第6話

episode 4 見返り


凪紗の推し活が始まってから半年ほどたった頃、木々が色づき始めると同時に、凪紗の高校生活における最後の1年が始まっていた。


 しかし桜が満開の中でも、凪紗の心はずっと晴れなかった。

 あの衝撃的な出会いから半年経つが、その間に南野奏があのファミレスに現れることは、1度もなかった。そこからくる物足りなさを埋めるために、リアコと呼ばれる人たちのマネをして、自分と南野奏とのツーショット写真風の合成写真を作ったり、彼氏感満載の動画を編集したりしてみたが、やはりそれで満足できることはなかった。ダメ元で、Nanashiの曲に載せて歌った自分の歌声と共にファンレターを送ったり、ライブに応募してみたりもしたが、成果は特になかった。

 凪紗の心には、ポッカリと穴が空いていた。もういっそ推すのをやめてしまえば、そう考えたことも何度もあったが、気づいた頃には彼女の生きる理由は完全に彼のもとにあった。つまり凪紗が彼を推すのをやめた瞬間、彼女が生きる必要は彼女自身の中ではなくなってしまうのだ。 

 やはりそれは、依存以外の何物でもなかった。


「ほんっと、よく働くね。一ノ瀬ちゃん。」

清水さんがそういうのは、自分にも理解できた。Nanashiがもし自分がいないときに訪れたら、ということを考え、凪紗はこの半年間ほとんど毎日シフトを詰め込んだ。今日も入学式だったが、新入生の知らない男子の「連絡先、教えてください」とか言う声にも耳を傾けず、バイトに来ていた。

「その動力源は何なの?」

凪紗はまだ誰にも’’推し’’について話したことはなかった。そもそも彼女には趣味の話をするほど仲のいい友人はおらず、清水さんは凪紗にとって唯一の、その話を打ち明けられそうな人だった。

「えっと、、、」

「あのっ」

清水さんには話せる気がする、そう思い凪紗が口を開いた時、一人のお客がそれを遮った。彼は、スマホをこちらに差し出した。

「一ノ瀬先輩、ですよね?僕、一年の三浦拓海みうらたくみっていいます。さっきも先輩に声かけたんですけど、僕の声届かなかったみたいで。連絡先、教えてもらえませんか?」

彼の声は確かに凪紗に届いていた。しかし、彼からしたら、単に声が聞こえていなかっただけで、拒否されたとは認識されなかったらしい。しかし、彼がここをまでこれたということは、あのあとずっと自分についてきたのか、そう思うと凪紗は少しゾットした。

「ごめんなさい、バイト中なので」

凪紗はとう回しに拒否する。しかし大体の人はこれで諦めてくれるが、拓海には通じないようだった。

「じゃあ僕、バイト終わるまで待ってます!」

彼の目に曇りはなく、本気で行っていることが分かる。凪紗にはそれがますます怖く感じられた。

「すいません、迷惑です。」

そう言い、その場から1度逃れようとした凪紗の手首を、拓海は容赦なく握った。

「いっ、た、、」

凪紗は手首の強い痛みと、このようなことをしてもなお、こちらを真っ直ぐに見つめてくる拓海の目線に耐える。手を振りほどこうと動かすが、拓海の手はびくともせず、振りほどけない。

───怖い。


「なに、してるんですか。」

 聞き覚えのある声が凪紗の頭に響いた。

 その瞬間、凪紗は反射的に拓海の後ろにいる、その声の持ち主に目を向けた。

 ああ、なんでこの人は、こういうときばかり助けてくれるのだろう。その声の持ち主はこちらに近づき、匠の手を私の手首から、引き剥がした。凪紗は間違いなく、その目も、背格好も、声も、マスクで隠れている表情までもを、知っていた。

 その人は間違いなく、南野奏であった。

 

 拓海はこちらを惜しそうな表情でチラチラと見ながら、店を出ていった。南野奏の目がこちらへ向けられる。一瞬彼は驚いた表情をして、

「あれ、君たしか、」

と呟いたが、すぐに後ろから来たメンバーの声に答えるように

「4人で。」

とだけ言い、席についた。


 凪紗の心に空いていた穴が、塞がった瞬間だった。


「連絡先っ、教えてください!」

お冷を置きに来ただけのつもりだった凪紗は、いつの間かこんなことを口走っていた。目の前にいる推しという存在に耐えられず、凪紗の中には今まで以上に欲が出て

来ていた。その言葉は間違いなく、もっと確実な繋がりが欲しいと言う、凪紗の心の叫びだった。

断られる覚悟ではいたが、凪紗は本気だった。

「えっと、ごめんね。あなた、ユーザーよね?それとも、奏のファン?どちらにしてもファンの子とは、そういう事しちゃいけない決まりなんだけど。」

キーボードの北原結衣さんが困ったような表情で、凪紗を見る。ユーザーとは、Nanashiの言わゆるファンダムと言うやつで、Nanashiを推してる人たちのことをまとめてそう呼ぶ。ここでユーザーでも、ファンでもないと言えばまだ、連絡先を交換できる可能性は出てくるだろう、そのくらいのことは凪紗にもわかっていた。

でもそれでは意味が無い。


凪紗が欲しいのは南野奏のトクベツであって、ただの知り合いのひとりになるつもりは全くなかった。

''推しの連絡先を知っているファン''という、特別な存在になりたかった。


だから凪紗は、結衣さんの言葉に対して、首を縦に振った。しかし、メンバーの表情を見て凪紗は察した。


無理であると。


「いいよ、連絡先。」

それは、凪紗が大好きな高めの声だった。

「……え?」

「いいよ、連絡先くらい。」

凪紗は驚いていた。自分から頼んではいたものの、まさかいいと言われるとは思っていなかった。

南野奏は凪紗を真剣に見つめながら、話を続ける。

「その代わり、君の歌声、俺らにくれない?」

条件、ということだろう。歌声をあげるということが何を意味するのか、凪紗には分からなかったが、連絡先を交換できるなら正直、なんでもするつもりだった。

「わかりました。」

凪紗は直ぐに了解した。そして、推しと連絡先を交換するという、ファンとしてはあってはならない、禁忌を犯した。しかし凪紗には、それが今まで貢いできた、愛、時間、お金、全てに対する見返りのように感じられた。


初めて凪紗は、生きていてよかった、そう感じた。

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