザの美しい髪が汚れます。おやめください」


 氷のような視線と剣のように鋭い言葉が、第二王子の口から飛び出る。


「お前たちは寂しくないのか? 薄情者め!」

「第一兄上、いい加減にしてください。ローザも納得の上です。だがな、ローザ。何かあえばいつでもこの第三兄に言うんだぞ。我が国の騎士団を引き連れ、お前を助けに行くからな」

「それならば、第二兄である私はペセルテン王国との国境沿いに婿に行くことが決まっている。何かあればいつでも私を頼っておいで、いいね」

「それなら四番目の僕は、ローザの輿入れと共にペテルセンに留学予定だからね。一番に君を守れるのは僕だよ。安心して」


 それぞれが、それぞれを牽制しながら、自分を売り込むのに必死になっている。

 今日は第一兄の膝の上に座っているローザも、明日は第二兄の膝の上に座ることが決まっている。その次は第三兄、そしてその次は第四兄。

 そうして順番に彼らに可愛がってもらう十歳のローザは、それに付き合うだけの大きな器を持ち合わせているよくできた妹だった。


「お兄様たち、ありがとうございます。ローザは幸せものですね」


 第一兄の膝の上でほほ笑む姿に兄達は頬を緩め、ローザを見つめていた。

 そんな兄妹の間に国王である父と、王妃である母が顔を出す。

 いくつになっても仲睦まじい二人にローザは駆け寄り父に抱き着いた。


「おやおや。ローザはいつまで経っても甘えん坊さんだな」と、崩れた顔を隠すこともせずに、ひょいっと抱き上げるとそのままソファーに腰をかけた。

 それを見た第一兄は「仕方ありません。今日の所は父上に譲ります」と、悔しそうに視線を反らすのだった。

 そんなローザたちの隣に座った母から「ローザに早馬での届け物よ」と、満面の笑みで何やら包みを手渡した。

「私にですか?」と、受け取った包みの宛名は、隣国にいるというまだ見ぬ婚約者の名だった。


「クラウス・リューマン」


 ローザの口から呟かれたその名を聞いて、その場に居合わせた兄達はざわめき立つ。

「クラウス・リューマンだって?」

「たしか、そんな名だったよね?」

「本当に?」

「何の用だろう?」


 そんな意味も無い会話をしている兄達を尻目に、ローザは包みを丁寧に解き始めた。

 何やら箱のような固い物が入っていると感じながら、紐を解き包みを開いていく。何重にも厳重に包まれた中には、手紙と小さな宝石箱が一つ。

「宝石箱?」「婚約指輪じゃないよね」「いや、気が早いだろう」「サイズも変わるよ」

 などとローザの手元を覗き込み、聞こえてくる兄達の声を右から左に受け流し、ローザは宝石箱をそっと開ける。中には美しく輝くサファイアの髪飾りが入っていた。

 大粒の紺碧のサファイアが一粒。その周りには小粒のダイヤモンドがぐるりと取り囲み光り輝いていた。


「サファイアね」と、母の声に「これは我が国から採掘されたサファイアです」と、答えるローザ。


「なんで、サファイア?」

「ローザがそう言うなら、我が国の物なんだろうね」

「紺碧など、ローザには一片も無い色だ」

「ローザじゃないよ。相手の色なんじゃない?」


 兄達は、相も変わらず好き勝手なことを口にしている。

 そんな四人を無視しつつ、「つけてあげるわ」そう言って王妃は母の顔に戻り、宝石箱から髪飾りを取り出すとローザの銀髪の髪にそっとつけてくれた。

 サラサラと流れるような銀髪の髪に、紺碧に光り輝くサファイアはとても映えていた。

 侍女から手鏡を受け取ったローザは、鏡越しにそれを確認する。


「きれい」


 包みの中には手紙も同封されていた。

 皆に急かされ封を開く。中からは便箋一枚に短い文章が書かれていた。


『私の瞳の色は紺碧。同じ色の宝石を、あなたに身に着けて欲しいと願っています』


 婚約者となる相手から初めてもらった手紙に、ローザの心は踊る。

 まだ十歳。されど十歳。元々聡明な彼女は王女として教育を受け、同年齢の子よりもはるかに早熟していた。

 教育も先を行き、その知識量は目を見張るものがある。髪飾りのサファイアも自国ストローム王国の物だと一目で見抜いたほどに。


「立派なお品ね。まだデビュタント前のあなたには華美すぎず、丁度良いんじゃないかしら」


 そう言って微笑む母に、ローザの頬も自然に緩んでくる。


「これをつけて、ペテルセンに行きたいと思います」



 宝石一つで、彼女はすでに淑女の階段を一段上ったのだった。

 王女として、幼いなりに淑女としての覚悟がこの日、彼女の心を決めたのだった。



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