第11話
───ただいまー、お母さん?
まだ帰ってないのかな?
ぼろアパートの鍵は空いていたが、母の返事はなく不審に思いながらも、私は部屋の奥へと進む。
───お母さん?帰ってないの?
おかしい、この時間だったらもうパートは終わってるはず。いつもだったら、どれだけ疲れていてもおかえりと笑顔で出迎えてくれるのに。
───……え、
私は1番奥にある母の寝室で、彼女の姿を見つけた。
首に縄が巻かれてあり、その縄の先はドアの上を通過させ、ドアノブに括り付けられていた。
───……お母さん?お母さん!お母さん!!
どれだけ呼びかけても母は目を覚まさなかった。
───どう…すれば……。救急車!!
小学校で教えられていた119をダイヤルして、電話をかける。名前は?住所は?と聞かれるが気が動転して上手く答えられない。呼吸が荒くなる。とにかく自分の分かる言葉を言い続けた。足に力が入らなくなり、その場に崩れ落ちる。
お母さん、どうして私を置いていったの?
置いて、行かないで。
───……ぎさ!凪紗!!
ハッ
優しい声が自分の名前を呼び、凪紗は目を覚ます。目に入って来たのは、知らない天井と心配そうにこっちを見ている奏。
「大丈夫か?うなされてたみたいだけど。」
「うん、ちょっと変な夢見ただけ。それより、なんで私ここに?ここ、どこ……ですか?」
「ははっ、いいよタメ口でも。ここは俺の家。凪紗、昨日のレコーディングの後、倒れたんだよ。覚えてない?」
「え?俺の家って、、奏の?え、じゃあ、ベッド、、。」
「いや、動揺しすぎ。」
「だっ、て、、」
確かに昨日のレコーディングの後、奏の顔を見た途端、安心感から身体中の力が抜けていった記憶は凪紗にもあった。しかし凪紗の中では、倒れたことへの驚きよりも、今あの南野奏の家に、ベッドの中にいるという衝撃の方が大きかった。推しの家にいる、こんなことがあっていいのだろうか。
「まあ、大丈夫そうだな。ちょっと待ってて。なんか食べれそうな物、作ってくる。」
そう言い残し、奏は部屋から出ていった。推しの家、推しの部屋、推しのベッド、推しの手料理。
───これが今まで奏に注いで来た愛への見返りだとしたら、私は愛を借金してるな。
そんなロマンティックの欠けらも無いことを考えながら、凪紗は部屋を見渡す。
ふと、凪紗の目に1枚の写真が飛び込んできた。もう少し近くで見ようと、写真が置かれている棚に近づく。
「これ……。」
そこには、額縁に入れられた1枚の写真と、無造作に置かれた1枚の紙があった。
写真には小さな男の子と綺麗な女の人が、手を繋いで写っていた。
───この人……なんで、
ふと、額縁の奥の方に置いてある紙に目線を移し、目に入った文字に凪紗は目を丸くする。
───診断書 病名 拡張型心筋症
かくちょうがたしんきんしょう?
凪紗にはピンとは来なかったが、病気ということだけは分かった。
───もう少し詳しく
そう思い、再びその診断書に目を落とした時、
「見た?」
という声が聞こえ、後ろを振り向くと部屋の入り口に奏が立っていた。動揺でドアの開く音が耳に入ってこなかったのか、全く気づかなかった。
「……うん。」
奏は少し顔を曇らせ、困った様に笑った。
「そっか、見ちゃったか。」
「ごめん、なさい。」
「いやいや、俺がそんなとこに置いといたのが悪いんだから、気にしないで。」
そう言う奏は今にも消えてしまいそうだった。
奏は凪紗の方へ向かうと、写真を手に取った。凪紗は、正直に聞く。
「あの、その女の人、、」
「この人、俺の母親、南野幸みなみのさち、またの名を藍原真佑あいはらまゆ。聞いた事あるんじゃない?元女優で結構人気だったから。」
「藍原真佑……。」
「10年前、俺が9歳の時、亡くなった、交通事故でね。結構ニュースにもなってたと思うんだけど。なんてったって、不倫相手と密会中に事故に合ったんだからね。それも相手の男が運転してた車が、ガードレールに突っ込んだらしい。まじ、笑えるよね。バチが当たったんだよ。」
奏は軽く笑って見せる。しかし凪紗には、苦しそうに見えてならなかった。
「……その不倫相手の男の人は?」
「亡くなったよ。その事故で母と一緒にね。」
「そう…ですか。その人のこと、恨んでますか?」
「そりゃまあ、少しはね。でも不倫なんかしてた母も大概だから。まあでも、天国で2人で幸せに、とかは絶対に許せないよね。……なんてね。」
やはり奏は笑っていた。でも、凪紗は気づいていた。彼の目の奥には、何か狂気を感じられた。
そして、もうひとつ、聞きたくないこと、でも聞かなければならないことがあった。
凪紗は声を振り絞る。
「これ、は?」
凪紗が指した先には、あの紙があった。
「これ、うん。なんて言えばいいのかな。こういう時……あんま重く捉えないで欲しいんだけどね。」
凪紗を綺麗な瞳めが見つめる。
「俺、死んじゃうかもなんだよね。」
そう言って凪紗に向けたその笑顔は、儚く、今にも消えてしまいそうだった。
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