第2話



 ――■ 入学式の話 その3(Route."Dead Bloodbath")


 中天に日が昇ったのはずいぶん前で、夕焼けを見たのは少し前。

 今は星の光が薄暗い空に瞬いている。

 路地裏から夜空を見上げたテッテリアは恐怖と体調不良で顔色を真っ青にしていた。

 学園にはたどり着けなかった。学園の入学式には出席できなかった。

「ど、どうしよう……」

 そもそもがこんなに王都が怖い場所だとわからなかった。

 あの赤ら顔の店主に一度蹴り飛ばされたら、周囲の人間が襲ってくるようになった。

 臭い臭いとテッテリアは王都の住民から追いかけ回されて、自分がどこにいるのかもわからなくなってしまっていた。

 教科書の入った薄い鞄は落として、誰かが持っていってしまった。

 所持品はない。お金もない。ただ誰も自分を追いかけてこない路地裏で空を見上げるしかなくなっている。

(どこなの……ここ)

 暗い路地裏を進む。進んでいく。痛みと恐怖で足は遅くとも、それでも、ゆっくりゆっくり進んでいく。

 公爵邸には辛い仕事と罵声といじめしかないけれど、それでも寝床があった。

 この路地裏には何もない。

 というよりここで横になったらたぶん死ぬんだろうとテッテリアは思っている。思い込んでいる。

 石畳には吐瀉物やゴミが転がっていた。死体のように眠る人の姿も。


 ――本当の死体も転がっていた。


 テッテリアはふらふらと薄暗い路地裏を歩いていく。

 歩いていれば、酒瓶片手に寝転がっている元冒険者の浮浪者や、霊薬ポーション中毒患者ジャンキーが喧嘩を繰り広げている姿を見るようになる。

 胸元にナイフを突き刺され、蹴り飛ばされたまま起き上がらない老人。

 路地裏の隅から欲しがりな表情でテッテリアを見つめる子供たち。

 呆けた顔で宙空を見つめる娼婦。

「いい服着てるなぁ」

「ひ、ひぃッ」

 テッテリアに伸ばされた浮浪者の手を、魔力強化された剛腕で振り払いつつ、テッテリアは路地裏を駆け、転がり、起き上がって、ふらふらとした足取りで奥へ奥へと進んでいく。

 暗闇は強く、大通りや道に面した酒場から溢れる光だけが光源だった。

 自分も、石畳に転がっている死体のようになるのだろうか。


 ――恐怖が、テッテリアの心の奥底から湧いてくる。


「うぅぅ、や、やだ。やだぁぁ。やだよぅ」

 歩きながら、お腹を押さえながらテッテリアは歩く。

 お腹が減った。今日は朝からスープ一杯しか飲んでいない。うぅぅ……帰りたい。帰りたいとテッテリアは泣きながら歩いて行く。

 そうして、大通りの光も、酒場の明かりも消える深夜には、スラムの路地裏の奥に蹲って、立ち上がることもできなくなった。



 ――■ 黒髪の無頼(Route."Dead Bloodbath")


 アギト・カラサワは三代前に東方諸国から傭兵としてやってきた黒髪黒瞳の男たちの子孫だった。

 生まれた頃は無位無官の平民として王都の平民街で暮らしていたものの、父親が三年前に起きた西方亜人連合との大規模な戦争『西七年戦争』にて武功を上げ、騎士爵を賜ったことで貴族の端っこも端っこに引っかかることになった。

「あー、飲みすぎた。吐きそう」

 貴族の義務として、嫡男でもあるアギトはグレイト大王国の貴族学園に入学していた。

 その入学式が今日だった。学園自体は簡単なオリエンテーションだけで解散したものの、そのあとのクラスの飲み会に参加して大騒ぎをした。

 最初は軽食屋のスペースを貸し切って食べたり飲んだりしていたものの、二次会で飲み屋に行き、酔いつぶれたり、寝てしまった同級生を安宿に叩き込んだりしてから、まだまだ飲めるぞとアギトは見かけた上級生の飲み会にしれっと紛れ込んだり、貴族学園とはまた違う、軍学校の新歓に紛れ込んで、飲み食いしたあと、広場で王都民がダンスを踊っていたので踊ったり、冒険者たちが賭け試合をしていたので参加したりと久しぶりの王都生活を大いに満喫していた。

「父よ。息子は王都生活を堪能してるぜぇぇぇええええええ。おぇえええええええ」

 アギトの父親は未だ戦火燻る西方領地の一角を賜ったことで王都には帰っていない。

 それでもそんな父親に向け、己が如何に如才なく王都を満喫しているかを吐瀉物とともに路地裏に報告しつつ、早朝の涼しさと太陽の光を堪能したアギトは妙な臭いに眉をしかめた。


