終 -エピローグ-

「ふーん……なるほどねぇ。そいつは本当にご苦労なこった」

 賑わう駅前のビルの一角にある居酒屋に連れ込まれて一時間後、渋々事の顛末を話したらチャラい色付きサングラスをかけたままの丈伍が日本酒を飲んで臭い息を吐いた。そして拗ねたように唇を尖らせる。

「なんで俺に教えてくれんかったんよ」

 僕は首を傾げた。

「なんでいちいち言わなきゃならないんだよ」

「あーあーあ! やっぱりな! にぃは俺を弟としか思っとらん! なぁ、俺もう三十なんやけど? いつまで子供扱いすんの? ねぇ、弐支にぃも黙っとらんでなんとか言えや!」

 急に怒り出す従弟の横でビクッと肩を上げる弐支は薄っぺらく細長い体躯をどうにかして縮こまろうとしていた。本当は僕と二人でサシ飲みの予定で街へ繰り出したのに、丈伍がたまたま近くまで出てきているというので誘ったら絡み酒に遭う羽目に。弐支は幸薄そうな三角の輪郭を頑なに見せようとはしなかった。彼は昔から丈伍が苦手なのだ。従弟なのに。

「そういう丈伍だってなんだか物騒な仕事に手を出してるじゃないか」

 弐支から丈伍を引き剥がして言う。すると丈伍はすっかり出来上がった赤ら顔を緩めた。

「えへ。実はまぁちょいとやらかしちまってさあ。でももう大丈夫! 俺も凝りたし、もう厄介なことに首突っ込まんようにするけんな、許してね」

「調子がいいなぁ……うーん。でも今回はかなり丈伍や季四ちゃん、弐支も助けてくれたし、あんまり言わないでおくけど」

 そう言って猪口の日本酒を煽ると、丈伍は機嫌を取り戻して万歳した。ふわふわのパーマがかった髪と笑顔がなんだか大型犬のようで、やっぱり現金な従弟だなと思う。

「それで、復縁すんの?」

 唐突に核心に迫った言葉をぶん投げてくる丈伍。酔っているからか、それとももともとの性格のせいか酷く無遠慮である。僕を覗き込む顔をグイッと押しのけると丈伍は「あぁんっ!」と妙な高い声を上げた。途端に相手をするのが面倒になった僕は冷たく言い放つ。

「もうお前、あっち行けよ。ていうか帰れ。季四ちゃんみたいにめんどくさいぞ」

「はーっ!? あんなクソバカ姉貴と一緒にすんなよぉ! なぁ、ひどくない? ひどくない? なぁってば! 弐支にぃぃぃ!」

 再び弐支の腕を取って今度は泣きになる。忙しいやつだ。しばらくはこの酔っぱらいの相手をするほかない。そう思っていたらいつの間にか丈伍は大いびきをかいて座敷に寝転んでしまった。他の客も似たりよったりなのでそのまま転がしておく。

「本当に九州人なのか、こいつは」

 呆れたように言うのは、この飲み会が始まってはじめて言葉を紡いだ弐支だった。

 丈伍がようやく大人しくなったのでそれまで空気の存在だった弐支が僕の横にきて酒を飲み始める。

「……まぁ、丈伍あいつみたいに遠慮なく言うつもりはないんだが」

 そう前置きして弐支は静かに言う。

「本当にいいんだな、復縁」

「え? うん。いいんだよ。そもそも二年前のあの頃だって僕と三雲は顔を合わせることがほとんどなかったし、僕が何度言っても彼女は心霊スポットに行くのをやめないし、僕と生活する気がないんだ。ああいうのは日々の積み重ねだよ。決定的なことがなくとも地味に毎日ストレスを与えられて溜まって、だんだん殺意すら浮かんでくるんだから」

「うーん……なんだろう、なぜか俺の耳が痛い」

 心当たりがあるらしい彼は目をつむって顔をひきつらせた。そんな彼に僕は追い打ちをかける。

「弐支もお義姉さんにストレス与えてるだろ。家事育児を任せっぱなし、自分は好きなことしかしない、死ぬとか平気で口にする。ダメだからね? いつか捨てられるよ。しかもお義姉さんだけでなく結夏ちゃんも年頃になったら『お父さんキモい』って言い出すよ」

「うぅ……どうせ俺はATMだよ。所詮金稼いでくるだけの道具でしかない」

「そうならないように日頃から家族のことを考えないとダメだって言ってるんだよ」

 猪口をドンと置くと弐支はしょぼんと肩を落とした。猫背な体がますます猫背になり、せっかくの背広がシワシワになっている。少しいじめすぎたかもしれない。

「まぁ、遅かれ早かれ離婚を突きつけただろうね。僕、子供が好きだからさ、そういうことも考えたかったのに三雲はああだろ。やっぱり相容れないんだよ、僕たちは」

「割と平凡な離婚理由で拍子抜けだよ、俺は」

 弐支が呆れたようにため息をつくが、平凡なわけがないだろうとまたツッコミを入れそうになった。しかし彼が後を続けようと口を開いたのでタイミングを逃した。

「……相容れないか。それにしちゃ、心霊相談なんてよくもまぁ立ち上げたよな。しかもあれ、俺が術を使ったあとだったからちょっとびっくりしたんだ。久しぶりに使ったもんだからなんか変な副作用が出たのかと本気で心配したのに、会えないからお前の心境を確かめようもないしさ」

「あれはだって、みんながそうしろって言うからだよ。昔から言ってたじゃん。弐支も丈伍も」

「それはそうだが……」

 弐支は釈然としない。僕は俯いたまま猪口の酒を見つめる。しばらく無言が続き、隣のサラリーマン客たちの盛り上がりだけが異様に響く。そんな大歓声に紛れるように弐支がフッと笑った。

「眞純さんのためか」

「え?」

「いや、なんでもない」

 誤魔化すように言うと彼は酒をぐいっとあおって、おもむろに財布を出して五千円札を抜いた。

「じゃーな、帰るよ。足りなかったらすまん」

「え? いいよ、ここは割り勘で」

丈伍こいつ、払える金ないだろ、多分。知らないけど」

「いやぁ、季四ちゃんよりは生活力あるし、さすがに持ってるんじゃないかな……」

 丈伍の財布を引っ張り出そうと、彼のジーンズを探る。その間に弐支が店の出入り口に向かっていた。顔を上げると彼はけだるげに手を振っていなくなった。

「なんだよ……」

 まぁ、家庭があるし仕方ないか。一人で飲み直す。

 ──眞純さんのためか。

 そう言った弐支の言葉が頭に残り、僕はため息をつきそうになったが酒をついで一気に飲みこむ。

 息をつき、ぼうっとした目で猪口を見つめるとMさんの顔が見えた気がして頭を振った。あの呪いはもう解けた。『天使ちゃん』ももういない。それなのに、どうしてかあの数週間の時間を振り返りそうになる。

 心霊相談は今日も閑古鳥で、それは日常なのになぜだか連絡を待っている自分がいる。いつか三雲が僕を頼る日が来るんじゃないか──そんなバカげたことを思いついて苦笑した。

 弐支の言うこともあながち間違いじゃないだろう。僕はまだ、怪奇な彼女の呪縛から逃れられない。


【完】

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副業霊能師 天使の呪いと怪奇な元妻 小谷杏子 @kyoko

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