第8話
episode 5 直感
~♪♪~♪♪ これはただの人生なんだ
長く、真っ直ぐで綺麗に伸びた黒髪、白い肌、目尻が下がった優しそうな目、スっと通った鼻、口角が少し上がった口、その華奢な体からは想像できないような声量で、歌声を響かせてる女の子に思わず奏は目を取られる。
一通りレコーディングが終わり、ヘッドフォンを取った凪紗と奏は目が合う。ガラス1枚を隔て、向こう側にいる彼女は、少し笑顔を浮かべると、こちらに向かってくるような様子を見せた。ドアが開き、安堵したような表情を浮かべた凪紗はこちらへと歩いて来る。しかしあと、1メートルくらいのところに来た時、いきなり凪紗の体が崩れ落ちるように倒れ始めた。奏はなんとかそれを支えようとしたが、突然の事で踏ん張りが効かず、凪紗を支えたまま、その場に倒れ込む。周りにいたメンバーも、その一大事に駆け寄って来る。
「凪紗?凪紗?」
奏やメンバーが声をかけ続けるが、凪紗の反応はない。結や陸が慌てふためく中、奏も内心とても焦っていた。決して表には出さないようにしていたが、頭がうまく働かず、声をかけ続けることしか出来なかった。そんな中、一番冷静だった悠貴に
「救急車、呼んだ方が良くね?」
と言われ、奏はなんとか少し落ち着きを取り戻し、携帯で119のダイヤルを押す。
───ガチャ
電話をかける寸前のところでドアが開き、レコーディングが終わった途端にプロデューサーラと一緒に出ていったはずの、今回凪紗をずっと指導していた島田しまださんが入ってきた。
「…奏?どうした。」
「凪紗が!急に倒れて、今救急車を、」
頼れそうな大人が来てくれた安心感から、奏の焦りが少し表へ出る。
「いや、奏ちょっと待て。悠貴、齋藤さんを呼んできて。」
救急車を呼ぶのを止めさせ、メンバーの体調管理などをしてくれている、医療担当の齋藤さんを呼びに行くように指示した島田さんは、凪紗に近づくと、
「ちょっと見るぞ。」
といい、呼吸などを確認しだした。
「うん。齋藤さんにもう一回ちゃんと見てもらうけど、ただの寝不足かな。」
「寝不足?なんで…?」
「2週間ずっと寝る間も惜しんで頑張ってたんだよ、凪紗ちゃん。正直、ここまで倒れなかったのが不思議なくらい練習してたからな。多分、安心したんだろ。」
斉藤さんにも、改めて見てもらったがだいたい同じようなことを言われた。不安と緊張で張り詰めていた糸が、プツッと切れたらしい。奏は視線を、奏の膝の上にいる凪紗に移す。その顔には、安心しきったような、そんな表情が浮かべられていた。この子に、倒れるまで無理をさせてしまった、そんな罪悪感が奏を襲う。
流石に、あのまま事務所で寝かせる訳にも行かず、奏は凪紗を引き取ることにした。マネージャーに車を出してもらい、凪紗と凪紗の荷物を抱え、奏は住んでいるマンションに入る。マネージャーにも手伝ってもらい、なんとか自分の部屋まで凪紗をはこんだ奏は、凪紗を自分のベットへと寝かせ、変装のために深く被っていた帽子と、マスク、そしてメガネをとる。それから奏は、キッチンへと行き、珈琲を入れるためのお湯を沸かし始めた。お湯が湧くのを待つ間、ベットの上ですやすやと眠る凪紗を、見つめていた。
笑わない、綺麗な女の子。
それが最初の凪紗の印象だった。
行きつけのファミレス、自分の家に近くにあるから、という理由だけで、メンバーと仕事の話をする時はだいたいそこを使っていた。3年前、すごく可愛い子がいると陸に騒がれていたその子は、まだすごく若くてとても印象に残った。それから1週間ぐらい経ったあと、俺たちはいつものようにあのファミレスに向かった。中に入ると、あの子が席に案内してくれた。すごく綺麗な目をしたその子は、一之瀬と言う苗字の上に研修生と書かれた名札をしていた。そして、席を離れる時に俺たち向けたその笑顔が、あの人に少し似ていて。もしかしたらその時から俺はもう、一之瀬凪紗に何かを感じていたのかもしれない。
それからというもの、俺は彼女のことを知る度に、深くつながりを感じるようになった。その綺麗な目も、透き通ったような声も、全てに奏は惹かれていった。理由は何となくわかっていた。
その時の俺は、いわゆる絶不調だった。母親が亡くなり、父とは衝突の毎日で、家には居場所がなかった。高校に行きながら、曲作りを続けていたことで、勉強にも曲にも集中出来ずに、何も書けなくなった。バンドとしての活動もなかなか軌道に乗らず、路上ライブをしてもいまいち集客は無く、ライブハウスに来るお客さんは、20人いるかいないかぐらいだった。まるで世の中からも、お前はいらない、と言われてるようで、自分の伝えたいことが分からなくなっていた。心から笑えなくなっていた。
彼女も同じだった。
接客でだけでは無い。同じ高校の同級生らしき人が来た時も、彼女の事が諦めきれなかった男子が来た時も、彼女は、心からは笑わなかった。愛想が悪い訳では無い、むしろ愛嬌のある方だと思う。
しかし、彼女が浮べる笑顔は貼り付けられたようなもので、まるで自分を見ているような気持ちになった。
そして同時に、亡き母を見ているようだった。
母は綺麗な人だった。優しい人だった。心が綺麗な人だった。しかし、彼女は決して心からは笑わなかった。そして俺はそれを、幼いながらに悟った。僕は何とかして彼女を笑わせようと、そう心に決めた。だからバンドも始めた。母が好きな音楽で、彼女を笑顔にしようと、誓った。しかし、母は俺の前では、彼女の本当の笑顔を見せないまま、亡くなった。僕の中にある、母への未練は消えることがなかった。
そんな時、彼女、一之瀬凪紗と出会った。その容姿も、仕草も、澄んだ声も、全てが母にそっくりだった。
それからというもの、僕は接点もない彼女に母親を重ねね、曲を作り続けた。僕は彼女に自分のエゴを押し付け続けてきた。
そして、俺が「一之瀬さん」と出会ってから3年が経った頃、その時の俺は、3年前とは違い、絶好調だった。高校を卒業し、曲作りに集中できるようになったことで、どんどん言葉が降りてくるようになった。いくつかの曲がヒットしたことで、爆発的に人気が出てきて、知名度も高くなった。たくさんのファンもつき、アルバムもいくつか出し、テレビにも出て、雑誌にも乗り、アリーナでのライブも決定した。生活面でも、実家を出て父親とは離れて暮らすようになった。自分が必要とされているような気がして、俺はその頃ようやく生きる希望と言うやつを見つけ出せた気がした。
そしてそれらは全て一之瀬凪紗との出会いによって招かれたものだった。その頃からかもしれない。
''僕''が彼女に依存し始めたのは。
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