 ――臭い。半端なく臭い。


「なんだぁ。変なモンでも食ったか?」

 自分の吐瀉物なんか見たくないと思いつつ、足元に目を向ければ、馬糞か何かの臭いがする何かが自分のゲロにまみれているのが見える。

「ああ? あー?」

 その何かはアギトも入学した貴族学園の制服を着ていた。女性用の制服を着ているが、男にも女にも見えた。骨と皮でガリガリの身体をしていた。馬糞の臭いがした。周囲を見れば血に塗れた浮浪者の死体が転がっている。顎を頚椎ごと砕かれていた。ゲロに塗れた人物の拳が血に塗れているのでこれがやったのだろうか。

「あー? 酔いつぶれてる系? はしゃぎ過ぎて馬小屋で寝ちゃったのかな?」

 アギトが問いかければ、それは胡乱な目でアギトを見上げた。拳が自動で自分に向かってくる。意識した動きではないのだろう。直線的だった。それでも強力な魔力が込められており、アギトは(こわ。マジモンの貴族じゃん)と内心で思いつつ、向けられた拳を手のひらで柔らかくいなすと、その手を引いて、関節に手刀を素早くいれて無理やり立たせた。

「悪い悪い。ゴミに見えちゃってさぁ。お詫びに朝飯でも奢るからさ。っていうか風呂とクリーニングいるよな? マジでほんとすまんすまん」

「あ、ぅぅ。あー。ああああああああ」

 暴れるというよりは何かの感情の発散のようなものをそれはしたが、アギトは「わかる。わかるよ。飲みすぎて辛かったんだよな。俺もそうだよ。マジでわかる」と肩を組みながら、歩いて行く。

 アギトは酔っていたし、この謎の人物の悪臭も、幼少期に父親にゴブリンの巣穴に叩き込まれたことでそこまで気にしなくなっていた。

 もちろん臭いことは臭かったが、生き残るために馬の臓物の中に隠れ潜んだこともあるアギトからすればどうでもいいことだった。

(貴族かぁ。うまく使えりゃいいなぁ)

 それよりもこの貴族との縁を奇貨として、親切にすることに決めたのだった。



 ――■ 恋の予感(Route."Dead Bloodbath")


「……あ、あの、本当に、誰にも知らせないん、ですよね?」

「あー? 医者のこと? 大丈夫大丈夫。このお医者さん、闇医者だから」

 闇医者と、テッテリアは小首を傾げて、アギトと名乗った見知らぬ青年の言葉を繰り返した。

 お腹が痛いと繰り返していたテッテリアをアギトは医者に連れて行こうとしたが、執拗に誰かに知られることを恐れたテッテリアの様子から、金貸しをやっているアギトの叔父が懇意にしている闇医者へと連れて行った。

 闇医者はテッテリアを診察してから、投げやりにテッテリアの現状を説明してくれる。

「臓器の悪化に、骨格も歪んでいるな。それに栄養不足に睡眠不足。虐待の痕跡も見えるな。なんだ? 訳ありか?」

「こんなとこ訳ありしか来ないってセンセー」

 そりゃそうだ、と笑う老人に、アギトはここに来る途中で神殿の孤児が売っていた安物の黒パンを片手にゲラゲラ笑う。何がおかしくてアギトが笑っているかわからなくてテッテリアは不安になる。

 それでも、お腹の痛みは消えていた。医者の老爺が掛けてくれた簡単な医療魔法の効果だった。

「アギトォ、とりあえずてめぇが完治させろっつーから、臓器用に調整したリジェネレイトⅡに、骨格の歪みを治すのにハイポーションⅢ、肉の補填に未分化ホムンクルス、魔力不全解消にエーテルⅣと魔力調整薬のブレンドにあと病気治癒ポーションのⅢを処方するから、裏の店で貰ってきな。あとこれ代金な」

 0がいくつも書かれた紙を受け取ったアギトがにっこりと「叔父さんにツケといてよ」と笑えば老医者は「これをか? あの吝嗇が払うのか?」と呟いた。

「払うって、で、裏の婆さんのとこな。オケオケ。行こうぜ。テッテリア」

 そう言ってアギトはテッテリアの手を優しく引いて、立たせてくれた。


 ――アギトはいい匂いのする青年だった。


 テッテリアに男の顔の良さはよくわからない。

 だが、アギトと名乗った長身の、黒髪黒瞳の青年は蕩けたような笑みを常に浮かべ、余裕そうに振る舞っている。

 その様は、テッテリアにはどうやっても好意的に捉えるしかできない顔だった。有り体に言えば美形男子イケメンだった。

(優しい、優しいなぁ)

