第8話
――■ ポーションの魔女(Route."Dead Bloodbath")
16歳になったばかりのロゼッタ・アルケミストは祖母であるパラケール・アルケミストのその言葉に反発とともに大声を上げていた。
「この話、受けるかい?」
「側室~~!? 私が!? 私が側室!? なんで!? どうして!?」
「そう、側室。カラサワの家はそう言ってきてる。アタシとしちゃあどっちでもいいが、ふざけた申し出だとは思ってるよ」
霊草の匂いのする部屋だった。水煙管片手の祖母は巷で流行ってる安物のポーションではなく、依存性のない上質な霊薬を通した煙草の煙を口から、長々と、時間を掛けて吐き出した。
錬金釜からはポコポコとなにかの液体が蒸発する音が聞こえてくる。
耳慣れた、心の落ち着く音を聞いてもロゼッタの怒りは収まらなかった。
「そう、そうよね。お婆ちゃん。ふざけてるよね? あ、アギトの奴。私をなんだと、なんだと思って……側室ぅううううう!!」
処女まで捧げたのに、とロゼッタは魔力色では中間の四番目とされる黄色の髪を掻きむしり、黄色の目を怒りでぎょろぎょろと蠢かせた。
「さ、最低の魔力色の、く、黒髪黒瞳のあいつに、この私が……こ、この私が妥協して、あいつを、選んでやったのに」
嘘だ。本当は心底から愛している。心底から望んで処女を捧げ、愛を囁き、抱きしめてやったのだ。だが、アギト。裏切りか。裏切りなのか。絶望と怒りが心底から湧いてくる。殺してやろうかと思った。そのあとに自分も死んでやると考えた。
ロゼッタの黄髪黄瞳は伯爵級貴族とも縁談を望める魔力色である。彼女が自分の価値を一等高く見積もっているのは当たり前のことだった。高い魔力に、裏街の顔役の孫という立場。
本来ならば騎士爵の息子程度のアギトでは一緒に食事をすることすら望めない立場なのだ。それを私はあいつで妥協してやったのに。やったのに!!
加えて豊富な錬金術の知識を持つロゼッタは貴族学園に通っていないだけで、通おうと思えばいつでも通えたし、もし学園を卒業できれば王宮で働くこともできるぐらいの知性があった。
そんなロゼッタが裏路地の錬金術師である祖母に師事しているのは、そちらの方が暮らしやすいし、金になるからである。
貴族の正室なんて面倒な立場は御免被ると思っていた。
だから、そこまで社交に力を入れる必要のない騎士爵の嫡男であるアギトに口説かれてやったっていうのに。
あいつの家を支えてやろうと思ったのに。
「こ……殺す。絶対に、殺す」
「それは困ります」
聞き慣れない声にロゼッタは祖母の方を向いた。祖母が部屋の壁に飾っているモンスターの毛で織られた巨大
「ロゼッタ。我が孫娘よ。
「セレス・カラサワと申します。ロゼッタ・アルケミスト。はじめまして」
黒髪黒瞳の女だった。長い髪に、美しい瞳。だが黒い。最下級の魔力色。
完璧な造形をしているとも思えたが、色の事実がロゼッタの目を怒りに眩ませる。
「く、黒髪ぃぃいいいいいい!? 私が! この私が黒髪の下!? ありえない!! ありえない!! 殺す!! お前は殺す!!」
そのあと自分を侮辱したアギトを殺す。懐から細いガラス瓶――ポーション瓶を取り出すロゼッタ。
中身は自衛の為に作り出した毒だった。肉に掛かれば骨まで溶かし、血に混ざれば強力な毒性によって大型モンスターですら即座に死に至らしめる劇毒。
それを投げつけようとしたロゼッタの前で、セレスと名乗った女は幻術を解いた。同時に魔力を阻害する魔法をも。
――金髪碧眼だった。目も眩むような黄金色と、海の青よりもなお青い純粋な青。
ロゼッタは停止するしかなかった。マジマジと女を見た。女はにこりとも笑わずにロゼッタを見た。
感じる魔力は特等。最上級の魔力色にロゼッタは唖然とする。は? これが正室? この
「アギトの、正室?」
