09.最愛のあなたに

 倉庫から救出されたリーゼは、軍が運営する病院に入院させられた。

 大した怪我ではないとリーゼが主張しているのにもかかわらず、リーゼに過保護なノクターンとミラー医務官に強制的に入院させられたのだ。


「かすり傷くらいなのに入院だなんて大袈裟だよ」

「念のため入院して様子を見ないと、なにが起こるかわからないだろ?」


 文句を零すリーゼに、付き添いのノクターンは黙々とリンゴを切ってはリーゼの口元に運んでやっている。


 すると、廊下からバタバタと忙しない足音が聞こえてきた。

 

「リーゼ! ああ、無事で良かった!」


 ジーンから知らせを受けたブライアンとハンナが、リーゼのいる病室に飛びこんできたのだ。


「誘拐されたリーゼをノクターンが助けたんだって? 二人とも、よく頑張ったな」

「二人とも、おかえりなさい」

 

 ブライアンとハンナは、リーゼとノクターンを抱き寄せる。

 

「ただいま」


 リーゼは胸の中に温かな気持ちを感じつつ、二人を抱きしめ返した。

 

 赤子の頃から自分を守り続けてくれた家族の腕の中は、やはり安心する。

 それはノクターンも同じようで、ぶっきらぼうな声で「ただいま」と返事をすると、大人しくぎゅうぎゅうと抱きしめられた。


「それにしても、誘拐の黒幕があのルウェリン中将だったなんて驚きだわ。彼のせいで総帥が責任をとって辞任するなんて納得いかないわね。総帥はなにも悪いことをしていないのに」


 ハンナの話によると、ルウェリン中将によるリーゼたちの誘拐事件や<錬金術師>絡みの大量虐殺事件についての記事が、今朝の新聞の一面に書かれていたらしい。

 号外も配られ、全ての国民が知ることとなった。


 おぞましい事件を起こしたルウェリン中将に憤りを覚えた国民たちがストレーシス国軍の門前を占拠しているらしい。

 彼らはルウェリン中将の死刑を望む声を上げているそうだ。


「これからの軍は国防に専念し、国を治めるのは国民から選ばれた代表――大統領になるそうだ。初代大統領には国民議会議長のアルジャーノン・オブライトが内定しているのだとよ」

 

 総帥は辞任の演説で、これからの政治は国民の代表が集まる国民議会中心で動かすことを宣言した。

 その際に、大統領を現国民議会議長であるアルジャーノン・オブライトにすると明かしたのだ。


「政治体制の移行後に国名を変えるそうよ。新しい時代の始まりね」

 

 ハンナが期待を込めた瞳で話す姿を見て、リーゼは自分がした選択に満足したのだった。


「面会時間が終わってしまうから、もう帰るね。次は本を持って来るよ」

「ありがと。すぐに退院できるから、心配しないでね」


 ブライアンとハンナを見送っていると、彼らが病室の扉を開けた瞬間に一匹の黒猫が入り込んできた。


「ワルツ! どうして私がここにいるとわかったの?!」


 寝台に飛び乗ってきたワルツを抱き上げると、ワルツはゴロゴロと鳴いて嬉しそうにリーゼに頬擦りをする。


「私は普通の猫ではないもの。リーゼの場所を知ることも、魔法で姿を消すことだってできるわよ?」

 

 ワルツから女性の声が聞こえ、リーゼは瞠目した。

 

「えっ……?! 喋れるの?!」

「そうよ。使い魔は契約すると人間の言葉を話せるようになるの」

 

 得意気に胸を張るワルツだが、リーゼが顎の下を撫でてあげるとふにゃりと体をくねらせてリーゼに甘える。


「無事で良かったわ。だけど、私の可愛いリーゼを誘拐したあの男を許せないから、これからあの顔をひっかいてやるつもりなの!」

「ワルツ、お前が罰を下さなくてもあいつは死刑が確定している」


 ノクターンが引き止めたが、ワルツは鼻息を荒くしたままだ。

 

「いいえ、私が直接仕返ししないと、腹の虫がおさまらないのよ!」


 そう言い、魔法で扉を開けて病室から出て行った。

 

 ワルツが病室から出て行った後、リーゼはノクターンと二人きりになる。

 リーゼが寝台から抜け出さないよう、ノクターンがずっと見張っているのだ。


「ずっと見られていると眠れないから、ノクターンも一緒に寝る?」

「……は?」


 リーゼは呆気に取られているノクターンのシャツの袖を掴み、少し体を動かす。

 寝台にノクターンが寝転べるくらいの余白を作った。

 

「このところ全く寝ていないでしょ? 目の下にクマができているもん」

「だからといって、リーゼに添い寝する必要はないだろ? そこの椅子で仮眠をとる」


 それでもリーゼはぐいぐいと引っ張りながら、ノクターンを見上げて訴えかける。

 やや上目遣いで見つめられると、ノクターンの気持ちがぐらりと傾いたのだった。

 

「リーゼが寂しいだけだろ。……しかたがないな」


 溜息をつくと一緒の布団の中に入り、リーゼの顔にかかった髪を耳にかけてやる。

 リーゼの柔らかな髪に触れて、目元を綻ばせた。


「良かった。リーゼがここにいる」

「うん。ノクターンのおかげで戻ってこられたよ」


 リーゼはノクターンの手を取ると、自分の頬に触れさせた。


「私が産まれるのを待っていてくれてありがとう。ずっと守ってくれてありがとう。――それに、お父様とお母様の味方でいてくれて、ありがとう」

「――っ」


 ノクターンの手がピクリと微かに動く。


「お母様の死を悼んでくれて……お母様の最後の命令を守り続けてくれてありがとう。私が今日まで生きてこられたのはノクターンのおかげだよ。それなのに、簡単に身分も名前も捨ててごめんね」

「――っ、命令だからずっとリーゼを守っていたわけでは……ない」

 

 ノクターンはぶっきらぼうに言うと、リーゼの腕を引いて抱きしめた。

 

(私があんな決断をしてしまって、ノクターンはどう思っているのかな……?)

