第12話
――■ 王都(Route."Dead Bloodbath")
冬の王都を、コートに身を包んだセレス・カラサワが歩いている。
その隣には伽羅の匂いを漂わせたアギトが楽しげにセレスと歩いていた。
王都の治安は最悪を突き進んでいた。
住民のほとんどはヤク漬けになっていた。肉体は堕落し、精神はまともではなくなっている。
住居は破壊され、火事がひっきりなしに起こり、殺人は日常と化している。
教会は祈りの場から修道女たちが乱交する場に代わり、墓では墓荒らしが常態化し、墓守たちが首を吊るされ死んでいた。
子供たちがヤク漬けになった野菜をそのまま齧り、幸福な顔のまま死ぬ。
路地裏では娼婦が塊になって男を呼び込み、ダンジョンで金を得た冒険者たちは取り込まれるようにして消えていく。
それらを見ているのか見ていないのか。微笑みながらアギトは歩いていく。
幸福薬で狂っているわけじゃない。もとよりこの男はこのような男だった。
「セス、観劇なんて久しぶりじゃないか?」
「はい。アギト様。一週間ぶりかと」
「最近忙しかったからなぁ。めちゃめちゃ働いたよ? 俺」
ニコニコと笑いながらセスと腕を組んでアギトは歩いていく。アギトの靴裏がバキバキと路上に転がっていた冒険者の骨を踏み砕く。ヤクと酒で弱っていた冒険者は悲鳴を上げた。その頭をアギトは蹴り砕いてから歩いていく。
物乞いたちがこのようにして路上に転がり、踏まれてから喧嘩を売り、慰謝料と称して金を奪おうとするのは王都の日常だった。
しかし相手が悪いと、そのまま殺される。
アギトたちの護衛についてきていた人間が路地裏に物乞いの死体を放り投げれば、服やら肉やらが路地裏の住人たちによって引き剥がされ、骨すらも残らなかった。
以前の王都、セレスが画策を始める前の王都は完全無欠の安全で清潔な都市ではなかったが、このように日常的に人が死に、子供が売り買いされ、女たちが消費されるような都市ではなかった。
セレスがこのような悪鬼羅刹が闊歩する、地獄のような都市へと変えたのだ。
それを知っていてなお、セレスは夫と観劇に行くことを恥じることはない。
自分たちだけが安全な食事をし、清潔なベッドで寝て、ヤクを頼らずとも幸福に生きることを彼女は恥じない。恥とは思わない。
――なぜなら、セレスは騎士爵の妻でしかない。
彼女は国家の興亡を左右する大計を練る立場にない。
王都の崩壊を防ぐ権力を持っているわけでもない。
彼女がすべきは夫が継承するだろう小さな領地を差配し、夫のために土地の豪族たちの女たちをまとめることであり、彼女自身が乱し、崩壊させたとはいえ、王都の治安を守る義務も責任も負っていない。
その責任を負っているのは王族たちである。
このような化け物が人工的に作れる世界において、身分制度は大事だった。
このようなことを起こせる人間が公爵であったのは、このようなことを軽々に起こさせないためであるからだ。
公爵となれば国家百年の大計を練るに相応しく、配下の数は末端まで数えれば万を超える。
セレスがそのような人物であれば、彼女はきっと復讐の為であろうと、自らの結婚式で法で禁止されているドレスを着るためであろうと、王都を凶悪な依存性を持つ薬物で汚染しようとは考えなかっただろう。
位が高いということは、それだけ守るものが多いのだから。
だが、今のセレスに守るものはほんの少ししかない。
――ゆえに王都は崩壊する。
貪婪の都となったこの王都は、その欲望の重さに相応しく、重すぎる自重で潰れてなくなるだろう。
そうしてその血によって、この都は溺死するのだ。
――■ 婚約破棄(Route."Grand" TrueDeadEND)
