第4話
――■ エルフ女王国(Route."Dead Bloodbath")
グレイト大王国の西方に存在する巨大な森林地帯。通称、精霊の森。
そこにハイエルフの女王が治めるエルフ女王国は存在する。
世界樹を中心とし、その近辺にある王族たちが住む城、その謁見の間にてハイエルフの女王が座していた。
(……――これが平和、か)
世界樹の葉から抽出したハーブティーを飲みながら彼女は沈思黙考する。
人間たちとの戦争が終わってそう長い時は経っていない。しかしあの殺し合いが続き、両種族が絶滅に突き進む最悪の時は過ぎ去ったのだ。
(嗚呼、素晴らしい。この平和を長引かせねばな)
戦争の教訓もある。エルフだけで人間に対抗するのは難しいということだ。
業腹だが、ともに亜人種族の連合として戦ったドワーフや獣人たちとの連携も続けていかなければならない。
エルフは強力な魔力と固有魔法に、森という地形を利用して人間たちを狩っていったが、同じだけエルフたちも殺されたり攫われたりした。
普人種国家であるグレイト大王国があれほど強力だったことには長き時を生きてきたエルフの女王でさえも驚く他なかった。
今後はこの平和を維持するためにも外交にも力を入れていく必要があるだろう。
外交を任せるに足る高官の育成も続けていかなければならない。
(それでも――……)
――城の外には穏やかな、平和な光景がある。
人々が笑いあい、瞑想や弓の訓練をし、植物を慈しむ、そんなエルフらしい風景だ。
(この暖かな光景を維持するのが私の役目だ)
――■ セス(Route."Dead Bloodbath")
「ごめんな。テッテリアの無事を伝えようと連絡入れようとしたのに取り合って貰えなくてさ」
公爵家、門前払いされちゃった、と申し訳なさそうに言うアギトに、テッテリアは仕方ないよと微笑みを返した。
実際、テッテリアは連絡がつかないと聞いて安心したぐらいだし、気にもしていなかった。
――まだ、私はここにいられるんだ。
「それで、どう? 調子はいいかな?」
テッテリアがアギトに保護されてから、十日は過ぎていた。
その間、テッテリアはまるで姫か宝物かというぐらいにアギトに甘やかされていた。
今もベッドから身を起こしているテッテリアの背中をアギトは手で支えて、まるで口づけするかのように耳元で甘く囁いてくれている。
黒髪黒瞳に美男子にそうされてときめかない乙女はこの場にいなかった。
「アギト様のおかげで、全然、だいじょぶ、です。元気、です」
安心と居心地の良さに、ふにゃり、と微笑むテッテリアの頬を優しげにアギトは撫でる。「そりゃよかった」とアギトがテッテリアの額にキスをしてくれる。
テッテリアはドキドキとした気分で、その宝石のように、青く煌めく瞳にアギトを映した。
「じゃあ、テッテリア。今日も学園で習ったこと教えるな」
アギトはテッテリアの前に薄い教科書を取り出して、ページを開いてくれる。
学園には学生が所属するコースがいくつかあるが、騎士爵の息子であるアギトと、公爵家から卒業すればいいとだけ言われたテッテリアのコースは同じ普通科だった。
だからクラスこそ違うものの、授業内容は同じなのだ。
「あの、アギト様」
テッテリアは自分の額にかかる、絹糸のような艶と美しさを持つ長い金髪を手で払いながらアギトに声を掛ける。
サラサラとした長髪は貴族令嬢らしさというものをテッテリアに与えてくれるが、以前のようなギトギトに髪を固めていた油や埃がなくなったために、少し髪が邪魔だとテッテリアは思うようになっていた。
「ああ、邪魔かな? あとで髪を切ろうか。俺が切ってあげるよ」
「は、はい。ありがとうございます。その、アギト様」
