ドアマットヒロインが頑張って幸せになる話
止流うず
第1話
――■ 婚約破棄(Route."Grand" TrueHappyEND)
「リディア・ホーリーグレイル! 度重なる聖女への嫌がらせにより貴様との婚約は破棄となった!!」
人類大陸の七割を支配するグレイト大王国。その大国家の王太子たるステファン・グレイトの宣言が貴族学園の卒業パーティー会場に響き渡った。
赤い髪に黒い瞳、ステファン王太子の真紅の瞳と同じ色のドレスを纏った令嬢――リディア・ホーリーグレイルがその言葉に雷に打たれたかのように硬直する。
しかし、リディアは硬直を気力で吹き飛ばすと、大声で「なぜですか! 殿下!!」と叫ぶように問いを発した。
令嬢の声に負けずと金髪紅瞳の王太子は壇上からリディアに向かって声を張り上げ、問いに答える。
「リディア・ホーリーグレイル嬢、貴様が再三に渡って聖女リナ・スズキに嫌がらせをしたからだ!」
「ちょ、ちょっと殿下。鈴木って言わないでください。ダサいので」
王太子ステファンの隣に寄り添っていた黒髪黒瞳の少女が慌てて王太子に抗議するも、王太子は聖女の抗議を無視して言葉を続ける。
「リディア・ホーリーグレイル嬢、貴様がリナの教科書を汚し、足を引っ掛け転ばせ、噴水に突き落とし! 挙句の果てには階段からも突き落としたことは多くの証言者と俺の目によって明らかだ!!」
「リディア様、とっさに受け身を取ったから大丈夫でしたが、私、本当に死ぬかと思いましたよ」
「ぐ、ぐぅぅぅぅ! そ、それは殿下が!
「夢中だと! 我が王国に蔓延る瘴気を浄化し、宮廷医さえ匙を投げた我が父の死病すらも癒やした聖女を大事にして何が悪い!!」
「そ、それは! ですが!! で、殿下……!!」
いいから婚約破棄だ! と王太子ステファンが叫べば悪役令嬢リディアは泣き崩れた。
そのリディアの傍に王子が手配していた兵が立ち、王子が「その女を連れて行け!」と兵に命令をする。
こうして王子と筆頭公爵家との間の婚約は破棄され、王太子は独身となった。
しかし、国王を救い、王国の瘴気を晴らした聖女との間に新しい婚約がなされた。
祝福が臣下たちから捧げられ、民たちは歓呼の声を上げ、王太子と聖女の婚約を
――この年より王国を蝕んでいた瘴気は消え、王国史に賢君ステファンとその妻である聖女の名が燦然と輝くことになる。
聖杯の公爵家が娘、リディア・ホーリーグレイルは修道院へと送られ、その生涯を祈りに費やした。
――■ 結界の公爵家の婚姻(Route."Sister" TrueHappyEND)
この特別な日のために、王都の大聖堂が貸し切られた。
また大貴族の当主やその家族、結界の公爵家たるホーリーバリアの傘下である中小貴族や、公爵家の傘下でなくとも、派閥に関わる貴族などが参列する。
祝福の鐘が鳴り響き、新郎と新婦は幸福と繁栄の絶頂にあった。
婚姻を取り仕切るのは、王都教会に所属する最高位司祭と枢機卿を兼任する長大なローブを纏った老人だ。実に多忙なこの老人の祝福を受けられる新婚夫婦などこの巨大な王国の貴族たちでさえ稀だろう。
「はい! 誓います!!」
花嫁の軽やかな声。花婿の重々しい声。誓いの言葉が女神シズラスガトムに捧げられる。
この日のために集められた少女たちが花びらを王都中に撒いていく。
大聖堂の前に立ち並ぶ民衆に酒を肉が無料で振る舞われる。
貧民街の住民には清潔な衣服と簡易的な住居が与えられ、ホーリーバリア公爵家の慈悲が示された。
この日のために王都中の路地からはゴミが撤去され、浮浪者たちは教会で食事を与えられた。
このめでたき日に死の汚れなどあってはならないと重病人の元には公爵家の費用で蘇生魔法すら使える司祭が送られた。
全ては公爵家に生まれた幸福なカップルの幸せのおすそ分けである。
花婿たるリデイル侯爵家が三男のオルト・リデイルあらため、オルト・ホーリーバリアは大聖堂の入り口から王都の民たちに手を振りながら、妻となったセシリア・ホーリーバリアへと微笑みを向けた。
「ようやく結婚できたな? セス」
「ええ、オルト。ようやく結婚できたわね」
色の薄い金色の髪に、青い瞳をした少女――セシリア・ホーリーバリアは夫へにっこりと微笑みを返すと民たちに大きく手を振る。
