第6話

「ここの水族館の生き物たちは私の長年のコレクションだよ。忘れもしない、一九八五年は大勢の仲間がここへやってきた」

 館長はカイゼル髭をつまみながら誇らしげに胸を張る。

「覚えてるか航平、学校で習った話。今から四十年ほど前、半島沖で客船が沈んでたくさん人が死んだって」

 湊が耳打ちする。よく覚えている。鯨鼻半島最大の海難事故だ。漁師だったじいちゃんも助けにいったんだって、何度も同じ話を聞かされた。


 間違い無い。館長は死者の魂を海洋生物に変えて、ここに閉じ込めているのだ。


「君たちもいずれここに来ることになる、楽しみにしているよ」

 館長に見送られ、校門を出た。航平と湊は帰る素振りを見せて、すぐさまプール脇に回り込んだ。あらかじめ草むらに隠しておいた桶を抱えてフェンスをよじ登った。

 プールには暗い水が並々と張られていた。館長や生物たちが現われるのは夜だけなのだ。


 航平はプールサイドにしゃがみ込む。湊はすぐ脇で桶を用意した。

「おーい、こっちにおいで」

 航平は暗い水に呼びかける。反応はない。もしや別の場所に移されたのか。

「じいちゃん、こっちにおいで」

 祈るような気持ちでもう一度呼ぶ。すると、水面に波紋が広がり、藻を背負った海亀が浮上してきた。


 航平は精一杯手を伸ばす。湊と二人、甲羅を掴んでプールサイドに引き上げた。桶に入れてみるが、身体がはみ出てしまう。桶は使い物にならない。

「このまま運ぼう」

 航平と湊は頷き合う。二人は海亀を抱えて運び出す。海亀は頭を引っ込めて行儀良くしている。

 破れたフェンスから海亀を押し出した。


「こら、お前達、コレクションを盗んだな」

 背後で館長の怒鳴り声が聞こえ、階段を駆け降りる乱暴な足跡が響く。

 振り返りもせず浜辺に向かって必死で走った。海亀は重く、何度も手を滑らせそうになった。

 ようやく辿り着いた波打ち際に海亀を放した。二人とも息が上がっている。館長は追いかけてきてはいないようだ。海亀は砂を掻いて月明かりに照らされた海を目指す。やがて姿が見えなくなった。


「他のみんなも助けたいよ」

 航平はまほろば水族館を振り返る。

「うん、ぼくらで助けよう」

 館長の好きにはさせないぞ。湊も強く頷いた。

 不意に大きな波音がした。海亀の消えた波間に死んだじいちゃんが立っていた。浅黒い肌に白い歯を見せてにかっと笑う。


「じ、じいちゃん」

「今宵は良い月夜じゃ。道が開ける」

 これを、と航平に紐のついた大きな笛を手渡した。じいちゃんの姿は燐光となって、波に誘われるように沖へと消えていく。その先に満月の照らし出す金色の道が続いていた。


「笛、吹いてみよう」

 湊は興味津々だ。紐は鯨の髭、笛は鯨の骨でできていた。航平は笛を唇に当てて思い切り吹いた。

「何も聞こえない」

 湊は耳を澄ませるが、聞こえるのは打ち寄せる波の音だけだ。

「おかしいな」

 航平は頬を膨らませ、もう一度力一杯吹いた。

 校庭から高い水飛沫が上がった。続いて大きな黒いヒレが飛び出した。


「く、鯨だ」

 湊が叫ぶ。

「笛の音は鯨の周波数なんだ」

 航平は鯨笛を吹き続ける。鯨は笛の音に興奮して暴れ出す。その姿は喜んでいるように思えた。校庭はいつのまにか大海原になり、イルカの群れがジャンプを始める。


「私のコレクションが逃げ出してしまう」

 鮫島館長が玄関の扉から大慌てで校庭に飛び出した。

「うひゃあああ」

 逃げ惑うペンギンを捕まえようとして、鯨の吹いた潮に空高く飛ばされ、甲高い悲鳴を上げている。夜空に金歯がキラリと光った。


 航平と湊は腹を抱えて笑った。鯨は大きなうねりを起こし、とうとう校庭から飛び出した。廃校の窓から水が溢れ出し、熱帯魚も、ペンギンも、サメも、大波に乗って海へ帰っていく。道標は月光の照らす道だ。

 

 水族館の生き物たちは光の渦になって海の彼方へ消えていく。

 世界の終わりのような音が轟いて、廃校がゆっくりと崩れ落ちてゆく。航平と湊は海岸の堤防に座ってその様子を見守った。

「まほろば水族館は閉館だ」

「これって、絵日記に書けるかな」

 航平と湊は廃校に背を向け、月の光を映して金色に輝く海をずっと眺めていた。

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まほろば水族館 神崎あきら @akatuki_kz

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