第3話
――■ 困惑(Route."Sister" )
「テッテリアが帰っていない?」
「はい。入学式にも出席していないそうで、学園に問い合わせたところ、そのような返答がありました」
下級使用人の報告に執事の青年は顔を不快げに歪ませた。
執事の青年はまだホーリーバリア公爵家の屋敷に慣れていなかった。
そんな、執事になってから年数の浅い青年が与えられた仕事は別邸の使用人の管理だったからだ。
テッテリアの管理もそこには含まれており、つまりはテッテリアの未帰還は青年の管理不行届になる。
「ふむ、勝手に帰ってくるのを待つ……というわけにもいかないか」
さりとて本邸の兵を借り受けて、王都中を探させるというのも違うと執事は思った。
公爵家の血筋といってもテッテリアは代理当主であるパレス・ホーリーバリアの庶子で、公爵家の正式な血統とは認識されていない。
それでは如何に公爵家と言えども王都で兵を展開する理由には不足しすぎていた。
「あー、適当に下男に捜索させておけ。死体でも見つかれば御の字だろうがな」
しかし何もしないのも違うということで、手の開いている使用人を動かすことにする。
王都の治安は表向きはそれなりに良いものの、ちょっと裏道に入れば西七年戦争の帰還兵や、元冒険者たちで構成されたヤクザやギャングがいるような危険地帯だ。
王都に不慣れな少女が一人でうろついていれば攫われて殺されていてもおかしくはないし、そこに下男を向かわせれば二次被害に遭う危険もある。
ゆえに捜索する下男たちには無理をしないように言い含め、テッテリア自体は生きていればヨシ。死んでいても死体が回収できればヨシぐらいの感覚で執事は指示を出す。
「む、お嬢様の出発か」
そんなつまらない作業をしていれば、青年の視界の隅に学園へと出発する、公爵家の唯一の直系血族であるセシリアが馬車に乗る姿が見えた。
(あの方こそ公爵家そのもの。我らがお仕えすべき尊きお方)
執事は深々と、敬意を込めて頭を下げた。
――■ 暖か(Route."Dead Bloodbath")
ホカホカと湯気の立っているスープの底には様々な野菜が沈んでいた。
「ごめんな? もっとガッツリ食わせてやりてぇんだけど、なんか今食わせるとテッテリア死ぬとかでさぁ」
長髪を髪留めで結んだアギトが片手に鍋を持って、片手にスープ皿を持って、テッテリアに微笑みながら告げる。
「……あの、その……」
「あー、気にしないで。俺がやりたくてやってるだけだからさ」
テッテリアはアギトの家のベッドに横になっていた。
鍋とスープをベッド傍の小テーブルに置いたアギトに肩をポンポンと叩かれて安心していれば、ほこほこと湯気を立てるスープがスプーンで掬われてテッテリアの口元に運ばれる。
「ほら、あーん」
――幸福だった。
今頃、本当の自分はあの路地裏でゲロにまみれて死んでいるのかもしれないとテッテリアは思った。
今はただ、死に際に妄想した夢でも見ているのだろうと思った。
だからあの辛いばかりの公爵家に帰ろうとは思わなかったし、アギトにそれを口にしようとも思わなかった。
――きっと、この夢が醒めてしまうから。
「ああ、じゃあ俺学園行ってくるから。テッテリアは身体治るまで寝ててな? ま、部屋の中でなら自由にしてくれてもいいけど」
スープを食べ終わり、処方されたポーションなどを服用したテッテリアはアギトに布団越しにポンポンと柔らかく叩かれて、ふにゃあと顔を緩める。
「可愛いねテッテリア」
甘い声で囁かれて、ふにゃふにゃになってしまう。テッテリアが誰かに可愛いと言われたのは九年ぶりだった。優しい言葉を掛けられたのも九年ぶりだった。
あのときから、あの娼婦の母が公爵家に入ってからはいつも辛い言葉で罵られるばかりだったテッテリアは、やはり自分が夢でも見ているのだろうと思った。
そんなテッテリアが布団から出していた手を自分の指で撫でれば無骨な指輪の感触がした。手癖だった。テッテリアは嫌な気分になった。指輪。この指輪があると、公爵家のことを思い出してしまう。
テッテリアの様子にアギトは「どうしたの?」と柔らかく聞いてくる。アギトから漂う伽羅の匂い。テッテリアは顔を赤らめて、あの、とアギトに声を掛けた。
「うん? 何?」
「これ、いらない……もう、いらないの」
――これは、誰にも渡してはいけないのよ。貴女のものなのよ。
父が執拗に寄越せと言ってきた記憶もあったがどうでもよくなっていた。
「指輪? うん? いらないの?」
アギトが困惑した表情で聞いてきて、テッテリアは「うん。いらない」とだけ言う。