何? と優しく耳元で微笑まれればテッテリアは頬を赤く染める。夢は続いている。ずっと続いている。一生続けばいいと思うし。醒めないままに死ねればきっと幸福だとテッテリアはずっと思っている。
「あの、私の、名前なんですけど」
「うん?」
「せ、セスって呼んでくれますか?」
「わかった――セス」
「はい。アギト様」
アギトはその突然の申し出になんら疑問などを発することなく、テッテリアの耳元で優しくテッテリアの
ああ、とテッテリアは満足げな吐息を漏らす。嗚呼、嗚呼、本当に。本当に。
涙が浮かんでくる。失った全てを取り戻せたような気がした。テッテリアの涙をアギトが指で掬ってくれる。そうしてアギトの唇が目元に寄せられる。
「しょっぱいな。セスの涙は」
アギトに涙を舐められ、テッテリアは赤面する。
「アギト様、もう」
青い瞳をアギトに向けて、抗議するように頬をふくらませる。九年前はやっていたけれど、できなくなっていた仕草を自然と出せたことにテッテリアは嬉しくなる。
この瞬間だけは自分を取り戻せたような気持ちになる。
――本当は、そんなことはないのだろうけど。
夢を見ているだけなのだ。自分は。
「ごめんね? セス」
ん、とテッテリアが唇を突き出せば、アギトが軽く唇を合わせてくれる。たちの悪い男の家に、清らかな乙女が10日もいれば当たり前にキスぐらいは奪われる。
夜にはそれ以上のこともされていたが、テッテリアは気にしなかった。純潔を奪われたというより、テッテリアとしては捧げた。貰ってもらえた。という感覚が強かったからだ。
純潔を奪われた夜は、甘すぎるぐらいに甘やかされ、全く後悔することがなかったこともそれを後押しした。
ドロドロに甘やかされた少女が、自分が与えられるものは何かと考えたときに真っ先に払いたいと思ったもの、払えたものなど、いつの時代も身体だけだったからだ。
――■ 大いなる血統(Route."Dead Bloodbath")
衣服の一切を纏わずに眠った可愛らしい少女をベッドに寝かせたまま、自分も一切の服を纏っていないアギトは立ち上がってベランダへと向かった。
テッテリアにキスをされると力が漲ってくる。純潔を捧げられれば魔力が増強される。
普通の女の子と違う結果にアギトは薄く笑った表情を顔に貼り付けながらも、内心では戦々恐々としていた。
(……なんか、やべーことしてる気がする)
テッテリアのことをアギトは庶子だと思っていた。貴族の庶子。貴い血のオスが平民のメスを孕ませて産み落とさせる存在。
この国では貴族の当主には女性が就任する。
男が当主に就くことがないわけではないが、それは臨時の当主や、成人する娘に引き継がせるための代行でしかない。
その当主代行である男が外の女に産ませた娘。それがテッテリアだとアギトは思っていた。
(だってセスはテッテリア・ホーリーバリアだぞ?)
ホーリーバリア。結界のホーリーバリア。他国では大公と称されるほどに強力な権力を持つホーリーバリア公爵家の子。
だから回復したテッテリアが、あんなにも化け物じみた魔力濃度を漂わせていても、アギトは問題ないと思っていた。
ホーリーバリアほどの大貴族ならば、庶子でもああなるだろうと思わされたからだ。
(そうだよ。セスはあんなにみじめな姿をしていたんだぞ?)
だって庶子だから。貴族でないから差別されていた。ホーリーバリア邸で、他の貴族の庶子ならやらされないような労働をさせられてる可哀想な娘だと思っていた。
救ってやるつもりだった。ついでに自分の目的が満たせればいいだろうという思いだった。幸福にしてやるから問題ないとも思っていた。
だから、手を出した。キスをして、処女を奪って、快楽と幸福でがんじがらめにした。
(大丈夫か? 俺は、大丈夫なのか?)
身体に漲る力がアギトを不安にさせる。これは、本当に庶子を抱いた恩恵か?
