05 下剋上は梟雄の特権

 丹波。

 亀山城。


「ふざけるんや、ない」


 明智光秀は、森蘭丸から上洛の命を聞いて、そう怒鳴った。


羽柴筑前はしばちくぜんけろォ云われて、兵を集めて、ほンで今からァ備中の秀吉ンところに、この明智十兵衛が行くところだァ」


 さすがに高齢らしく、間延びした言い方に、京畿の言葉。

 だが怒りは切々と伝わって来て、それが並みいる明智の諸将の怖気を誘った。

 蘭丸はどこ吹く風で辞していったが、光秀はその背をじっと見つめ、押し殺した声で言った。


「斬れ」


「父上、それは」


 光秀の嫡子、光慶みつよしが光秀の言葉をひるがえそうとする。

 が、光秀は聞く耳を持たなかった。


「光慶、ええ加減にせい」


 光秀は、まだ十代前半のわが子の肩を抱きすくめ、これはお前のためだと言った。


「わ、私の、ためとは」


「あンな」


 光秀は、これまで京の情報を探るために、忍びを洛中洛外に入れて来た。

 織田家が京を抑えた今、それは不要と思われたが、光秀は忍びを戻さなかった。

 何故なら。


「他ならぬゥ、信長。これを知っておくにくはなし」


 そう言ってはばからなかったという。

 信長と光秀。

 主従であるが、盟友であり、あるいは好敵手のようであった。


信長アイツが何を考えているか。それを読まずばこの乱世、生きられんわ」


 林秀貞や佐久間信盛のように。

 気がついたら過去の行状や現在の有り様を元に、されるやもしれぬ。

 そして埋伏していた忍びは、蘭丸より先に、信長のを伝えて来た。


「この光秀から軍団を取り上げるやと?」


 最初は、耳を疑った。

 しかし、今の明智軍のもといとなった佐久間家の頭領、信盛の嫡子、信栄のぶひでの登用というところを見ると、それはかなりの確率でありうべき事態だった。


「さらに、わが婿の津田信澄、細川忠興まで……」


 一見、光秀の縁者を採用しているようには見える。

 だが、信澄は織田家の者。

 忠興は織田信忠の忠の字を賜った者。


「そう来おったか」


 しかも明智をのは信長ではない。

 織田信忠だ。

 佐久間信栄は信忠付きだ。

 津田信澄は信忠の補佐をしていた。

 細川忠興については、言うまでもない。


「ほンでもってこの光秀を気か。ハッ、やるやないけ」


 しかし光秀は信長のそういうところが、嫌いではない。


「主であっても家臣であっても、ンがこの乱世。そういうあり方は正しい」


 ただ、このまま自分がつもりはない。

 何よりも、まだ若年の嫡子・光慶が成長しきるまでは。


「しかし父上、私はそこまで頼りになりませんか」


「ならん」


 光秀はわが子を愛していたが、客観性は失っていなかった。


「たとえば秀吉、お前には勝てん。あの老獪な男に、お前が勝てるか?」


「…………」


「それ見ィ、いわんや、柴田勝家や滝川一益をおいておや」


 つまり光秀は、己が亡き者にされたあと、光慶が立ち行かなくなることを憂いているのだ。


「せや、一益にしてみても、奴の姉か妹がァ、信忠の乳母やァないかい」


 もはや信忠呼ばわりである。

 しかし光秀は意に介さず、ひとり合点がいったような表情をした。


る程、一益も信忠のかい」


 成る程成る程と得心したかのように、あるいは周囲の者に敢えて示すためか、大仰にうなずく。

 相も変わらず、光慶は不得要領だ。

 気づかんかい、と光秀にこづかれる。


「つまり、滝川一益も信忠の味方。柴田勝家は、元は織田信行の臣じゃによって、信行の子ォたる、津田信澄の言うことを聞く。信澄は信忠の下につくさかい、柴田も信忠の味方や」


 光秀の脳裏に、日ノ本の地図が浮かぶ。

 これで、柴田、滝川は信忠の味方。

 となると、あとは例の中国攻めの秀吉。

 これについては、考えるまでもない。


「たしか、養子の秀勝……これは、信長の子。信忠の弟」


 もう、ができている。

 光秀はそう感じた。


「さながら、光秀包囲網や」


 光慶はその光秀の説明を聞いて、そういう風に解釈できるかもしれない、と思った。

 だがそれだけだ。

 そもそも、織田家の家臣同士ではないか。

 嫡子、否、当主である織田信忠を中心に環が形成されても、何の不思議やある。

 しかし、光慶はそれを言いだせない。

 父・光秀はすでにその妄想に酔っている。

 酔っている上に、あたかもそれを碁か将棋かのように――遊戯のように、それを破る手段を思いつこうとしている。

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