第6話


 宮殿の前にローザたちを乗せた馬車が止まると、ペテルセン側の緊張は一気に強くなる。クラウスの足は、ローザを迎えるべく自然に一歩、二歩と足が前に進むのだった。

 最初に降りたのは王太子。迎えるのもまた、ペテルセンの王太子。

 そして、次に降りるのは……。皆が期待を込めた眼差しで見つめる中、前に少し進み出たクラウスは、馬車の中から少しだけ顔を覗かせたローザと自然に視線が重なり合った。

 いくつになっても緊張はするものだ。公爵家の嫡男としてそれなりに場数は踏んでいる。それでも、自らの婚約者を迎える役目は生まれて初めてのこと。

 もらった絵姿と同じ、可愛らしい姿の婚約者がそこにいた。

 視線が重なり合った後、ふわりとほほ笑んだ彼女を見て、自然に自分の頬が緩むのを感じ少しだけ気恥ずかしさを覚える。


「クラウス・リューマン殿かな? 我が妹の婚約者として、彼女の手を取ってもらえるだろうか?」


 ストロームの王太子に声をかけられ、クラウスは「ありがたき幸せでございます。どうぞ、王女殿下。この手をお取りください」

 馬車の前に手を差し出すと、まだ小さな手がゆっくりとクラウスの手に乗せられる。

 白い手袋越しにもわかる、細く華奢な指先。こんな幼い姫の手を取りエスコートなどしたことはないが、それでも握られた指の力は思った以上に力強かった。

 馬車から降りた王女はクラウスの手を取り堂々と歩いている。

 横に並び、時折見上げるように見つめる視線を感じつつ、クラウスは思った以上に大人びた王女に、安堵と少しばかりの戸惑いを感じていた。

 十歳など子供だと思っていたのに、王女教育の賜物といったところか?と考えていた。


 ペテルセンの国王夫妻、王太子と第二王子夫妻との目通しの後、ローザとクラウスはお役御免とばかりにその場を放り出され、今は王族のみが入ることを許される奥庭園を歩いていた。

 王宮の門をくぐった先の庭園とはまた違った花が咲き誇り、二人の目を楽しませる。

 ここでもクラウスは王女の手を取り、並んで歩く。何を話して良いかがわからず、かといってこの庭園に咲く花の名も知らないクラウスには、もはや拷問に近かった。だが、その苦しさが顔にだけは出ないようにと、それだけを気にしていた。

 無言で歩いてもそこはそれ。室内よりも空気の流れは穏やかで、会話が無くとも何となく場が持つものだったりする。それをありがたいと素直に感じるクラウスだった。


 少し歩くと四阿があり、そこにはお茶の用意がすでにしてあった。さすが王家、準備が良いと喜び「王女殿下、あの四阿で少し休憩はいかがでしょう?」そう言いながら、半ば強引に王女を誘い込んだ。

 王女をエスコートし席に案内するも、王女は何故か座ろうとしない。はて?お茶の気分ではないのか?と思っていたら、何やら王女が両手を広げクラウスの顔を見つめている。

 存外に「ほら、早く」とでも言いたげな顔をしながら。

 これはどうしたことだ? まさか抱っこして椅子に座らせろとでも言うのか? そんな、いくら子供でもここまで淑女らしい振る舞いが出来る子がそれはないだろうと思っていたら。王女は両手を広げながら小首をかしげてくる。

 いや、それはそれで可愛いらしいが、いや、しかし。その両手はなんだ? 聞いても良いのか?と考え込んでいたら、彼女の侍女が王女に近づき何やら耳打ちをしていた。

 小声でクラウスには残念ながら聞こえなかったが、「え? そうなの?」と、軽く驚いた後で、「失礼しました」と自らの足で歩き椅子に腰かけた。その仕草は決して子供などではなく、淑女らしい立ち居振る舞いだった。

 いったい全体、あれはなんだったんだろうと思うも、王女と侍女の様子を見るに、聞いてはいけないことのような気がしてクラウスは見なかったことにした。

 

「王女殿下、これはペテルセンで採れた茶葉です。お口にあいますか?」と、問えば、

「はい。とても美味しいです」と返事が返る。

 そして、何やらもの言いたげにチラチラとクラウスを覗き見するように視線を飛ばしてくるのだ。何かあったのかと思った彼は王女に声をかけた。


「王女殿下、どうかされましたか? 侍女を呼んだ方が?」

「いえ、何もないのです。ただ……」

「ただ?」

「はい。私のことは、どうか名前で呼んでくださいませんか?」

「え? お名前で?」


 クラウスは驚いた。まだ会って間もない二人。確かに婚約者同志ではあるけれど、それでも相手は一国の王女殿下。彼女がこの国に輿入れするにはまだ何年もあるため、少しずつその距離を縮められれば良いと思っていたのに。これはまた、どうしたものかと思ってはみたが、王女の頼みを断る術はない。クラウスは思い切ってその名を呼んだ。


「お名前をお呼びする権利をいただき、ありがとうございます。では、私のこともクラウスと名でお呼びください。ローザ様」


 クラウスの返事に一瞬言葉が詰まったように感じたが「クラウス様?」と、可愛らしい声が彼の名を呼んだ。これはこれでアリだと思うクラウスだった。

 

「クラウス様」

「はい、なんでしょう。ローザ様」

「ふふふ。クラウス様」

「はい。ローザ様」

「ふふふ……」


 口に手をあて、薄っすらと頬を染めながらほほ笑みクラウスの名を口にする。

 いったいこれは何のプレイだと思いながらも、楽しそうに喜んでいるローザを見て、本人が満足しているなら、まあ良いかと思う事にした。

 念のためチラリと彼女の侍女を見れば、侍女もまた若干頬を緩めているようだったので、間違いではないと理解した。


 とりあえず、第一関門は突破したと、胸を撫でおろすクラウスであった。


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