「リディア・ホーリーグレイル! 度重なる聖女への嫌がらせにより貴様との婚約は破棄となった!!」
人類大陸の七割を支配するグレイト大王国。その大国家の王太子たるステファン・グレイトの宣言が貴族学園の卒業パーティー会場に響き渡った。
赤い髪に黒い瞳、ステファン王太子の真紅の瞳と同じ色のドレスを纏った令嬢――リディア・ホーリーグレイルがその言葉に雷に打たれたかのように硬直する。
しかし、リディアは硬直を気力で吹き飛ばすと、大声で「なぜですか! 殿下!!」と叫ぶように問いを発した。
令嬢の声に負けずと金髪紅瞳の王太子は壇上からリディアに向かって声を張り上げ、問いに答える。
「リディア・ホーリーグレイル嬢、貴様が再三に渡って聖女リナ・スズキに嫌がらせをしたからだ!」
「ちょ、ちょっと殿下。鈴木って言わないでください。ダサいので」
王太子ステファンの隣に寄り添っていた黒髪黒瞳の少女が慌てて王太子に抗議するも、王太子は聖女の抗議を無視して言葉を続ける。
「リディア・ホーリーグレイル嬢、貴様がリナの教科書を汚し、足を引っ掛け転ばせ、噴水に突き落とし! 挙句の果てには階段からも突き落としたことは多くの証言者と俺の目によって明らかだ!!」
「リディア様、とっさに受け身を取ったから大丈夫でしたが、私、本当に死ぬかと思いましたよ」
否、死んでいる。死んでいたが自動で蘇生したのだ。それが代用聖剣たる聖女の力の一つであった。異世界の一般人を魔王との決戦の場に立たせるために必要な戦闘能力の補助機能であった。
「ぐ、ぐぅぅぅぅ! そ、それは殿下が!
「夢中だと! 我が王国に蔓延る瘴気を浄化し、宮廷医さえ匙を投げた我が父の死病すらも癒やした聖女を大事にして何が悪い!!」
強力な神聖魔法の使い手たる聖女が国王の病を癒やしたのは本当のことだ。
しかし王国に蔓延る瘴気が消滅したのは、ダンジョン地下の魔王が真なる聖女によって、秘密裏に討伐されたからであることを王太子は知らなかった。
しかしそのようなこと、誰も知らなくとも糾弾は続く。
「そ、それは! ですが!! で、殿下……!!」
いいから婚約破棄だ! と王太子ステファンが叫べば悪役令嬢リディアは泣き崩れた。ヤクで蕩けた脳のままに。
そのリディアの傍に王子が手配していた兵が立ち、王子が「その女を連れて行け!」と兵に命令をする。
こうして王子と筆頭公爵家との間の婚約は破棄され、王太子は独身となった。
そして国王を救い、王国の瘴気を晴らした聖女との間に新しい婚約がなされた。
祝福が臣下たちから捧げられ、民たちは歓呼の声を上げ、王太子と聖女の婚約を
――この年より王国を蝕んでいた瘴気は消え、王国史に賢君ステファンとその妻である聖女の名が燦然と輝くことになる。
聖杯の公爵家が娘、リディア・ホーリーグレイルは修道院へと送られ、その生涯を祈りに費やしたとされた――が、その実態はエルフ国の奴隷牧場と同じだった。
ヤク欲しさに母体としての寿命が尽きるまで子供を産み続け、カラサワの家に強力な魔法使いを齎し続けるのだった。
なお聖女リナ・スズキはその生涯で一度も子供を産むことはなかった。
異世界の人類とこの世界の人類は同じ人間の形をしているが、同じ人間ではない。
異世界の王族であるステファンはホモ・サピエンスではない。
だからステファンとリナは性行為ができても生殖は不可能だった。
とはいえ、それらの全ては問題にはならなかった。
二人は子は生まれずとも、幸福な彼と彼女はお互いを慈しみ合うことができたからだ。
賢君ステファンの治世は、王国の民は幸福なままに王と聖女を称賛し続けた。
ヤクで脳が蕩けた国民たちは、ステファンが何をしても称賛し続けた。
そして幸福なままに王家は多くの負債を次の世代へと継承させていく。
