06 敵は本能寺にあり
「せや」
光秀が、何か思いついたようであった。
「
「
明智光秀の重臣・
その縁で、かつて光秀は土佐への取次役として、元親との交渉を持った。
信長も当初は、自らの勢力がまだ四国に及ばなかったこともあり、元親の四国制圧を支援したが、京畿を制して天下を睨むようになってから態度を変えた。
「長宗我部は、土佐と阿波半国のみ」
これに元親が反発したため、織田信孝による四国攻めが予定されるのだが、今の光秀にとっては、どうでもよい。
「それよりむしろ、長宗我部は、大事な手駒や。それに」
光秀は利三に紙と筆を持てと命じた。
利三は、誰ぞに書状ですかとおごそかに問うた。
「せや」
いっそ光秀は有頂天だった。
これほどの思いつき、誰にも思いつけへん、と豪語した。
「あンな」
光秀は芝居がかって、利三の耳に手をあてて、ぼそぼそと話すふりをした。
ふり、というのは、実際には周りの皆に聞こえるように話しているからである。
「阿波におる
平島公方とは、足利幕府の第十一代将軍・足利義澄の次男、
この平島公方――義維の息子である
そして今では、平島には義栄の弟である義助が平島公方となっている。
「まさか」
まさか
かつて、足利義昭を将軍位に就けるため、あれほど尽力したというのに。
「その、まさかや」
光秀はほくそ笑む。
彼には勝算があった。
たとえば、
逆に、操られる
ならば、零落著しい平島公方に多大なる恩を売って、光慶に逆らえないようにしてから、将軍位に据えた方が良い。
「なんぼかマシや」
よっしゃ面白くなってきたと叫び、光秀は出陣を命じた。
「出陣とは、いずこに」
これは光慶ではなく利三の問いである。
暗にそれはやめろという言っている問いだ。
だが問われた当人は、
「決まっとるやろ」
光秀は耳をほじって、耳垢を指に乗せ、ふっと飛ばした。
「これから首を取る、敵の場所へや」
「敵」
「そうや……敵、織田信忠の居る場所へ出陣や。信忠の首を取れば、織田は終わりや」
場にいる全員、息を呑んだ。
織田といえば信長ではないか。
それが何故、信忠なのか。
そんな諸将の表情を見て、光秀はくぐもった笑いを洩らした。
光秀は元々、こうした人を驚かせるのが好きな、
「織田といえば信長。そのとおりや。やからこそ、一番守りが厳重なんやないかア。それより、その分、信長の分、守りが薄い信忠の方が楽や。せやろ?」
せやろと言われても、誰も答えることができない。
唖然としているからだ。
だがそれを光秀は賛同とみなして、陶然と話しつづける。
「それに、織田の当主は信忠や。その首ィ取っちまえば、織田はがたつく。次男の
「ち、父上、それでは、信長さまはどうなさるおつもりですか」
光慶は、父を止めようとした。
しかし光秀の覚悟は、もう決まっていた。
「信長?」
光秀はそこで、待ってましたとばかりに手を打った。
「信長……信長な。信忠が
そして動揺して飛び出して来れば、そこを絡める。
最悪、出て来なくてもかまわない。
「封じ込めたる」
今までの軽佻浮薄な態度が、まるで嘘みたいに、底冷えする視線の光秀。
表情は無く、並みいる諸将がたしかに大将として認めた光秀が、そこにいた。
「妙覚寺に封じ込めた信長がどこまで
「妙覚寺?」
その光慶の言葉は、ひとりごとと捉えられたのか、光秀は立ち上がって、歩み始めていた。
行くで、出陣やと気勢を上げて。
「敵は本能寺にあり、や。おそらく信長は常宿の妙覚寺に
お待ちくだされ、と光慶が言う間もなく、光秀は出て行った。
これが老人か、と思わせる俊敏さ。
いくさに明け暮れて大身になりおおせた男が、その老いを超越したかのような動きだった。
*
あとに残された光慶は、誰もいないその空間で、呟いた。
「敵は本能寺にあり、か……」
だがその本能寺に信長がいたら、どうなる。
織田の当主は信忠だ。
信忠が妙覚寺にいるかもしれない。
よしんば、本能寺に信長がいたとして、討てたとして。
復仇に燃える信忠を、どう
「そして信忠さまをも討てたとしても……」
それは、地獄ではないのか。
終わりのないこの乱世。
それに終わりをもたらすはずの、信長と信忠を討ち果たしては。
「一体、どうなるというのだ……」
光慶の
だが、その光慶も知る由はない。
光秀が、本能寺にて信長を討ち、妙覚寺にいた信忠と一戦して破り、その果てに。
たしかに、乱世の終わりがもたらされるということを。
そしてその乱世が終わる前に。
明智も織田も、流れ去っていくということを――。
【了】
前夜 ~敵は本能寺にあり~ 四谷軒 @gyro
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