 

 長年守り続けてきた王女が身分も名前も捨ててしまったのだから、落胆したのではないだろうか。

 王女を守るためにノクターンがこれまでに乗り越えてきたことを思うと、身分を捨てたことを申し訳なく思うのだ。


「リーゼが生き延びて、ずっと俺のそばにいてくれるのなら、それでいい」

「ずっと……?」

「ああ、ずっと」


 リーゼの心配は杞憂に終わった。

 この護衛はどこまでもリーゼに甘く、リーゼの意思を尊重してくれるのだ。


「リーゼ、遠征に行く前に交わした約束を覚えているか?」

「話したいことがあるから時間をくれってこと?」

「ああ」


 ノクターンはリーゼから体を離すと、彼女の手をとる。


「返事を聞いてほしい。リーゼの告白の返事を」

「……うん。聞かせて」


 待ちに待った返事。

 だけど喜びよりも不安が強く、リーゼは少しだけ逃げ出したくなってしまった。


(ミラー医務官とのお見合いについて、ノクターンの中で答えが出たんだよね……)

 

 医務室で二人が話していた姿を思い出してしまい、臆病な気持ちが顔を覗かせる。

 

 勝算がないと思っているのだ。

 ノクターンにとってリーゼは護衛の対象で、妹分。


 だから恋愛感情を持つことは難しいだろうと、半ばあきらめている。


(だけどやっぱり……好きだよ)

 

 ぎゅっと瞼を閉じて答えを待っていると、手の甲にふにゅっと柔らかなものが押し当てられた。


 驚いて瞼を開けると、ノクターンがリーゼの手の甲にキスをしているではないか。

 

「俺もリーゼと同じ。リーゼが好きだ」

「……えっ?!」


 思わず疑問を口にしたリーゼに、ノクターンが怪訝そうな顔をした。


「え? っとはなんだよ?」

「ミ、ミラー医務官とはどうなったの?」

「はぁ? なんでミラー医務官の名前が出てくるんだよ?」

「だって、差し入れしに行った時に、お見合いの話があるって聞いたもん」

「誰が言っていたんだ? ミラー医務官か?」

「違う。知らない軍人さん」

「……後で調べよう」


 ノクターンからただならぬ禍々しい気配を感じ取り、リーゼは口が滑ったと後悔するのだった。

 あの時にお見合いの話をしていた軍人が無事であることを祈るばかりだ。

 

「じゃあ、どうして私を避けていたの?」

「さ、避けては――」

「目を合わせなかったり、顔を合わせないように遅い時間に帰っていた時があったよね?」

「――っ!」


 ずいとノクターンに詰め寄ると、ノクターンは居心地が悪そうに目を逸らす。


「リーゼが告白してくれて、動揺したんだ。あの時、俺は無自覚にもリーゼに恋愛感情を抱いていることを理解させられたからな」


 告白をされて喜ぶ自分に驚き、そして悩んだ。


「王女であるリーゼを、護衛の俺なんかが愛してはいけないと思っていた。だから苦しかった」


 それなのに、リーゼを意識すればするほど想いが強くなり、抑えきれなくなりそうで焦っていた。

 だからリーゼと顔を合わせないようにして、頭を冷やすことにしたのだ。

 

「リーゼとはいまの関係のままでいいと思っていた。だけど、リーゼがネザーフィールド社の社長と一緒にいるところを見て、その気持ちが揺らいだ」


 護衛で家族なのだから、ずっと一緒にいられると思っていた。

 しかし、リーゼの隣を誰かに譲るのは耐えられないのだと、気づかされた。

 

「リーゼが自分以外の男と結ばれるところなんて見たくない。これからもずっと俺が隣にいたい。……そう思うようになったんだ」


 本来なら手の届かないところにいる、特別な少女。

 太陽のように眩い彼女を、自分のような影の存在が求めてはならないと、頭では理解しているのに心がいうことをきかない。


 それほど愛してしまったのだ。


「リーゼ、好きだ」

「――っ!」


 ノクターンの手がリーゼの顎を掬い、優しい力で顔を上に向けさせられる。

 

「愛している」

 

 ずっと待っていた言葉を聞いて、心が震えた。

 

 ノクターンの顔が少しずつ近づき、鼻先が触れ合ったその時、

 

「ま……待って!」


 リーゼは慌てて掌でノクターンの口を塞いだ。

 

「ん?」

「そ、その……キスは試験に合格した時のご褒美に置いてて!」

「んんっ?」


 もごもごと口を動かして抗議するノクターンに、リーゼは眉尻を下げつつ手を離す。

 

「ノクターンとキスするために、もっと頑張れるから……お願い!」

「――っ、……わかった」


 渋々と願いを聞いてくれたノクターンが心底残念そうな表情を浮かべたものだから、思わず笑ってしまった。


(ずっとずっと、大好きだよ)

 

 リーゼはノクターンにくっつき、胸元に頬を寄せて目を閉じる。

 シダーウッドの香水の香りと温かな体温に包まれて安心すると、瞼がゆっくりと降りていく。


「この世で一番、愛している」


 耳元でノクターンが囁く言葉に、「私も」と答えて目を閉じた。




 



 


 


 


 その後、ノクターンはリーゼの様子を見に来たミラー医務官に添い寝を目撃され、こっぴどく叱られたのだった。

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