第4話

episode 3 知らない


はあ、

 家に着いた安心感からか凪紗は思わずため息をつく。

疲れた。

 結局あの後、事の一部始終を見ていた清水さんが上に掛け合ってくれたおかげで、なんとかバイト先を失わずに済んだ。しっかりと長時間の説教は受けたが、また1からバイト先を探すよりはよっぽど楽だった。

 特にやることがない凪紗はお風呂場に向かった。

汗でベタつき、なかなか脱げない洋服にイライラしながらも、劣化してきて少し変な音が鳴るお風呂場のドアを開ける。

 そして凪紗は、ほぼ水に近い温度のシャワーを頭から思いっきり浴びた。

 しかし川田のあの甲高い笑い声と、体にまとわりつく、あの責め立てられているような視線だけがどうしても洗い流せなかった。


そこからは、ずっと悪循環だった。

髪を乾かしても、テレビ見ても、ご飯を食べても、どうにかして忘れようとすればするほど、笑い声が凪紗の頭を過り、常に視線を感じてしまう。

怖い。

またどんどん負の感情が凪紗の中で大きくなっていった。心は真っ黒に染っていく。

笑い声が頭に響いて、めまいがする。

それに伴って、本当は川田達が少し羨ましかった、という事実に今更ながら、凪紗は気づかされていった。

 

 彼女たちは確かに常識というものがなかった。

 ただそれが、幼い頃に常識どころかどのように媚びを売り、いかに上手に生きるかということばかりを教えられてきた凪紗にとって、羨ましく感じられることでもあった。

 おそらく彼女たちのあの非常識な行動は、常識を覚えずとも、何不自由なく過ごせるほどの豊かな境遇で育ってきたからこそのものであったのだろう。


───不公平だ。


 親からの愛も、常識を知らずに生きてこれるような自由も、豊かすぎるほどの感情を育てるための環境も、自分がどう頑張っても手に入らにものを、彼女たちは何の努力もせずに生まれながらに手に入れた。

 つまり生まれながらにして、自分に足りないすべてを持っていたのだ。そんな事実に対して、凪紗はいらだちを覚える。

 それに対して自分は、親もいない、愛情をろくに注がれたこともない、バイト続きの日々で頭がいいとは決して言えない、そしてしまいには、自己満足のために人を傷つけてしまう、最悪な人間だ。

凪紗はズキズキと痛む頭を抑えながら、その場に崩れ落ちるようにしゃがむ。

もうこんな自分消えてしまえばいいのに。そんな思いが頭をよぎる。

だから、だから私は一ノ瀬凪紗という存在が受け入れられない。


「いつか、好きになれるといいね。自分のことも、誰かのことも。」

「……え。」

消えてしまいたい、その思いで埋め尽くされていた凪紗の頭に、あの人の言葉よぎった。

~♪♪~♪♪

その瞬間、テレビで流れていた音楽が凪紗の耳に飛び込んできた。

無意識に凪紗の目はテレビの方へ向けられていた。

とても明るい音楽だった。ドラムの勢いのいい音を合図に、いっせいにベースやギター、ドラムが楽しそうに音を奏でる。

凪紗はその眩しさに、思わず目を伏せる。


~♪ ''僕の人生なんかこんなもんさ''

今日も失望する毎日

でも周りを見れば 誰もが希望を見ている ♪~


凪紗の耳に再び、歌詞と一緒に音楽が飛び込んでくる。

透き通っているが、どこか芯がある、そんな歌声に、何か覚えを感じて凪紗は、もう一度テレビに目を向ける。

───この声、どこかで。

テレビの左上には、「今、人気絶頂のロックバンド Nanashiが大ヒット中の''天下人''を歌唱!」と書いてあり、ちょうどNanashiが引きの画角で映し出されていた。

ボーカルの人が、俯き気味のまま歌い続ける。


~♪ 僕の前には光がないから 

  主演は自分なのにただの通行人Aになる♪〜


ジャンっ、とギターが音を立て、画角がボーカルによる。

その透き通った声の持ち主は、ぱっと顔を上げサビを歌い始める。

吸い込まれそうな目がカメラに微笑みかけ、思わず凪紗は見入ってしまう。

───この人、、、


   〜♪  そらの下にいる僕らは  

元々は皆同じらしい

     でも僕は気づいたんだ 

かみも人間だって

     だから僕は幸せなふりして前を見る

    運命という足かせをつけながら  ♪〜


 凪紗はステージの中心にいる、歓声を受け深々とお辞儀をしている人をたしかに知っていた。

 彼の、その透き通るような、男性にしては高めの声も、何もかもが見透かされてしまいそうな、その透き通った瞳も、確かに知っている。

 凪紗はテレビから目を話すことができなくなっていた。

さっきまで頭の中に響いていた笑い声も、まとわりつくような視線もいつの間にか消えていた。

凪紗がここまで引き込まれたのは、ファミレスで助けてもらったあの人が、テレビの画面越しに微笑みかけながら歌っていたからだけではない。


 凪紗は確かに、彼らの、Nanashiの’’音楽’’そのものに引き込まれていた。

ポップで明るい曲調に載せて伝えられる、世の中のどろどろした部分を的確に捉えた歌詞。

あんな卑屈な内容の歌を演奏して、歌っているにも関わらず、とても楽しそうに音楽を奏でるメンバーたち。

そして、透き通った声で、高めのトーンで、しかし声の雰囲気から何かを訴えられているような感覚を受けてしまう、そんな不思議な魅力を持った、ボーカル。

 彼らのことをもっと知りたい、そんな初めての持つ思いに駆られ、凪紗は自身のスマホで検索をかける。

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