第10話
――■ 破滅的な中毒(Route."Sister")
「我らが女神よ。今日の糧を得られたことを感謝いたします」
パレス・ホーリーバリアが祈りの言葉を口にすれば、それに続いて元娼婦にしてパレスの妻であるピスチア・ホーリーバリアと娘であるセシリア・ホーリーバリアが同じ言葉を口にする。
婚約者に会いに来ていたリデイル侯爵家の三男のオルトも祈りの言葉を口にし、各々が目の前に置かれた皿に向けて手を伸ばした。
――異様な光景であった。
祈りの言葉を口にしたあと、彼らは皿の食べ物を無言で食べ続けていた。給仕によって注がれたワインをがぶがぶと飲み干し、ぺちゃぺちゃと皿に残ったソースを舐め取るようにして肉や野菜にがっついていく。
「追加を」
誰かがそう言えば、給仕が用意していた皿をテーブルに置いていく。ホーリーバリア公爵家からすればどの品も簡単に手に入るものだ。特別な料理ではない。特別な酒ではない。だが彼らは外聞が悪くなるような劣悪なマナーで酒を飲み干し、食事を口にする。
その眼は血走っている。だが嬉しそうだった。幸福そうだった。
――彼らの食事にはいつ頃からか、ヤクが盛られていた。
もちろん悪意ではない。善意である。
出入りの商人が持ってきたものだった。王都で流行っている調味料だと、幸せになる調味料だと喧伝されていたものだった。
検疫を通り、安全の確認されたものだったため、コックが試しにと公爵家の料理に取り入れたのである。
そして主人やその家族に求められ、毎日提供するようになった。
もちろん多少毒性があっても貴族である主人ならば問題ないという考えもあった。貴族の肉体は特別で、高位貴族ともなれば一般人が即死するような毒も効かないためだ。
だがこのヤクは、貴族用の特別製だった。
貴族の、魔力持ちが持つ頑強な薬物耐性を貫く、特別製。
ゆえにこのメンバーの中では、元娼婦であり、ただの平民だったピスチアや、そのピスチアの娘であるために魔力量こそ中位の貴族程度にあるものの、魔力が澄んでおらず、濁っているためにその魔力のほとんどが使用不可能なセシリア・ホーリーバリアなどはとっくに中毒状態に陥っていた。
主人であるパレスもそうだ。自身が持つ不安を振り払うようにヤクの混じった酒に溺れ、食事を喰らい続けた。
婚約者であるオルトもまた、彼らに付き合ううちに重度の中毒に陥っていた。
彼らは食べ続け、飲み続けた。
そして腹がいっぱいになれば全て吐いて胃を空にした。そしてポーションを飲んで荒れた胃や喉を治療した。
四人の食事は、公爵家本邸の食料庫が空になるまで、酒蔵が空になるまで続けられた。
もちろん使用人たちの食事にもヤクは混ぜられていた。
皆が幸福だった。幸福に壊れ続けていた。
――■ 王都ダンジョン(Route."Grand")
グレイト大王国の王都にはダンジョンが存在する。
魔石鉱山、魔物素材の宝庫などと言われ、またダンジョンが生成する宝箱から産出する貴重な魔導具や装備品はグレイト大王国の軍事力の源泉とも言えるものだった。
その深層とも言える、地下200階、巨大な遺跡風の巨大空間を西七年戦争の帰還兵たちが隊列を組んで進んでいた。
「待て。警戒のサインだ」
その一隊が斥候のハンドサインを見た隊長の言葉に足を止め、前衛を務める剣士が斥候のバックアップにつく――瞬間に斥候の表情が固まった。
「前方! 上位属性龍! ブレス来るぞ! 属性は地母! ダイヤモンドブレスだ!!」
斥候の警告。巨大な
「『堅固なる筋肉』『黄金城壁』『無限耐久』! 俺の後ろに!! 全力で守るぞ!!」
ヤクの代金として王国軍の将軍家の嫡男が売り払った家宝の大盾が、土属性の上位属性たる地母属性によって形成された、ダイヤモンドを含む強力なブレスを軽々と受け止めた。
