09.スタイナー大佐はモヤモヤしている

 街中でリーゼとエディを目撃して以来、ノクターンは憂鬱な気持ちを持て余している。


 今日も鍛錬の最中にリーゼとエディのやり取りを思い出しては、胸の内に渦巻く数多の感情に集中力を乱されてしまい、眉根を寄せて物思いに耽るのだった。


 そんなノクターンを、部下たちが遠巻きに観察している。


「おい、誰かスタイナー大佐に話しかけろよ」

「そう言うお前がやれよ」


 まるで森の中で出会った巨大狼から身を隠ように、柱の陰に隠れて話し合っている。

 最近の上官はなにか悩み事があるらしい。しかしそれを探っていいのか測りかねているのだ。

 

 すると、ノクターンの緑色の瞳が柱越しに、とある部下に向けられた。


「ウォルター少尉、少しいいか?」

「はいっ! お命だけは!」


 ノクターンからお呼び出しされたウォルター少尉は柱から飛び出し、命乞いの言葉と共にノクターンに上官への礼をとった。

 まるで肉食動物を前にした草食動物のように震えており、怯えられている側であるノクターンは顔を顰める。

 

「……なぜ呼んだだけで命乞いを始める?」

「スタイナー大佐がいまにも処刑を始めそうな顔をしているからですよ!」

「処刑されるくらい後ろめたいことがあるのか?」

「ございません! 断じて!」


 本当に後ろめたいことはないのだが、この<冷血のスタイナー大佐>に睨まれるとどうも脂汗をかいてしまう。

 さながら死神や冥府の番人を前にしたかのような緊張感を覚えるのだ。

 

「ところで、ウォルター少尉には恋人がいたな?」

「ええ、います。もうすぐ求婚しようと思っている恋人がいますが、それがなにか?」

「恋人に対してやたら馴れ馴れしい男がいる時、どうする?」


 ノクターンの問いに、先ほどまでは怯え切っていたウォルター少尉の顔つきがキリリとしたものに変わる。

 一瞬の早業で、なにかが乗り移ったのかとさえ思うほどの変貌ぶりだ。

 

「追い払いますね。一時期は彼女に近寄る男を全員警戒していました」

「なるほど」


 やはりそうなるものなのか、とノクターンは納得する。


 ノクターンはリーゼに近寄るあの軟派男を警戒して牽制した日からリーゼに嫌われてしまった。

 しかしノクターンとしては大切なリーゼを守るためにとった当然の行動だと思っている。


 それをどう理解してもらえばいいのか頭を悩ませているのだ。


「その時、彼女はどんな反応を見せた?」

「実は仕事の邪魔だと言ってとても怒られたんですよ。俺は心配しているのに……」


 当時のことを思い出したのか、ウォルター少尉がしょんぼりと項垂れる。

 恋人にこっぴどく叱られたのだろう。

 

「それでも心配だったのでミラー医務官に相談したら、恋人のためにも時には見守りなさいと注意されました。嫉妬深い男は愛想を尽かされるそうです。ははは……」

「……そうか」


 愛想を尽かされると聞くと、さすがに不安を覚えた。

 最近のリーゼは徹底的にノクターンを無視しており、少しも話しかける余地を与えてくれないのだ。

 これ以上関係を悪化させたくない。


 とはいえあの軟派男に近づかないでほしい思いは変わらない。

 この板挟みの状態がもどかしくてしかたがないのだ。

 

(しかし見守るなんてできない。ましてや相手があの軟派男なら早く引き離した方がいい)


 それとも、この考えは嫉妬心から生まれたものなのだろうかと、心の中にいる別のノクターンが問う。

 

 いままではただ純粋にリーゼを「護りたい」と思っていた。

 それなのに、最近の自分はどうだろうか。リーゼへの想いを自覚させられて以来、リーゼを見る度にこれまでにはない感情を感じるようになった。


(恋をするとは、厄介なことだな)


 ノクターンは大きく溜息をつく。

 そんなノクターンの気持ちを察してか、ウォルター少尉が気遣わしく問いかける。


「あ、あの。どうしてこのような質問を?」

「別に。気になっただけだ」

「え、ええと……そうですか。なにかあったらまた聞いてくださいね」

「……ああ」


 正直に言うとリーゼとあの軟派野郎のことが気掛かりだ。

 しかしいまは他にも悩みの種を抱えている。

 

「ところでウォルター少尉、<錬金術師>について新しい情報を掴めたか?」

「ええ、ヴロムでも例の幽霊の噂が流れているそうですので関連を探っています」

「そうか。引き続き調査を頼んだぞ」

「はっ!」


 幽霊の噂話が囁かれる地域を捜査すると、<錬金術師>たちの犯行現場が残っていることがある。

 事件が起きた地域に偏りはなく、ストレーシス国全域で起こっている状況だ。


 憎らしいことに<錬金術師>たちの行動は大胆になってきており、最近では首都であるアヴェルステッドに近い町でも事件を起こすようになった。


 犯罪の足音がリーゼに近づいているように思えて不安でならない。

 

(リーゼが巻き込まれないよう気をつけなければ……)


 ノクターンにとってリーゼはこの世でたった一人、なにがなんでも守り抜かなければならない存在だ。

 彼女の安全と幸せを守るためにこのストレーシス国軍に入ったのだから、目的を成し遂げられないのであればここにいる意味はないとさえ思っている。


「それにしても、国中の町を調査するのは大変ですね」

「ああ。遠征が増えるな」

「そうですね。旧王族の捜査といい……厄介な任務ばかり回ってきますね」


 ――旧王族の捜査。

 これもまた、<錬金術師>の捜査と同じく総帥がノクターンの部隊に極秘で命じた任務だ。


 近頃、旧王族の生き残りの子どもがストレーシス国内にいるという噂が流されている。

 その子どもは極秘に生まれ、公表される前に王政が崩壊したため一部の者にしか知られていない存在だったと言われている。


 情報元は定かではない。

 これまで姿を隠していた宮廷医という噂もあれば、子どもの乳母になる予定の女だったという噂もある。

 

 もし生存しているとなれば早急な対処が必要だ。

 

 現に王族を根絶やしにしたい王政復古反対派と、かつての栄光を取り戻すためにその生き残りの子どもを王座に就かせて王政を復活させようとする没落貴族が、血眼になって探しているらしい。

 

 この状況では自ずと両者の衝突を免れなくなるだろう。

 そのため国軍は彼らによる内乱を防がねばならないのだ。


 ノクターンの部隊は真相の解明を任されている。

 もし王族の生き残りが本当にいるのなら保護するようにも命じられている。

 

「……それほど総帥に信頼されているということだ。うちの部隊は中立派だからな」

「ですが、いいように使われているのも事実です」

「そうだな。その分お前たちの給料を上げるよう言っておくよ」

 

 ただでさえ忙しいのに、<錬金術師>たちの行動が活発化しているため、これからは更に忙しくなるだろう。


「新月の夜にはリーゼのもとにいなければならないのに」


 ノクターンは誰にも聞こえない声でそっと呟いた。

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