そう、とアギトは渡された指輪を手のひらの上で転がしてからポケットにそれを放り込んだ。そうしてから、気遣うようにテッテリアの髪の毛に触れてくる。柔らかく、優しく撫でられ、頭にキスをされた。
「じゃあ休んでな。元気になったら学園に一緒に行こうな?」
「……うん」
あの闇医者の見立てではテッテリアの肉体の損傷は深く、重かった。貴重なⅢランクポーションを用いても、治療には一ヶ月ほどかかるらしい。
それでもテッテリアは一ヶ月後の学園のことが楽しみになった。自分の学籍が残っているかは考えなかった。考えたくなかった。
暖かさと薬効でぼんやりする頭でアギトの優しい言葉にうん、うんと頷いていれば、病気治癒ポーションに混ぜられた睡眠作用が働いてテッテリアのまぶたがゆっくりと落ちていく。
アギトは優しそうに微笑んでいて、テッテリアは二度と自分が目覚めなければ幸福なまま死ねるのに、と思うのだった。
――■ 金貸しゴンドウ(Route."Dead Bloodbath")
「おじさーん。死体一つ用意してくれよ。若い女の死体。金髪で、少なくていいから魔力持ちの死体。あ、身元誤魔化したいから血は抜いといてね」
「その前にアギト……この出費の理由はなんだ?」
金貸しゴンドウ。アギト・カラサワの叔父であるゴンドウ・カラサワは早朝に自分を訪ねてきた兄の息子に苦言を呈した。
手元にはゴンドウも世話になっている闇医者と闇錬金術師から送られてきた請求書がある。
ツケの類は普段はまとめて払っているが、あまりに高額なためにすぐに請求が来たのだ。
その質問にアギトは蕩けるような笑みを浮かべた。
酔っ払ったように笑う兄の息子にゴンドウは嫌な気分になる。
だいたいが常に残酷なことか金儲けを考えているような男がする目をアギトはしている。
「さっき、いいもの拾ってさぁ」
「いいもの、か」
「あー、学園の編入枠あったっけ? 騎士爵余ってる?」
深い溜息を吐くゴンドウ。
「説明しろ。アギト。お前が可愛い甥っ子とはいえ、流石になんの説明もなしにそこまでの出費はきついぞ」
もちろん、可愛い甥っ子だ。求められれば騎士爵を与えることに否やはなかった。
亜人種族連合とグレイト大王国が戦争をした西七年戦争。それ以前ならば入手も難しかったが、今ならば西七年戦争終結時に騎士爵を貰った後、経営困難な地で身代を潰した騎士たちから取り上げた騎士爵がうじゃうじゃとゴンドウの手元に存在していた。
もちろん騎士爵たちに与えられた土地は国が没収した。だが爵位だけはゴンドウの手元に残っているのだ。
賄賂を駆使し、処理をして、その爵位の血統が存在しているように書類も作ることができる。
だから騎士爵程度なら与えるのに問題はない。
しかし木っ端とはいえ爵位は爵位だ。
少ないが国家から年金も貰える代物を子供のおもちゃのように与えるのは問題があった。
「うちってさぁ。貴族の血、入ってないじゃん」
アギトもゴンドウも黒髪黒瞳。東の無魔法地帯出身血統だ。
ゴンドウ自身、祖父がなんとか嫁に迎えられた商人出身の魔力持ちの祖母によって微小に近い魔力を持っているも偉ぶれるような魔力の強さはない。
もちろん戦争では卓越した東方の武術で魔力持ちを殺すことはできるものの、それでもアギトやゴンドウには魔力持ちの貴族に対する憧れのようなものはあった。
――貴族の魔力を得られれば、カラサワがこの国に本当に受け入れられた証明になる。
魔力持ちの貴族と縁をつなぐことは、カラサワ家の悲願だった。
「そうだな。我がカラサワ家の悲願である」
ゴンドウが言葉にすればアギトはうんうんと頷いている。
ゴンドウの兄であり、アギトの父である男も魔力持ちの嫁を迎えたが、騎士爵の娘だ。
生まれた姪っ子をその家に嫁がせる契約までしての結婚だった。
なおこの国では騎士爵は正式な貴族とは扱われていない。貴族もどきである。
「じゃあさ……うまく行けば、俺の嫁はめちゃめちゃすげぇ魔力持ちにできるかもしれないって言ったら、協力してくれる?」
ゴンドウは、にへらと笑ったアギトの瞳の中に、頭のイカれた謀略家が持つ残虐性が宿っているのを見て、ふむ、と頷いた。
「わかった。では、詳しく聞こうか」
金貸しゴンドウの名通りの、容赦のない、冷酷な金貸しの顔をしていた。
――■ 王都の堀(Route."Sister""Dead Bloodbath")
王都の堀に死体が浮かんでいた。金髪の少女の死体だった。ツギハギだらけの貴族学園の制服を着た少女の死体だった。