「はい」
ロゼッタはビビっていた。恐ろしい怪物が急に現れたのだ。当然だった。だが毅然としていた。聞かなければならなかった。
「アンタが? 金髪碧眼よ? 最上級の魔力よ?」
「そうですが」
「そんなアンタが、側室を許すの?」
自分なら絶対に殺すと思っている。自分たちは黒髪黒瞳のアギトに嫁いでやる立場なのだ。
そのアギトが自分以外の女を結婚後にも抱くなど許せることではなかった。
「許しますよ。お前がアギト様に抱かれることを
上位者の振る舞いに、大貴族の教育の片鱗を見て取って、ロゼッタは一歩後ずさった。一瞬で勝敗が決まっていた。ロゼッタの負けだった。
「どうするかね。我が孫ロゼッタ」
水煙管を片手に、祖母が霊草の匂いのする煙を吐いた。
プライドの高い祖母がロゼッタが側室になることを許した理由がわかって、ロゼッタは、どうすることもできなくなった。
「だ、だって、わ、私が、私が側室って」
アギトが自分を説得すべきではないかという言葉が頭の中に浮かんでくる。なんでこの女が出てくるのか。
「カラサワの家は、私に遠慮していました。側室は絶対にとらないとまで言ってくれました。ですが私がカラサワの家に進言してやったのです。側室が必要だと。そして側室にするならお前だと。ロゼッタ・アルケミスト」
「……アンタ、が?」
「そうです。私にはお前の力が必要です」
圧力に屈し、跪いたロゼッタに手を差し伸べてくるセレス。
セレスはその手を見て、恐怖に震えながら問いかけた。
「わ、私のちからが?」
「そうです。王都にヤクばら撒いて、お金を稼ぎたいのです。私は」
そんなことよりもずっと簡単に金を稼ぐぐらいできそうな女の言葉に、ロゼッタはなぜ、という言葉を放てない。
「それにお前は毒を扱えるでしょう?」
錬金術師であるために当然使える。そんな当たり前の事実を、こくこくと頷いてロゼッタは肯定した。
「私、二番目までは許しますが三番目は許しません。だから二番目は私が許容できる貴女を選びました」
貴女のお祖母様には恩があるので、とセレスは言う。どういうことかと祖母を見れば「この前、薬を作ってやったのさ」と祖母は言う。
ロゼッタはセレスがボロボロだった頃の記憶はない。あのときの彼女はアギト以外を見ていなかったからだ。アギトが女を連れていたことすら覚えていなかった。
「でも、その、許さないって、どういう、意味?」
「側室のことですよ。アギト様は優しく、顔がよく、性格がよく、かっこいいので、どこぞで新しい貴族女を引っ掛けてくる可能性がありますから」
「私が……殺せってこと? 毒で?」
「ええ、増えたら殺しましょう? 一番目と二番目が結託すれば、これ以上増えることはないのですから。名案だと思いませんか?」
ロゼッタは思った。
――
ナイスアイデアだと思った。アギトの女癖の悪さはロゼッタも知っている。それに引っかかった自分の愚かさも。
だから自分が正妻になったとして、その浮気をどう対処すればいいのかわからなかった。子供ができたら
だけれど自分に子ができる前に、うっかり子を孕ませて側室にするとか言い出されるのが内心不安だった。
だけど、そうか。殺してしまえばいいのか。
なんて頭がいいんだこの女。
それもロゼッタの単独犯であれば、アギトは自分を見捨てるかもしれない。
でも正室であるセレスと側室であるロゼッタが共謀すればアギトは絶対に強く言えない。
だって金髪碧眼と、黄髪黄眼の妻の共同作業である。未だ魔力少なくオリジナルの魔法を持たないカラサワの家が貴族社会で生きていくには魔力持ちの妻と、それが産む魔力の強い子供は必要だった。
だが、だが、とロゼッタは「ぐぐぐ、ぐぐぐぐぐ」と呻いた。
(く、悔しいぃいいいいいいいいい! 私が! 私が一番だったのにぃいいいいいいい!!!!!!)