 アギトは、彼の服に炊き込められているのか、伽羅の匂いのする男で、そんな男に触れられるだけでテッテリアの荒野のように吹きすさんだ心はじくじくと痛みと快楽をテッテリアに齎した。

 屋敷の下働きの男たちは粗暴で、テッテリアに暴力的だった。テッテリアに魔力がなかったらきっと犯され、殺されていたぐらいに。だけれどアギトはそんなこともなく、テッテリアに優しく振る舞ってくれる。

 道に迷った路地裏でテッテリアは倒れていた。迷っているうちにいつのまにか寝てしまったのだ。傍には血まみれの男が倒れていて、気づけばゲロまみれになっていて、あんまりなことに泣きわめくしかなかった自分にアギトを優しくしてくれた。

 数年ぶりの好意に、テッテリアは初対面のアギトを信頼しきっていた。アギトにはそういう空気があった。

(アギト、様……お風呂にも入れてくれたし。入ったの、何年ぶりかな)

 この、闇医者? というよくわからないお医者さんに連れてきて、お医者さんからアギトはお風呂を借りてくれたのだ。

 汚れた制服の代わりの服もアギトは買ってきてくれていた。古着だが、テッテリアにはあの執事がくれたツギハギだらけの制服よりもずっと良いもののように思えた。

 それにテッテリアはお医者さまだの、服だのと自分が代金を払えるか不安になるも、アギトは何も言わずに払ってくれていた。

「金ぇ? まぁまぁ、あんま気にすんなよ。うちって金持ちだからさ」

 不安になって聞けば気にするなと返すアギトに、気にするのも悪いのかな、という気分になるテッテリア。

 肩を優しく掴まれて、テッテリアの歩く速度に合わせてアギトは歩いてくれていた。いい匂いと暖かさのするアギトに身を寄せれば、アギトはにこにこと笑ってテッテリアのそのわがままを許容してくれる。

(好き……好き、かも)

 好意に好意を返してくれる経験が数年ぶりすぎて、テッテリアはまるで尻尾を振る子犬のようにアギトに心を寄せてしまう。

「ちょろすぎ」

「……? なにか言った?」

「なーんにも。可愛いねって」

「そ、そう? そうかな?」

 こんな身体でも、可愛いのだろうか、とテッテリアは思う。

 骨と皮だけの身体に、ガサガサの肌。髪も手入れが全くしていないし、爪も汚い自分。

「うん。可愛い可愛い」

 にこにこ笑う、いい匂いのアギトに頭を撫でられれば、嬉しい気分でテッテリアは過ごすことができた。

 医者を出るとそのまま裏の店へと連れて行かれる。早朝だからか扉のしまっている店をガンガンガンとアギトは叩いている。

「客だー。客だおらー。客だぞー」

 ゲラゲラ笑っているアギトにテッテリアは苦笑いするしかない。

(こんなことして追い出されないのかな)

 テッテリアの頭の中には王都でたくさんの人に追いかけられた記憶しかなかった。

 王都の人は、屋敷の人は、この世の人はみんな、テッテリアにとっては暴力的だった。

 いや、そうではなかったかもしれない。七年前のことを思い出す。母が、母が優しかったときのことを。まだ周囲の皆が優しかったあのときを。もう記憶にかすかに残るしかない思い出を。

「なによ? アギトじゃない」

 背後から声がかかる。振り返れば霊草の匂いのする黄色の髪と黄色の瞳の少女がアギトに声を掛けていた。

「まだ店しまってるから。お婆ちゃん、まだ寝てるわよ」

「薬もらいに来たんだよ」

「えー、クスリ? ポーション? 中毒ジャンキーなのアギトって?」

「ちげぇって」

 アギトに身を寄せてきたその少女は囁くようにして、アギトと頬を寄せながらそんなことを話している。身体接触が多いような気がするし、アギトが少女の尻に手を伸ばし、少女もそれを嫌がっていない姿が見えて、テッテリアはむ、と顔を強張らせた。

(アギト様。お尻、好き、なのかな?)

「医者のじいさまの処方箋これな」

「え? 何これ? どこの重病患者の薬なのよ? Ⅲポーションとか腕が取れたとかそんなときでもないと使わないし、病気治癒Ⅲとか死病で末期の患者の奴じゃん」

「そだっけ?」

「そうなのよ。っていうか。そんなお金持ってたっけ?」

「叔父さんが出してくれるからダイジョーブ」

「うわぁ。さすがボンボン」

「でしょー。あ、今度遊びいかね? 賭け試合で稼いでさぁ」

 終始少女はアギトにだけ顔を向けていて、テッテリアには最後まで声一つ掛けなかった。



                ◇◆◇◆◇


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