王都の裏路地に住むギャングたちが行う残虐な処刑法で処刑されたらしいその少女の死体は、王都の警備兵によって堀から引き上げられ、名前も出身も不明なために王都の無縁墓地に葬られた。
遺品の制服は血で汚れていたためにすぐに捨てられた。
残ったのは指輪が一つ。
無骨で、なんの紋章もない無装飾の指輪だった。
価値もない品だと思われて三日ほど詰め所にそれは保管されていたが、不真面目な警備の兵が目ざとく見つけ、他の死体の遺品と一緒に故買屋に売り払われた。
買い取った故買屋の店主はその指輪を見て、すぐに高位の貴族家が持つ細工指輪だと気づいた。
いくらかの操作によってそれの正体は確かめられ、故買屋の店主は顔を青ざめさせた。
――指輪は、グレイト大王国の公爵たるホーリーバリア家の家紋指輪だった。
――■ 失態(Route."Sister")
「……テッテリアが行方不明だっただと?」
呼び出した若い執事の報告に、パレス・ホーリーバリアは信じられないような気持ちで言葉を返した。
「はい。学園に向かわせたところ、途中で行方をくらませたそうで」
動揺も浮かべず、飼っていた犬が逃げたぐらいの感覚で、逃げたのかもしれませんね、なんて軽く言う執事に、パレスはそのまま目の前の男を殺したくなる衝動を抑え込むのに苦労する。
――まずいことになっている。
パレスの手元には、とある故買屋から持ち込まれたものがある。口止め料は小規模な領地ならば買い取れるほどの金を積む必要があるぐらいだった。
家紋指輪。テッテリア・ホーリーバリアが持っていたとされるそれ。
「なぜ、一人で行かせた?」
「いえ、一人ではありません。護衛の兵もいましたが突然駆け出したらしく」
若い執事の嘘の報告をパレスは全く疑問に思わず信じた。
「逃げ出した、と?」
「はい」
逃げた? 逃げたのか? アレが? どうして?
パレスの頭の中には疑問しかない。今更アレが逃げたところでどこに行く? どこに行ける? ホーリーバリアの本家は自分が掌握している。分家も、派閥貴族もそうだ。配下だって、騎士団に領地の官僚組織含め、全てパレスの指示に従っている。
九年前ならともかく、今更
いや、あれが本当に何もかもを取り戻す気になったなら――。
「――探せ。とにかく、なんでもいい。探せ」
「は……はぁ? 探すのですか?」
そうだ!! と執務机を大きく叩いたパレスに年若い執事は顔を青ざめさせた。
「騎士団を使え。追跡スキル持ちも投入しろ。絶対に取り逃すな。絶対にだ!!」
「は、はい!」
「行け! 疾く速やかにテッテリアを確保しろ!!」
命じるだけ命じたパレスは深く、深く椅子に身を沈めた。
不安があった。全てが崩れ去る不安。
「……大切に、すべきだった……」
まさか逃げ出されるなど考えもしなかった。
いくらでも、いつでも逃げる機会などあったはずなのに。今まで逃げなかったアレが逃げるなんて思わなかったのだ。
「せめて、この屋敷から直接逃げるのであれば……」
いくらでも、いつでも捕らえることはできただろう。しかし王都は広すぎた。加えて人の流れが流動的すぎる。追跡スキル持ちを派遣したがテッテリアが行方不明になってから、一週間以上も経っている。テッテリアの痕跡などとっくに消え去っているだろう。
「……それに、これは、どうして、故買屋などに持ち込まれた?」
この家紋指輪は特別なものだ。テッテリアが本当に手放す意思を見せなければ外れない類のものである。
それにテッテリアがこれを外すわけがないとパレスは考えていた。この指輪には、容易に防げる害意は通すものの、一撃で死亡するような攻撃魔法などから肉体を守ってくれる守護の魔法がかかっている。これを外せば、テッテリアは害意に無防備になる。それを知っているはずのテッテリアがこれを手放すはずがなかった。
「それに、これはアレの唯一の存在証明のはず」
テッテリアがこれを使おうと思って使えば、
テッテリアのことを考えるパレスだが、その頭の中に少女の顔はない。パレスにとって、テッテリアとはろくに顔を覚えていない、覚える必要のない娘だった。必要なときに必要なだけ使う道具でしかなかったためだ。アレの魔力さえあればパレスには十分だったのだ。
そもそもテッテリアだってパレスのことなどどうでも良いと思っているはずなのに。
「だが、見つけなければ」
見つけなければならない。どうしても、絶対に。
――そうでなければ、ホーリーバリア公爵家は破滅する。
◇◆◇◆◇
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