なお盾を持った戦士が使った魔法、『堅固なる筋肉』も『黄金城壁』も『無限耐久』も、それぞれ王都の貴族家が所有する固有魔法である。ヤクの代金として彼らは直系の女貴族たちから有用な魔法を継承していた。
「前衛! 突っ込んで殺せ!! 呪術師! 呪え! いけるな?」
「おうよ!」「いけるぜ!」「任せな!」「呪います!」
パーティーの全員が隊長の言葉に威勢よく反応する。
ダンジョン深層に棲む属性龍に対抗できる、強力なエンチャントが施された貴族の家宝たる宝剣を手に、万の魔物を殺してきた剣士たちが地龍に突っ込めば、精鋭の大呪術師が借金漬けにされたことで自らの魂の所有権を手放した元冒険者の命を贄として、強力なデバフ魔法を地龍に付与する。
もちろんこんな深層域に借金漬けの冒険者を連れてきているわけではない。
地上に近い階層に返済不可能なほどに借金を重ねた冒険者を保存しておく場所があり、その場所の冒険者ならばいつでもどこでも消費できる魔導具を呪術師が持っているのである。
なお、これらの魔導具も全てヤクの代金として貴族たちから徴収したものだった。
――ギュルルオオオオオオオオオオンンン!!!???
生命を対価とした強力な呪術によって強力な弱体化を受けた上位属性龍が、ホーリーバリア公爵家の所有する強力な身体強化魔法を継承した剣士たちによって細切れにされていく。
また連れてきている攻撃魔法持ちが地龍が反抗しようとすればそれらを強力な魔法によって全て発生前に叩き潰していく。
「よし、なんとか殺せるな」
深く息を吐いた隊長がちらりと後方に眼を向けた。
そこには隊が連れてきた荷物持ちによって運ばれてきた人間が、荷車に転がっている。
薬物中毒患者だ。ただしこいつは王都で自分のことを勇者と名乗っていた狂人だった。
(何が目的かはわからんが、あいつを深層まで運ぶことが俺たちの任務だ)
成功すれば大量のヤクと一生遊んで暮らせるだけの金がもらえる仕事。
彼らはそのために固有魔法と、貴重な装備や魔導具まで依頼主であるセレス・カラサワから預かっていた。
――■ 終焉の景色 その1(Route."Dead Bloodbath")
貴族学園をアギト・カラサワの本妻であるセレス・カラサワと側室であるロゼッタ・アルケミスト・カラサワが歩いている。
夫であるアギトは借金漬けになった人間が多いために、叔父の元でバイトに励んでいるために学園にはいなかった。
「……ねぇ、セレス。貴族にまで流行らせる必要はあったの?」
うん? とセレスはロゼッタを見る。
「王都の機能、ほとんどぶっ壊れてるんじゃないの?」
「根に持つ方なので」
ほほほ、とセレスは微笑んだ。
なんの話かロゼッタには理解できなかったが、セレスは彼女の祖母によって治療されている。それをした人間たちへの復讐なのだろうとロゼッタはセレスが語らずとも勝手に納得を得た。
「それにちょっと頭がパーの方が賄賂の通りがよろしいのです」
う、とロゼッタが口ごもる。彼女たち二人は、禁制品であるエルフの魔絹で作られたドレスを着て、数日前にアギトとの結婚式を上げていた。
彼女たちの結婚式は王都の
なお、その祝福に感謝して、セレスは振る舞い料理に大量の
なおカラサワ家とアルケミスト家の人間にヤク入り料理は振る舞われていない。彼らの食事は普段から一切ヤクが関わっていない。
彼らの食事には、セレスが経営する農家や牧場、水場から届けられた安全な食材が使われていた。
カラサワ家が王都中で猛威を振るうセレスを始末できなくなった理由がそれだった。
いつの間にか彼らはセレスによって、食料や水を支配されていた。
それに王都の井戸はいつの間にか誰かが放り込んだヤクで汚染されていた。
王都に供給される食料は、ヤクを混ぜた水に一度漬け込まれていた。
そうしないと売れなくなったからだ。ただの食料では誰もがもう満足できなくなっていた。
ゆえに、安全な食料と水を供給できるセレスを殺すことができなくなった。
