第5話
――■ 術式保有者(Route."Dead Bloodbath")
「セス。これ、学んどこうか?」
早朝、アギトから魔法書を貰ったテッテリアは、きょとんとした顔で魔法書を見た。
「これは、ええと、幻術ですか? アギト様」
そう、と言いながらアギトはテッテリアの金の髪に唇を寄せて「今日も可愛いよ」とテッテリアを褒めてくれる。
テッテリアは嬉しくなって「ありがとうございます。アギト様」とアギトの手に、自分の指を絡ませた。
「髪と瞳の色を変えないと、セスがセスってバレちゃうからね。可愛いセスの髪と可愛いセスの瞳は、ちょっと外じゃ見かけないものだし」
「あ、そ、そう。そうですね」
金髪碧眼はそこそこいるが、ここまで見事な黄金に、濁りのない碧眼など、王国中を探しても一人いるかどうかである。
見つかれば公爵家に連れ戻されることだろう。
そうして再び、最悪の日々を送ることになると思えば、テッテリアは不安を覚えてぎゅっと魔法書を握ってしまう。
「こういった汎用幻術魔法は、セスも持ってないだろ?」
この国の魔法は二種類存在する。血に記録される魔法と、学習して学ぶ魔法だ。
血に記録される魔法が強力かつ固有の能力を持つのに対し、学習するものの多くは誰でも使える汎用的な効果を持っていた。
アギトが持ってきた魔法書もそういったもので、身体の特定部位の色を変える程度のものである。ちょっとした高級な化粧品店などに行けば買えるレベルの術式だった。表向きは。
なお、これが貴族が血に記録している固有の幻術魔法になると戦場に兵士の幻影を大量展開するなどの大規模かつ、戦争で有用なものになる。
貴族が王国で優遇される理由だった。
「あー、学ぶ奴はベースの幻術はこっちの、
「ええっと、魔法無効化を通り抜ける?」
さらっと言われた違法性のある内容にテッテリアは顔を強張らせた。
この男は、テッテリアの治療のときもそうだったが、時折そういうものを突拍子もなく仕入れてくることがあった。
――テッテリアはアギトから様々なことを学んでいた。
「そう、学園で何か起きたら広域で魔法無効化が敷かれるんだよ。その魔法無効化の効果範囲から漏れる幻術魔法をベースにして、上から別の幻術魔法で髪色を変える。上に被せるのは無効化に引っかかるタイプね」
「ベースに」
「二段構えってこと。ベースの幻術の上に、魔法無効化に引っかかるタイプの幻術を掛けるのさ」
「アギト様。全部無効化されないんじゃダメなんですか?」
「ダメダメ。セス、人間は隠し事を暴きたいんだよ。人間はね、他人は誰だって隠し事を持ってるって思ってて、常に誰でもいいからそれを知りたい、暴きたいって思ってる。でも、だからこそ、隠し事を一つ暴けばそれ以上はないと思って満足するのさ。黒髪は貴族階級からすると隠したい色だからね。黒髪だって暴かれれば、君の本当の色を暴こうなんて人間はいなくなる」
ああ、とアギトはテッテリアの指に指輪をはめた。主に婚約指輪をはめる位置にするりとはめられ、テッテリアは顔を赤くする。それぐらいの意味は彼女も理解していた。
「魔力隠蔽の指輪。お守りだよ」
「そ、そうですか」
「お守り以上の意味もあるけどね」
ちゅ、と唇にキスをされ、テッテリアは顔を赤くする。昨晩はそれ以上の行為をテッテリアからもしてしまったが、素の表情でそれ以上をアギトにするのは未だに恥ずかしかった。
「じゃあ、俺は学園に行くね。昼食には戻ってくるから」
そう言ってアギトが部屋から去っていくのをテッテリアは立ち上がって見送った。
アギトが去ったあと、テッテリアは椅子に座ってふぅと息を吐いた。
(まだ、ドキドキしてる)
胸を押さえつつ、アギトから貰った指輪をドキドキして眺めてしまう。自分の魔力は大きいとは思っていたが、それが問題になるとは考えてなかった。
だからこれをつけていると感知されたときに小さくなるらしいと言われても、ふーん、とだけしか思わない。
他者との比較をあまりしてこなかったテッテリアは、自分のことをそこまで大したものだと思っていなかった。
だから周囲がぎょっとするような化け物じみた存在であるという自覚がなかったし、そもそも虐げられる側だったので、そのあたりのことは無自覚で無頓着だった。
それでもアギトから貰った魔力隠蔽の指輪は以前つけていた指輪よりもずっと嬉しいものだった。
だから魔法書を開くこともせず、黙ってニヤニヤと指輪を眺めてしまう。
「でも、魔法かぁ」