――■ 結界の公爵家の婚姻(Route."Sister" TrueDeadEND)
この特別な日のために、王都の大聖堂が貸し切られた。
また大貴族の当主やその家族、結界の公爵家たるホーリーバリアの傘下である中小貴族や、公爵家の傘下でなくとも、派閥に関わる貴族などが参列する。
祝福の鐘が鳴り響き、新郎と新婦は幸福と繁栄の絶頂にあった。
婚姻を取り仕切るのは、王都教会に所属する最高位司祭と枢機卿を兼任する長大なローブを纏った老人だ。実に多忙なこの老人の祝福を受けられる新婚夫婦などこの巨大な王国の貴族たちでさえ稀だろう。
「はい! 誓います!!」
花嫁の軽やかな声。花婿の重々しい声。誓いの言葉が女神シズラスガトムに捧げられる。
この日のために集められた少女たちが花びらを王都中に撒いていく。
大聖堂の前に立ち並ぶ民衆に酒を肉が無料で振る舞われる。
貧民街の住民には清潔な衣服と簡易的な住居が与えられ、ホーリーバリア公爵家の慈悲が示された。
――もっとも、それらのうち、住居以外の全てはすぐに路地裏の売人のもとに持ち込まれ、ヤクと交換されたが。
この日のために王都中の路地からはゴミが撤去され、浮浪者たちは教会に押し込められ、大人しくさせるために高濃度のヤク漬けの食事を与えられた。
このめでたき日に死の汚れなどあってはならないと重病人の元には公爵家の費用で蘇生魔法すら使える司祭が送られた。助からない者はその前日に処分され、また殺人を犯しそうな異常者は牢獄に押し込められた。
全ては公爵家に生まれた幸福なカップルの幸せのおすそ分け――ありがた迷惑であった。
とはいえ大貴族の意向に逆らえるものなど存在しない。
そういった下々の事情など全く考えていない、花婿たるリデイル侯爵家が三男のオルト・リデイルあらため、オルト・ホーリーバリアは大聖堂の入り口から王都の民たちに手を振りながら、妻となったセシリア・ホーリーバリアへと微笑みを向けた。
「ようやく結婚できたな? セス」
「ええ、オルト。ようやく結婚できたわね」
セシリア・ホーリーバリアの髪色――黄色と魔力量を同じくする色の薄い金色の髪。だが、その実、平民の娼婦を母とし、パレスではない別の客の種から産まれたセシリアに内在する魔力の多くは多いだけで、魔力の質は淀んでいるためにほとんどが使い物にならないことは知られていない。
また、その瞳は青色の色ガラスによって本来の色である茶色の瞳が隠されていた。オルトにも。
自身の多くを偽っている少女は、偽りの一つも感じさせずに、にっこりと夫へ微笑みを返すと民たちに大きく手を振った。
幸福な民たちは幸福な花嫁に向かって歓喜の声を上げた。
「たくさんの人にこんなにも祝福して貰えて、私、本当に幸せだわ!」
夫であるオルトは思う。結界の公爵家であるホーリーバリアの一人娘、セシリアとの婚約は幼少の頃からのものだった。
最初はぎこちなかったが文通や定期的な茶会で交流を重ね、仲良くなった。
学園に入ってからは特別クラスでお互いに切磋琢磨を繰り返した。
頭の良い妻は自分よりも成績がよかったが、代わりに貴族が学ぶ剣術や魔法の授業ではオルトはセシリアよりも優秀だった。
(お互いに、支え合っていこう)
この育んだ愛情を、ずっと枯らさずにお互いに笑って老いて、笑って死ねるように。
オルトは民衆に向かって、大きく手を振った。参列者たちは笑っていた。オルトも笑っていた。民衆は笑っていた。セシリアも笑っていた。
賢君ステファンの筆頭臣下とされるオルト・ホーリーバリアと、その妻であるセシリアの結婚式は歴史書にも残る大規模かつ壮麗なものであった。
もっとも、この二人の権勢は長くは続かなかった。
