03.告白

 幸いにも、自室に戻ったリーゼはすぐに眠れた。

 ――そして夢を見た。


 なぜか夢の中でも布団の中に入っている。うっすらと目を開けると、寝台の縁にノクターンが腰掛けていた。

 ノクターンは壊れ物に触れるように優しく、リーゼの髪を梳き流してくれている。


『新月の夜に間に合って良かった』

『まったく、ヒヤヒヤしたよ。いざとなったら私が対処するけど、アンタほど上手にはできないからね』

『やはり俺の身代わりを作った方がいいな。新月の夜に夜勤がある時は交代してもらおう』

『止しな。妖精の変身ならまだしも、土や木でできた人形は知能を持たないからすぐにバレてしまうよ』

『せめて妖精ぐらいはこの国に残っていたらいいのに』

 

 いったい誰と話しているのだろうか。ノクターンと女性の声が聞こえてくる。

 聞き耳を立てているとノクターンが振り返りそうな気配がして、慌てて目を閉じて寝たふりをする。


『この姫様を守るのは大変だな』

(ひ、姫ーっ?!)


 リーゼは盛大に混乱した。夢の中であれど、あの超がつくほど現実主義なノクターンが自分のことを姫様と呼んだのだ。声を上げなかっただけでも褒めてほしい。

 

(わ、私ったら、どうしてこんな夢を見ているの?!)

 

 彼と両想いになりたいという欲求が強過ぎたから見たに違いない。

 途端に恥ずかしくなり、それ以降はただひたすらに感情を無にして夢が覚めるのを待った。


     ***


 翌朝目を覚ましたリーゼは、夢の内容を思い出しては恥ずかしがり、寝台の上を転げまわった。


「やっぱり、成人になるまで待てない」


 このままでは毎夜、あのような夢を見てしまうような気がしてならないのだ。

 

(これ以上ノクターンが遠い存在になる前に告白しよう……!)


 とはいえ、いつ伝えるべきなのだろうか。ノクターンと二人きりになる機会を作り出すしかない。

 さてどうしたものかと悩んでいる間に、壁かけ時計の針がどんどん進んでいく。


(いけない。もたもたしていると、家事をできないまま学校に行くことになる)

 

 労働階級家庭の朝は慌ただしい。両親がバタバタと支度をして出ていく間に洗濯物を干し、それから朝食を食べてから学校に行くのが常だ。

 

 ブライアンは造船工場、ハンナは縫製工場でそれぞれ働いているから朝が早くい。そのため、学校に登校するまで比較的時間に余裕があるリーゼがその間の家事をすることになっている。


「あ……」


 家事をこなし、両親を見送った後に台所に行くと、なんとノクターンが食卓についていた。

 昨夜ハンナがアイロンをかけていた、皺ひとつなくパリッとしたシャツを着ている。軍服の上着を着ている時より寛いだ印象を受けた。

 

「おはよう。ちゃんと眠れたか?」

「う、うん」


 まさか待っていてくれたのだろうか。ノクターンはリーゼの姿を認めると、温め直したパンと紅茶を用意してくれた。

 そして二人で朝食を食べることになった。

 

(珍しい。ノクターンがまだ家にいる)


 いつもなら両親と同じ時間帯に出勤しているが、今日は連勤明けだから遅めに出勤するらしい。休暇をとらないあたり、相当忙しいのだろう。


「昨日はブライアンが騒がしくて言えなかったけどさ」

「うん?」

「鶏の丸焼き、美味かったぞ。昔より上達したな」

「う、うん。最近はお母さんの代わりに料理することが多くなったから……」


 ああ、こういうところが本当に狡い。そして大好きだ。

 胸の奥に広がる温かなものに抗えず、頬を緩めた。


(ノクターンはいつも意地悪だし不愛想だし気まぐれだけれど、それ以上に、私が嬉しくなることを言ってくれる)

 

 なにより、ノクターンは誰よりもリーゼを気にかけてくれている。

 心の機微も成長も――そして努力も、誰よりも先に気づいてくれるのだ。

 

(今なら、伝えられるかもしれない)


 愛おしいと思ったこの瞬間なら躊躇いなく言える。

 そう決心し、ノクターンの名前を呼んだ。

 

「ねぇ、ノクターン」

「ん?」

「好き」

「……」

 

 サラダをつついていたノクターンの手が止まった。

 緑色の瞳が見開き、虚を突かれたような素振りを見せたが、すぐに眇められた。フォークを皿の上に置き、空いた手で頬杖をついてリーゼの顔を覗き込む。

 

「なんだ、欲しいものがあるのか?」


 いったいどのように勘違いしたのかはわからないが、ノクターンは鼻歌を歌い出しそうなほど上機嫌だ。

 

(なんでそうなるの?!)


 自分のことを少しも恋愛対象に見られていないような気がして、内心とても落ち込んだ。

 そんなリーゼの気持ちを察したのか、空いている椅子で丸くなっていたワルツが、慰めるように優しく「にゃあ」と鳴く。


「別に、欲しいものなんてないよ」

「嘘吐きだな。昔から欲しいものがあったら甘えてきたじゃないか」

「いつの話をしているの!」

 

 うんと幼い頃、リーゼはノクターンに抱きつき、お菓子やぬいぐるみを強請ったものだ。

 するとノクターンは意地悪を言いながらもすぐにそれらを与えてくれた。


 なんやかんやでリーゼに一番甘い人物は、ブライアンでもなくハンナでもなく、ノクターンなのだ。


「今日の放課後は空いているか?」

「特に予定はないけど……」

「わかった。早く仕事を終わらせてくるから、放課後に中央広場で落ち合おう」

「え?!」

「もし俺がいなかったら近くにあるカフェのテラスに座って待っていてくれ」

 

 ノクターンはそう言い残し、リーゼの返事を聞かずに出勤してしまった。


「信じられない。こっちは決心して言ったのに!」

「にゃ~」

「ワルツもそう思う?」

「んにゃ~」


 ワルツはリーゼの足にぴったりと寄り添い、慰めてくれる。

 ノクターンがリーゼの兄のような存在なら、ワルツは姉だ。両親の話によると、リーゼが赤子の頃からそばにいて面倒を見てくれていたらしい。


(告白したのに、どうしての「好き」だと思うの?)

 

 荒れ狂いながらも手早く食器を片付け、学校に行く準備をする。


(……だけど、学校終わりに出かけられる約束ができたのは収穫かも)

 

 一世一代の告白を勘違いされたままであることは大変遺憾だが、思いがけずお出かけの約束ができたことは嬉しかった。

 リーゼは姿見の前に立ち、いつもは頭の後ろで一つに結んでいる髪を、今日は大人っぽくハーフアップにしてみる。


(服……も変えようかな)


 時計の針がカチコチと音を立てて急かしてくる。それでもリーゼはお気に入りの若草色のブラウスと焦げ茶色のスカートに着替え、家を出た。


「こうなったら、放課後にもう一度告白するしかない! 今度こそノクターンにわかってもらえるように!」


 その後、リーゼの気持ちを知ったノクターンが思いがけない行動をとるようになるなんて、この時のリーゼはまだ知らなかった。

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