テッテリアは自分の血に眠っている魔法を意識してみた。魔力枯渇がなくなり、慢性的な頭痛も消えたために以前よりもずっと把握は容易だった。
――テッテリアの体内には、千を超える魔法が宿っていた。
王国の貴族が女系なのは、直系の女貴族
そして大貴族の当主は、己が血に保有する魔法を、傘下の貴族に複製して与えることで権勢を維持していた。
なお、複製の複製は可能だが、複製をするごとに血に宿る魔法は劣化していくので、オリジナルの魔法を保有する貴族の影響は強いままだ。
――
父親であるパレス・ホーリーバリアは直系の血統ではない。彼女の父親はホーリーバリア系列の侯爵家からの婿養子で、前当主はテッテリアの病死した母親だった。
「よし、頑張って覚えよう」
幸福な学生生活を夢見て、テッテリアは拳を握りしめた。
テッテリアの本当の姿は、セシリア・セイントストーン・ホーリーブック・ホーリーバリア。
テッテリアは、ホーリーバリア公爵家そのもので、その肉体は本人が自覚せずとも、人という種族が持つ最高の性能を持っていた。
そんな最強の肉体と最高の頭脳を持つ少女はこの生活の中でも様々なことを学んでいた。
見るだけで、知るだけで学んでしまっていた。
――
――■ 鍵をなくした記憶の箱(Route."Sister")
「……あの子が死んだ?」
侍女の報告にセシリア・ホーリーバリアは顔を歪めた。不快な情報が入ったとばかりにその言葉の意味を咀嚼する。
「ふぅん……まぁ、いいんじゃないの?」
テッテリア・ホーリーバリアが死んだところでなんの問題もないとセシリアは思っている。父親がどこぞで作った妾の子。下働きとして育ててやったそれが、学園にまで通わせてもらって、勝手に死んだ。それだけだ。
――セシリアに幼い頃に自分がテッテリアだった記憶はない。
七年も貴族として育てられれば、幼い頃の記憶など思い出さなくなる。不快な娼婦街で暮らしていた記憶。酒と薬と暴力の記憶。セシリアにとって過去は思い出さないもので、記憶の棚に頑丈に鍵を掛けて仕舞ってしまうものだった。
加えて、セシリア――テッテリアがセシリアの私物を次々と欲しがって、ついにはその立場を奪ったことすらも記憶に封じるべきことだった。
――思い出してはならない。けして。絶対に。
思い出せば、その罪深さに身を焼かれてしまうから。だから記憶には厳重に鍵を掛けて、その鍵すらもどこかになくした。
「それより、オルト様から観劇に誘われたんだけど、どのドレスで行けばいいかしら?」
先日仕立てたばかりのドレスと、お気に入りのドレスを見比べてセシリアが侍女に問いかければ、侍女もまた不憫な庶子のことはすっかり忘れて、婚約者の為に着飾ろうとする主のために頭を悩ませるのだった。
――■ 愚者のあがき(Route."Sister")
パレス・ホーリーバリアは顔を引きつらせてテッテリアの捜索を任せていた執事からの報告を聞いていた。
「テッテリアの死体は……既に埋葬したと?」
「はい。それもアンデッド化防止のために火魔法で念入りに焼いてから浄化されているそうで……その、本当にテッテリアかの判別はできませんでしたが」
念入りに死体を処理されているが、魔力持ちの死体の処分方法としては正式なものである。
魔力を持った人間がアンデッド化すればその死者としての階級は非常に厄介なものになる。ゾンビやグールから一足飛びに
ゆえに燃やされ、浄化もされた。邪悪な怨霊すらも現れないように念入りにだった。
パレスもそれには納得するしかない。本当にテッテリア――セシリアが死んでいたとしたら、その死体は吸血鬼の真祖に至るかもしれなかったし、怨霊であったなら浄化不可能な大怨霊になったはずだ。
ホーリーバリアの家門魔法である結界魔法を使いこなす化け物など現れたら、この大陸の終わりとなっただろう。
とはいえ、パレスは唸るしかなかった。
――本当に、アレは死んだのだろうか。
虐待に近い状態で、栄養状態もよくなかったとはいえ、あれの肉体は公爵家の当主である。生半可な刃物など皮膚を通さないし、王都の路地裏のチンピラや薬物中毒者などその血に刻まれた
(この指輪がすんなりとここにあるのも、不穏だ)
当主指輪を指で撫でながらパレスは考える。持ち主を守護する力を持つ守護指輪の魔道具でもあるこれがあってどうしてセシリアが死んだのか。
(そこまで、弱らせたのか。我々が……弱らせることができたのか。我々が)