本当なら正室になれるはずだったのに。
ロゼッタは「わかったわ。二番目として、よろしく」と頭を下げながらも、悔しさに涙を流すのだった。
――■ 滴り落ちる憎悪(Route."Dead Bloodbath")
セレスは自分の足元に跪いた女を見て、自分に改めて幻術と魔力隠蔽の魔法を掛け直した。
セレスが側室を認めたのは、彼女に後ろ盾がないからだった。彼女には後ろ盾が必要だったのだ。
(これで、一安心)
カラサワ本家はセレスの味方ではない。もちろん最下級の騎士爵だ。家の力はそう強くない。力づくで言う事を聞かせることはいくらでもできた。
だが、謀略を仕掛けてこられればセレスが父に公爵家の実権を奪われたように足を掬われかねないのは事実だった。
(まぁ、あれは、私の安全装置が働いたからですけれど)
単体で王都を半壊にでも追い込める実力者だ。本来の公爵級貴族の直系というのは。
ゆえに、その血には肉親に対して極限に親しみを覚えるよう安全弁が仕込まれている。
怪物の安全装置。
アギトに会う前のセレスにとってそれは父だった。だから父に言われるままに、請われるままにすべてを渡してしまっていた。
――もはやなんとも思っていないが。
とはいえアギトはともかく、今後、カラサワの家に情を持ってしまえばセレスはうまく動けなくなるかもしれなかった。
だからセレスは側室を作ることにした。
側室の家の力を使うのだ。自分を守らせるのだ。
セレスはロゼッタを側室に選んだことでロゼッタに恩を売った。アギトに惹かれるだろう女を殺す共同の作業で同盟として機能させるようにもした。
もちろんロゼッタを完全に信頼するわけではない。だが簡単に足抜けできないようにすることがセレスにはできる。
側室の段取りを決めてやった。だから、次は商談だった。ロゼッタの実家を巻き込むことにした。
「私、王都郊外に薬草畑を作る予定なのです」
ゴンドウから土地と資金をセレスは貰ってきていた。
土地は王都郊外にある、西七年戦争で軍部に馬を全て徴用されたことで廃業した牧場跡地。
そこを薬草畑にするとセレスはロゼッタに説明する。
既に金を使って、栽培のために王都内の孤児を、警備のために王都内で燻っている戦争帰還兵を雇用し始めていることもセレスはロゼッタとその祖母に教えていた。
「それはわかったけど……育つの? 薬草って環境整備が大変なんだけど」
ロゼッタの疑問は当然のことだった。育つなら誰でも育てる。薬草は需要があるのだから。
しかし育てるのは難しい。薬草が品薄になっているのは、特定の地域でしか育たないからだ。
迷宮や魔力に満ちた魔境など、薬草栽培にはそういった特殊な環境が必要だ。
だからセレスはにっこりと笑った。
「育つのです。私、こういうことができますので」
セレスは自分が隠れていた壁掛け絨毯の影からそれを取り出した。小さな鉢植えだった。
ロゼッタがそれを見て目を丸くさせる。
「薬草? 薬草が育ってるの?」
はい、とセレスはにこにこと笑ったままロゼッタにそれを渡した。
「っていうか、これ。聖なる薬草じゃないの?」
淡く白い光を放つ薬草を見て、ロゼッタは顔を引きつらせた。聖なる薬草は特等に分類される最上級の薬草のことだ。
王室や公爵家、教会が管理する、特殊な地域でしか生育できない薬草だった。
「そうですね」
「そうですねじゃないわよ!? マジで……あ、いえ、なんでもない。なんでもありま、せん」
ロゼッタが問い詰めようとすれば、セレスはそれににこにこと笑って返してやった。虫を見るみたいに見られて、ロゼッタは顔を床に向けて口を閉じた。
――薬草栽培の為に、セレスは特別なことをした。
結界術はホーリーバリアのお家芸だった。
聖なる薬草ぐらいいくらでも生育環境を作ることがセレスにはできた。
それを歴代のホーリーバリアがやらなかったのは、聖なる薬草をブランド化していたからである。やたらと作って単価を値下げするなど馬鹿のすることだった。
この貴重な薬草の数量を調整することで値段を高騰させ続け、富を得続けるのが高位貴族たるホーリーバリアの領地経営の戦略の一つだった。
ゆえに、これを扱うということはホーリーバリアが有する巨大利権と敵対することを意味してしまう。
だからバカ正直には取り扱わない。裏で、闇で、浸透させるように扱う。
「もちろんこれをそのまま出すわけではありません。ですが、これを使えば売るヤクの差別化ができますでしょう? カラサワのヤクが一等級になるという」
「それはもちろん……うん、これなら、最上級のポーションになる。一万倍に薄めても今捌いてる奴よりずっと質が良くなる」
その言葉を聞いて、セレスはこれなら王都中の人間が顧客になると喜んだ。
――悪魔でさえも躊躇うような悪辣。
まさしく魔女の会談であった。
◇◆◇◆◇
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