第9話
その日、俺はメンバーと一緒に打ち合わせのため、ファミレスへ向かった。中へはいると、いつもは「一之瀬さん」が席まで案内してくれるところを、今日は清水という名札をつけた店員から案内された。
───今日はいないのか。
そう思い、周りを見ると奥の方へ歩いていく彼女の姿が見えた。これだけで少し心が弾む自分がいて、さすがにキモイな、と思う。そんなことを考えていると、
「なんで原の告白断ったの?」
と言う、甲高い声が、店内に響く。目をやると、「一之瀬さん」が同じ高校の人らしき女子3人に、何やら言い詰められている。
───恋愛絡みか。
少しもやっとした気持ちが俺の中で膨らむ。ことを荒立てないようにと配慮してるであろう「一之瀬さん」だったが、3人の周りへの配慮が一切ない声が店内を包み、お客は皆、彼女達の方へ意識を向けていた。
「あの子、大丈夫かな、、?」
もちろん俺以外の4人のメンバーも気がついていて、結がそんなことを呟いた。
助けには入りたい、しかしここで俺が「南野奏」だとバレると、せっかく軌道に乗ったバンド活動に影響を与えるかもしれない。そんな葛藤が自分の中をぐるぐると回る。しかしその間もずっと、3人からの質問攻めは続き、だんだんとそれは、悪意を持った言葉へと変わっていった。そしてパシャっという音が鳴り、彼女の顔はグラスの中の水で濡れていた。周りは、確実にヒートアップしているこの状況に圧巻されている人ばかりで、誰も止めようとはしなかった。それでもなお、下唇をかみ耐え続ける「一之瀬さん」に、その3人は無責任でしかない言葉を口にし始めた。
───プツっ
俺の中で何かが切れた音がした。もう我慢できない、俺が席を立ち上がろうとしたその瞬間だった。
「僻むのもいい加減にしてもらえませんか。」
とても力強い声だった。
俺はその時、初めて心からの、彼女の思いを目にしたような気がした。そしてその時からだった。
僕が彼女を笑顔にしたいと、もっと繋がりたいと思い始めたのは。
それから3ヶ月がたった頃、Nanashi初のドームライブが終わり、ひと段落着いたかと思えば、初のアリーナツアーが決定し、俺は曲作りに追われていた。あれ以来、あのファミレスには行けていない。ありがたいことにNanashiの知名度は著しく伸びたらしく、今やイチ流行りのアーティストとなっていて、さすがにライブの打ち合わせをファミレスで行うのは良くないらしい。俺自身も応援してくれている人達を差し置いて、バンド活動を中途半端にしたまま、私情を満たすのは自分が1番許せないことでありだった。だからこそ、この3ヶ月は仕事に全力で取り組んできた。それに、彼女の視野に入るには、俺たちの曲を知ってもらうのが1番手っ取り早い、そんな邪念も少し、ほんの少し自分の中にあったのかもしれない。
アリーナツアーを一ヶ月後に控えた7月のある日、新曲のレコーディングが終わり帰ろうとしているときだった。
「奏!ちょっと面白いのあるから来て。」
と、ディレクターの百瀬ももせさんとボイストレーナーとして昔から俺に指導してくれている島田さんに呼び止められた。
「なんすか、面白いのって。」
「まあまあ、座って。」
訳のわからないままの俺をパソコンの前に座らせて、二人はニヤニヤしながら俺にヘッドホンを付けさせた。
「これ。」
島田さんがそう言うと、百瀬さんがあるファイルを開く。画面には短い文章と、添付された音楽ファイルが表示された。
「これ、ファンレター、ですか?」
ファンレターは手紙でも遅れるが、Webの公式サイトにファンレターをかけるページが載っていて、そこからファンレターを書いて送ると、こちらに届く仕組みになっている。画像、音楽ファイル、その他諸々の添付は許可している。理由は、よりファンの人を身近に感じたいという結の意見が通ったからだ。
内容を読もうとした時、百瀬さんが添付されていた音楽ファイルを開いた。だいたい音楽ファイルを送ってくる人は、ギターやベース、ドラムやキーボードなど自分が楽器で演奏しているところを録音したものを送ってくれる人が多い。
〜♪〜♪
しかし今回聞こえてきたのは、天下人のCD音源のイントロ。ボーカルは珍しいな、そう想っていると俺の耳にその歌声が突き抜けていった。鳥肌が立った。芯はしっかりとあるが、耳にすっと入ってくる、力強いがどこか儚さを持つその歌声は、まさに亡き母を彷彿とさせた。柔らかいが、何かを必死に訴えかけている、俺はその歌声に、もう一人姿が重なる人がいた。
圧巻だった。そんな俺の様子を見かねた百瀬さんと島田さんは、さっきよりもさらに口角を上げ、ヘッドフォンを外した。
「すごいだろ!俺たちも最初聞いたときは放心状態だったよ。」
「一般人にいて良いような逸材ではないな。」
興奮した二人は口々にそんなことを言う。
「何モンだよ、まじで。」
「あ!百瀬さん、もっかい手紙のとこ、見せてください。」
俺はハッとしたように言う。
「何、そんなに気に入った?」
からかうような口調の百瀬さんは音楽ファイルを閉じ、手紙が書いてあるページを開く。
Nanashiさんへ
こんにちは。私は高校二年生のこの春、あなた達と出会いました。ずっと暗かった人生に、
色を与えてくれました。あなたちの奏でる歌に救われました。本当に心から、ありがとう。
うまく話すことは難しいのでこの歌に載せました。もしお時間あれば、聞いてください。
一之瀬凪紗
ああ、僕は確かに君を知っている。
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