民たちは幸福な花嫁に向かって歓喜の声を上げた。
「たくさんの人にこんなにも祝福して貰えて、私、本当に幸せだわ!」
夫であるオルトは思う。結界の公爵家であるホーリーバリアの一人娘、セシリアとの婚約は幼少の頃からのものだった。
最初はぎこちなかったが文通や定期的な茶会で交流を重ね、仲良くなった。
学園に入ってからは特別クラスでお互いに切磋琢磨を繰り返した。
頭の良い妻は自分よりも成績がよかったが、代わりに貴族が学ぶ剣術や魔法の授業ではオルトはセシリアよりも優秀だった。
(お互いに、支え合っていこう)
この育んだ愛情を、ずっと枯らさずにお互いに笑って老いて、笑って死ねるように。
オルトも民衆に向かって、大きく手を振った。参列者たちは笑っていた。オルトも笑っていた。民衆は笑っていた。セシリアも笑っていた。
賢君ステファンの筆頭臣下とされるオルト・ホーリーバリアと、その妻であるセシリアの結婚式は歴史書にも残るほどに大規模かつ壮麗なものであった。
――■ 入学式の話 その1(Route."Dead Bloodbath")
「う……うぅ」
――その日は朝から体中が痛かった。
それでも仕事のために早朝から起きて、井戸に向かう。
「ほら、テッテリア。さっさと井戸水汲んで! 馬の水桶がまだだよ!」
水魔道具は屋敷の住人のためのもので、少女のためのものではなかった。
「は、はい」
テッテリアはホーリーバリア家の裏にある大井戸から水を汲み、馬小屋に持っていく。
食事が少ないために身体についている肉は少ない。また、傷だらけの皮膚が目立つテッテリアは肉体に残り滓のように残っている魔力で身体能力を強化して次々と仕事をこなしていく。
――その日は朝から頭が痛かった。
寝不足に栄養不足、多くの仕事を振られることや、定期的な王都守護魔道具への魔力供給で日常的に魔力枯渇を起こしているテッテリアは慢性的な頭痛持ちだった。
「テッテリア! 仕事だよ!!」掃除、洗濯、力仕事ばかりを与えられる。「テッテリア! ほら食事だ!!」小さな豆が二つ浮いたスープを与えられる。「テッテリア! 早く食え!!」「テッテリア!! 早く!!」「テッテリア! サボるな!!」テッテリア。テッテリア。テッテリア。
その言葉を聞くと、少女は自分がなんだったのかわからなくなる。テッテリア。テッテリア。
テッテリア・ホーリーバリアはホーリーバリア家の当主である父親が娼婦に産ませた子供だ。
子供を孕んだということで正妻が死んでから引き取られたその娼婦は屋敷で女主人がごとくに振る舞っている。
また、その娼婦は現当主の一人娘であるセシリア・ホーリーバリアと、まさしく親子のように仲が良く、二人で楽しく暮らしているという。
テッテリアは、ほとんど父親と会ったことがなかった。
母親……そう、母親であるはずの女が豪奢に暮らしているのに、テッテリアはそんなこともなく、ホーリーバリア公爵家の王都本邸の庭の隅にあるボロ小屋で慎ましく生きている。
与えられるのは辛い仕事と、乏しい食事だけ。愛情などかけらもない。懸命に日々を生きている。
死んでいないのは、貴族の血を引くためにある強力な魔力があるからでしかない。
――その日は、しくしくとお腹が痛くて痛くて仕方がなかった。
貴族の学園に通え、と執事の青年から仕事を与えられたのは、学園の入学式の前日のことだった。
「私が、貴族の学園に、ですか……」
「そうだ。卑しいテッテリア。貴族には体面というものがある。公爵ともなれば庶子であっても通わせるのが慣例だ」
だが勘違いするなと執事は言った。本邸の執事でもあるその青年は、汚臭に塗れたテッテリアから顔を背け、テッテリアに対して命令する。
「本当に臭いなお前は。獣と糞の臭いがするぞ。まぁいい。最低の成績でもいいから卒業するのがお前の義務だ。野垂れ死ぬしかないところを当主様の慈悲で生きているのだからな。感謝して励むように」
そうして古着のようなツギハギだらけの制服と、最下級の学生が使う薄っぺらい教科書を数冊与えられ、テッテリアは学園に通うことになったのだった。
――■ 入学式の話 その2(Route."Dead Bloodbath")
いつもより早く起き、冷たい井戸水で身体の汚れと埃、悪臭をなんとか落としたテッテリアは王都の街並みを恐る恐る歩いて行く。