それはこの翌年に代理当主であったパレス・ホーリーバリアが急死したからだとか、パレスが影家にした指示によって影家が機能不全になっていただとかもあった。
だが、もっとも大きな要因は、公爵家の直系貴族たるセシリアが家臣たちに魔法を与えなかったからだ。
正確には、与えられなかった――ということになるが。
そうして、いくらかの時間、彼らは権勢を保とうと抵抗するも魔法を更新しなければ彼らの魔法は力を保てない。
世代を経れば当然のように、ホーリーバリア系列の貴族たちの多くが力を失い、その立場を追われることになり、セシリア・ホーリーバリアもまた、夫が逃げ出し、離縁することになる。
なんの力もないセシリアでは家を保つこともできず、公爵家は崩壊。使用人たちも多くが殺され、売られていった。
セシリア自身は平民に混じることで命を救うも、その老年はどこかの領地の、どこかのスラム街で、誰に看取られることもなく、物盗りに襲われての死であったという。
――■ 幸福(Route."Dead Bloodbath" TrueHappyEND)
セレスがベッドの中で手を動かすと、隣に寝ていた夫であるアギトの暖かさはなかった。
「むぅ……」
仕方無しに起き上がって眼をパチパチと瞬きしていれば、コトコトと何かを煮込んでいる音が聞こえてくる。
裸身のまま立ち上がり、ベッド脇のソファーの上に畳んであった寝巻きを羽織り、そのままリビングへと向かっていく。
――メイドなどはいない。セレスがアギト以外を信用していないからだ。
なお今日はセレスがアギトを独占する日なので、側室のロゼッタはこの家にはいない。
「アギト様……?」
「ああ、起きたか?」
リビングに入ってきたセレスに、エプロンをつけて、フライパンを片手に持ったアギトが振り返る。
彼はオムレツを皿に落とすと、そのままテーブルへとやってきて、オムレツの乗った皿をテーブルの上に置いた。
「まぁ」
誰かの理想のような朝食がテーブルには並んでいる。
湯気を立てるスープに、焼き立てのパン、カラサワの家が契約している農家が持ってきた採れたての野菜で作られたサラダ。
「どうぞ、お姫さま」
椅子を引いてくれるアギトを見上げながらセレスは座り、テーブルに並べられた朝食を見る。くぅぅ、とお腹が鳴り、恥ずかしそうにセレスは顔を赤くした。恋する乙女のような初々しさだった。
(アギト様は、こうして食事を振る舞ってくださる)
搾りたてのフルーツジュースがグラスに注がれ、セレスの前にコトリと置かれる。見上げれば、アギトはにこにこと笑っている。
「食べるか?」
「アギト様を待ちます」
なお、これらに
セレスは椅子に座って待っていれば、全ての用意を終えたアギトがセレスの対面に座った。
二人は神に祈りの言葉を捧げ、朝食に手をつける。
ケチャップのかかったふわふわのオムレツにセレスはナイフで切れ込みを入れた。
半熟なのだろう。トロッとした卵液が溢れる。
フォークで掬って食べれば甘さが舌を暖かく包んだ。
「嗚呼、美味しい」
呟くセレスに、イケメンの夫がニコニコと笑って「美味しい? そりゃよかったよ」と答えてくれる。
幸福だった。
ヤクなどなくても人は幸福になれる。
セレスは自分が幸せに生き、幸せに死ねるという確信をこの瞬間に得て。
――その通りに生き抜き、その通りに死んだ。
老年のセレスの死の間際、大王国はいくつかの地域に分断され、セレスの子供はその一つの地域の盟主となった。
そして死にゆくセレスを囲む子や孫の数は20を超え、彼女は幸福なままに死んでいった。
◇◆◇◆◇
あとがき
最後は駆け足でしたがこれで終わりです。読者の方々に感謝を。
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