病に倒れた前当主である妻を思い出すパレス。あれは死の淵にあっても強力な魔力によって活発に活動していた。まるで死ぬとは思わないぐらいに活動していて、本当に死ぬかパレスは疑問だった。それでも死病に掛かれば死んだが。その最後の時ですらパレスでは殺せるとは思えないぐらい化け物じみた女だった。
そんな化け物じみた妻が産み落とした娘は、妻が死ぬときにはほとんど公爵家当主としての教育を終えていた。
本当はパレスが代理当主になる隙などなかったのだ。
――そして
もともとパレスにはそこまで野心はなかった。
愛妾として通っていた娼婦に娘ができたというから可愛がってやっただけだ。
その娘が愚かにもセシリアのものを欲しいというから求めるがままに与え続けただけだ。
だから、テッテリアがセシリアのものを全て取り上げて、側仕えも、土地も、権利も、何もかもを奪って、いつしか立場を入れ替えていてもあまり気にしなかった。
どちらにせよ本物のセシリアが成人すれば返すものだと気楽に考えていた。というより返さねば殺されると思っていた。だから本物のセシリアが何も言わずに下僕や侍従のような真似をしていても最初は気にならなかった。あの化け物が本気になれば自分たちなどいつでもいくらでもなんとでもできるのとパレスは思っていたからだ。
――だけれど、やがて怖くなった。
どうして何年もあんな底辺の生活をしているのか。本物が本気になれば、偽物などいつでも素手で殺せるだろうになんで言いなりになっているのか。
何を考えているのかわからないセシリアが怖くなって、弱らせるために食事量を制限するようになった。
魔力が万全にならないように常に王都の結界の魔力補充の仕事に向かわせるようになった。
精神的に弱らせるために殺されてもいい人材を使っていじめ抜いた。
(だから、死んだのか? 死んでしまったのか?)
本物のセシリアが死んでいるなら、ホーリーバリアの家門は終わる。あれが継承しているホーリーバリア系統の全ての魔法のオリジナルが喪失するからだ。
パレスも念のために重要な魔法を数十ほど複製していたが、所詮直系でない、それも男系の貴族であるパレスではその程度の魔法しか保持できていないし、そもそもがオリジナルの魔法の継承ができない。
眷属たる侯爵以下の貴族たちの娘の中にはセシリアからオリジナルに近い精度で魔法の継承が行われているが、それでも複製は複製にすぎない。オリジナルをオリジナルとして継承できるのは直系の血族だけだからだ。
(ホーリーバリアは……
短ければもっと早く。なぜなら複製の複製を繰り返す間に魔法は弱くなっていくからだ。貴族たちも
それに、今のセシリアが継承できている魔法は多くない。身体強化にちょっとした治療魔法がせいぜいで、本当に自分の子かと疑うほどにその魔力は弱かった。
加えて問題は魔法の散逸だけではない。
本物のセシリアの血の中にはホーリーバリアが継ぐべき数多の口伝も眠っている。パレスが知らないホーリーバリアが抱える貴重な魔道具や設備の使用方法や位置情報もそこにはあるのだ。
――ああ、どうすれば、どうすればいいのか。
家門の滅亡。自分がその引き金を引いた事実にパレスは部下の前であっても顔色を青くするしかない。
代理当主の不穏な気配に執事が当惑するも、それを口にしないだけの分別が執事にはあった。
「うぅむ……影家のものを……連れて参れ」
影家――家の暗部を担当するものたちだった。その家の暗部を司るために、優秀であることと忠実であることが求められる重要な家だ。ゆえに当主家からも子供を与え、たびたびその血を入れている家だった。
「テッテリアの捜索を任せるのですか?」
「違う。貴様は捜索を続けろ」
パレスの動きがあからさまなせいなのか、王都中に庶子の失踪の噂は広まっており、連日王都中から年頃の少女を連れた人間がやってくる結果になっている。
パレスは兵にその対応させていたが、そもそもが兵たちはテッテリアの顔すら知らなかった。
本物が本当に中にいても判断がつかないことをパレスは気づかないままに、パレスは部屋を出ていった執事に一瞥もせずに考え込む。
パレスの頭の中にあったのは自分の名が歴史書にどういう名で刻まれるかだ。
――このままでは、歴代最悪の代理当主であったと記されることになる。
名を残す。それは、この時代の貴族の男たちに存在する、当たり前の価値観だった。
自分の名を歴史書に刻む。家系図に歴代でも最優であったと記される。戦記ものの登場人物として自分が登場する。