「なんか、みんなおかしくなってるし……」
ロゼッタが気味悪そうに周囲を見る。
貴族学園ではあちこちに生徒が寝転がって、酒を飲んでいたり、ヤク入りの水タバコを楽しむ者たちで溢れかえっていた。
とある教室では教師も混じってヤクを使った乱交をしているクラスさえある始末で、ロゼッタは本当にこのままではこの国はダメになるのではと危惧してしまう。
――自分が作った薬だというのに。
その薬さえ、ロゼッタの祖母パラケールの弟子たちがセレスによって買収されたことでレシピが流出し、国内のいくつかのダンジョン内で秘密裏に大量生産されている始末だった。
「でも、カラサワの領地は安全ですので」
セレスは平気そうに言う。検疫のノウハウを持っているために、夫の領地へヤクが流入しないよう仕組みを彼女は既に作っていた。
セレスは王都のことなどどうでもよかった。
もとより他人を大事にしなさいという道徳教育を受けていない身である。領主教育を受けている彼女が学んだのは、自分の領地の人間を富ませることに全力を注ぎなさい、だ。不特定多数の人間の幸福など彼女は望まない。
大貴族特有――というより土地持ち貴族が持つ傲慢さがそこにはある。
自分の領地は安全。自分の領地には影響がない。
この考えが根底にあるなら、自分より弱者だと一度思えば、他人の領地では好き勝手できてしまうのが土地持ち領主の性質だった。
第一、潜在的に、貴族にとって全ての貴族は敵である。
利益を同じくすることが稀で、損を受けないためにお互い守りあうのが貴族の連携だった。
そんな王国貴族が向きを同じくしているのは、たまたま祖先が同じ陣営についただけのこと。同じ陣営に生まれついただけのこと――とすら思っている。
ゆえにセレスはこの景色を見てもなんとも思わない。ヤク漬けになった彼らが自分たちの領地に戻ってヤクを広めてくれればいいとさえ思っていた。
――■ 終焉の景色 その2(Route."Dead Bloodbath")
「あーあー、こいつもかよ」
アギトは路上に転がった冒険者を引き上げた。王都の路上にはこのような薬物中毒者が大量におり、つい最近妻であるセレスから王都中に
とはいえ、彼は土地持ち貴族の嫡男であるために、その思考の表層こそ申し訳なさを感じていたが、根底では自分の領地に影響がないならどうでもいい、ぐらいの感覚しかない。
村に住む人間が他の村の人間をほぼ関わりのない人間だと断定するのと同じだ。
街に住む人間が他の街の人間をほぼ関わりのない人間だと断定するのと同じだ。
領主にとって、他領の人間は他人の財産であって、自分のものではない。
自分のものではないから大事にしない。せいぜい壊したときに自分が関わっていないと証明するのに奔走するぐらいのものである。
ゆえに、アギトは他領の人間を
「てめぇッ! おらぁッ!!」
瞬間――護衛に立っていたゴンドウの部下たちがアギトにナイフを向けた冒険者を袋叩きにする。冒険者は「てめぇの! てめぇのせいで俺の妹が!!」などと言っていたが鉄板入りのブーツで顎を蹴り砕かれて以降は血泡を吹きながら沈黙するのみだった。
「妹……あー、娼婦に沈めた冒険者の家族かぁ?」
相当なブサイクでもない限りは女を殺した記憶がないアギトからすれば妙なイチャモンをつけられたような感覚だ。
「若、大丈夫でしたか?」
「所詮、魔力なしの冒険者だよ。奇襲かけたところで貴族の反応速度にはついてこれねぇからな」
冒険者は拘束されて猿ぐつわを噛ませられるとポーションで最低限の治療をされてからダンジョンへと送られていく。
「しかし、あんなの、何に使うんだか」
ダンジョン深層に棲む魔物を弱体化させるための生贄だとアギトは知らずに彼をダンジョンへと送り出していくのだった。
◇◆◇◆◇
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