庶子なら手籠にしても問題ないとアギトは考えていた。だからテッテリアの死体を用意して、死んだことにしたのに。
新しい学籍も用意して、戸籍も騎士爵の身分も用意してやったのに。全部後から教えて、逃げられないようにするつもりだったのに。
(でも……セス……セス……セスって……)
アギトがホーリーバリア邸に行ったのは本当だった。追い返されたのも本当だ。門番はアギトの言葉を全く聞くことなく。アギトを追い払った。
それもそのはずで、王都にテッテリアを探す公爵家の兵が現れたという話を叔父から聞いたアギトが、公爵家の庶子であるテッテリア・ホーリーバリアが失踪し、公爵家がそれを探しているという噂を王都に流したからだ。
それで王都の公爵家邸の前はテッテリアを名乗る自称テッテリアでいっぱいになっていた。公爵家はそれを捌くのに手一杯になっていて、本当にテッテリアを保護していたアギトはほとんど話を聞かれることなく追い返された。
アギトは、テッテリアにほとんど嘘を言っていない。ちゃんと公爵家にテッテリアを保護していると伝えるつもりだった。誠実さこそが人を作るとアギトは考えているからだ。
話を聞かなかったのは公爵家だ。だから公爵家から迎えがここに来ないのは当たり前のことだ。
テッテリアの治療は実のところ終わっていた。テッテリアの肉体が思った以上に頑丈だったせいか一週間も掛かっていない。だが大事を取って、ちょっと多めに闇医者に言わせた一ヶ月の期間で、テッテリアが帰りたいと言い出すまでに既成事実を作り出した。そういう大胆な作戦をアギトは立て、実行した。
公爵家を騙してやる。庶子なんだからいいだろ別に。そんなことを考え、実行していたアギトは、自分の推測に
(セス――テッテリア・ホーリーバリアは……セシリア・ホーリーバリア?)
振り返る。くすみの一切ない、
先程までアギトの腕の中で小鳥のように可愛らしく鳴いていた少女だ。
治療した骨格は、完全な黄金率をテッテリアに与えていた。彼女が人々の前に姿を現せば、誰でもその美しさを理解できるだろう。
ただ立つだけで数多の芸術品をゴミにする美しさをテッテリアは宿していた。
テッテリアの瞳の色は青だった。魔力の多さは髪色に影響するが、その濃度によって瞳の色は変わる。
髪や瞳は人間の魔力の影響を受けやすいからだ。
そして後天的に魔力が増強されてもその色は変わることがない。
だから、ほとんど魔力のない東方の民出身のアギトの瞳はテッテリアによって魔力が増強されても変化はせず、最低の魔力濃度とされる黒のままだった。
(俺は、どうでもいい。問題。問題は……)
テッテリアが持つ瞳の色――青色は紅色に勝る最上の色とされるものだ。
これ以上の魔力所持者は存在しないとされる青の瞳。
神に匹敵するとされるとまで言われる力の塊が、アギトのベッドには眠っている。
(いや、そんなはずが……セシリア・ホーリーバリアは、ちゃんと学園に通っていただろう?)
テッテリアを保護したことから、セシリア・ホーリーバリアをアギトは遠目に確認していた。声を掛ける気はなかったが、確認しておこうと思ったからだ。
あの少女は骨格はセスに劣り、髪色はくすんだ金髪に、色ガラスにも似た青い瞳だった。取り巻きに囲まれ、婚約者らしき少年と楽しげに会話していたのをアギトは遠目に見ている。
あれが、
(いや、だが、本物の、セシリアがここにいたら……普通に、俺、死んでるだろ?)
セシリア・ホーリーバリアの詳細をアギトは思い出す。
セシリア、正式な名をセシリア・セイントストーン・ホーリーブック・ホーリーバリア。
未だ成人していないため公爵家の代理当主に父親を置いている少女。
グレイト大王国有数の穀倉地帯であるホーリーバリア公爵領の次期女当主にして、領内から聖石を算出するセイントストーン伯爵家と、アンデッドに効力を発揮する特別な書の印刷所を領内に持つホーリーブック子爵家の爵位を持ち、王都鎮護のための『結界』術式の
(前当主である母親が病死したために、父親であるパレス・ホーリーバリアが代理当主を務めている……と聞いているが)
領内の統治も問題ないと聞いている。セシリアも統治の補助をしていると聞いている。優秀だとも。ゆえに王都の結界魔道具にほころびはなく、だからアギトはテッテリアがセシリアであるという思考には全く至っていなかった。
――テッテリアの肉体が回復するまでは。
(セス……セスってセシリアの愛称……最底辺の庶子が、本家の娘に憧れた、とか……そう、だよな?)
先程のことを思い出しつつ、アギトは夜の王都をじっと見ながら考える。
テッテリアは、テッテリアじゃないと困る。本当に困ることになる。アギトは唸った。オリジナルの
(ほんと、庶子でいいんだが?)
テッテリアから受け取った、あの装飾のない指輪をろくに調べずに、死体にくれてやったのは失敗だったかも、なんて考えつつアギトはベッドに入ることにした。
(知らん。もう何も知らん)
アギトのぬくもりを求めて、テッテリアが抱きついてくるのに抱き返してやりながら、彼も目を閉じた。
◇◆◇◆◇
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