いつもは鉄の窓で塞がれた馬車に乗せられ、仕事場である王家の秘匿施設に連れて行かれるので、テッテリアが王都の街を歩くのは初めてのことだった。
(人が……多い)
しくしくと痛むお腹を片手で押さえて、テッテリアは薄い教科書しか入っていない鞄を片手に、周囲をきょろきょろと確認しながら歩いて行く。
学園への地図は持っているものの、周囲は人でいっぱいで、ここで取り出せば落としてしまうかもと思うと、取り出すことはできなかった。
(お腹……痛い)
立ち止まりたくなる。それでも歩かなければ学園にたどり着くことはできない。
当主の娘であるセシリアが馬車で学園に向かうところを朝方見ていただけに、あの馬車に自分も乗せてくれればよかったのにと思うものの、テッテリアの立場からすれば帰りは徒歩で帰らされるだろうという予想は簡単につくので、道を覚えられるこの機会は逃せないものだった。
道を覚えられなければ、王都で遭難して野垂れ死ぬことになる。
誰かが自分を探してくれるなんて、絶対にありえないからだ。
(たくさんの食べ物の匂いに、うるさいぐらいの人の喧騒……ここが、王都か)
初めての王都に感動はなかった。そして腹部の痛みはずっと続いていた。
生理は食事が乏しくなってからほとんど来ていないので生理痛ではないと頭で考えながら歩いていく。
そんなことでも考えていないと不安と恐怖で石畳に座り込みたくなってしまうからだ。
(前もこんなことが一度あったな。あのときは、最後には気絶しちゃって、起きたらいつの間にか治ってたけど)
テッテリアは腹部を押さえながら、一歩一歩前に進む。人が多い。本当に多い。食べ物の匂いがどこからでもする。気温は低くないのに寒くなってきて、テッテリアはふぅふぅと息を吐いた。息を吸って、吐く。吸って、吐く。吐くと身体が一瞬楽になる。視界の隅に自分と同じ学生服を来た少年少女が顔に笑みを浮かべて走っていくのが見えた。その後ろには、少年少女たちの父母も見えた。羨ましいという感情を抱くことはなかったが、なんとなく懐かしい気分になる。
学園に通えという命令は自分の惨めさを助長するのでテッテリアには多大なストレスになっていたが、この懐かしさを思い出せただけでもよかったのかもしれない。
(よかった探しは、したくない、のにな)
本当に辛くなって道端に座り込んでしまった。
どうして自分がこんな目にあっているのか。どうして自分はセシリアではないのか。同じ家に住んでいて、同じ父親の血を引いているのに、テッテリアは辛くて顔を伏せてしまう。
(ああ、でも学園にいかなくちゃいけないのに)
立ち上がりたくない。お腹が痛い。頭も痛い。お腹はずっと空いてるから空腹なのか空腹でないのかもわからない。足が痛い。足が痛い。ずっとずっと足が痛い。手をそっと見れば爪が割れている。肌もガサガサで、髪に触れれば虫の死骸が髪の隙間から出てくる。辛い。
自分が臭くないか嗅いで見るも、自分の鼻なんかとっくに悪臭に慣れきっていて、テッテリアには自分がどんな臭いを発しているかよくわからなかった。
ただ、自分の周囲にぽっかりと人がいないことから、自分が筆舌に尽くしがたい悪臭を放っているのだけは理解できた。
――こんな目に合うのならばいっその事、死んでしまいたい。
テッテリアはずっとそう思っている。
ずっとずっとそう思っている。
指を見れば、骨と皮だけで小枝みたいに細くなっている指が見えた。
そこには生まれたときに母親が自分に渡したとされる指輪が嵌っている。
(こんなものさえなければ……)
なければどうなるというのだろうか。テッテリアには何も理解できない。どうすればいいんだろう。どうすればお腹は痛くなくなって学園にいけるんだろう。
こんなに人がたくさんいるのに、自分は一人だけしかいない。テッテリアは辛くて辛くて、寒くて寒くて、動けないままに、それでも立ち上がろうとして――声を掛けられた。
「俺の店の前で立ち止まるな!! くせぇんだよ! ボケが!!」
怒りで顔を赤くした男がテッテリアを蹴り飛ばした。
ぽきり、と心が折れた音がした。
◇◆◇◆◇
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