夢ではなく現実としてそういったものがこの世界には存在していたし、つい先日まで行われていた西七年戦争の戦記では今生きている貴族や将軍の名前が当たり前に出てくる。
王都の観劇場では千年前の王の名を関した悲劇が演じられているし、歴史書には自分の父祖の名前が当たり前のように出てくる。言い回しに使われる人名すらあるのだ。
自分の名は、残そうとすれば永遠に残すことができる。
魔力持ちの人間の寿命はその身に宿る魔力のために長い。だがそれでも老衰で死ぬ。
だが歴史書に名が残れば、その人間は永遠に残ることになる。永遠を生きるとはそういうことだと貴族は学ぶ。貴族が父祖の名誉を貴族が守るのはそのためであるし、良き領主であろうとするのはそのためなのだと。
それは信仰でもあった。
良き名は、良き死後を約束する。
暗君や暴君の名として自分の名が残れば死後の名誉は汚され、墓は暴かれ、死後の尊厳は弄ばれる。
そういう意識が貴族たちにはあったし、よくあろうとする美徳が彼らにはあった。
だが、家門。それも大公爵とも称されることがあるホーリーバリアの家門を廃滅においやったのが自分の娘であったならば……その父である自分はどうなるのか。加えて庶子を嫡子として育てたことが明るみになれば。簒奪を行った愚かな男だと知られたならば。王国創始のときからあったホーリーバリアの家門魔法を喪失したのが己であったなどとこの国で知られたならば。
(うぐぐ……ああ、嫌だ。嫌だぁぁぁぁ)
自分の名はどうなる。名誉はどうなる。死後の墓は絶対に掘り起こされ、骨は浄化されることなく豚の餌にされる。自分の死霊は捕らえられ、教会で飼われて、愚かな男であったと民衆の遊びに使われるようになるかもしれない。
(嫌だ。嫌だ。嫌だぁあぁあああああああああ)
いや、それよりも最悪なのは、死後、天の園や地の獄で父祖の霊に殺され続けることか。
終わりのない苦痛を思い浮かべ、パレスは本物のセシリアの生存を願った。頼む。お願いだ。生きててくれ。今日にでもこの屋敷を訪れ、この愚かな代理当主を引きずり下ろしてくれ。頼む。
そんなパレスのもとに先程部屋を後にした執事が訪れる。影家の人間を連れていた。パレスがご苦労と平静を装いながら執事を退室させ、影家のものに命令を下した。
主家の暗部を担当する影家は、その性質上主家の血を色濃く引く。ゆえにパレスはとにかくこの苦痛を引き伸ばすべく命令を出した。
影家で、王都や各地のホーリーバリアの魔道具への魔力供給を行うようにと。
これは主家の血が薄いパレスにはできないことだった。もちろん、その庶子たる偽物のセシリアにもできない。
ただ主家の濃い血を引く影家と、ホーリーバリアそのものである本物のセシリアだけができることだった。
王都や各地にある聖域の結界魔道具などは、ホーリーバリアの魔力がもっともよく馴染む。その魔力でなければ十全に力を発揮することはできない。ゆえに、この曖昧な状態を維持するためには、この指示をパレスは出すしかないのだ。
「理由は言えないが……頼むぞ」
「御意に」
頭を下げて影家のものが出ていった。
影家は主家に抗うことはない。高位の
それよりも心中を荒らすストレスでパレスの脳中は一杯だったからだ。
ただ、パレスはここで自分が間違えたことに気づかなかった。
これにより、ホーリーバリアの捜索力は低下し、本物を発見することが永遠に不可能になることなど。
まだよく探れば王都の路地裏にはテッテリア――本物のセシリアの痕跡が残っていた。
だがこの数日後に大雨が降り、テッテリアの痕跡は完全に洗い流されることになり、またテッテリアが幻術に加え、いくつかの魔力欺瞞の魔法も覚えてしまうことになる。
パレスが影家を使わず、テッテリア捜索に公爵家の兵だけを用いたのは、影家を恐れていたからでもあった。
主家に盲従する彼らがテッテリアのことを、本物のセシリアを知れば、どうなるのだろうか。
自分は殺されるだろう。偽物のセシリアも殺されるだろう。愛妾も殺されるだろうし、パレスの実家の貴族家がどうなるのかもわからない。
ゆえに、捜索に影家の使用を戸惑った。
加えてこうして延命のために影家を使い潰そうともしてしまう。
愚かなことをしている自覚はあった。だけれどパレスは、そうするしかできなかった。
◇◆◇◆◇
☆とかフォローとかいただけると作者のやる気があがります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます