03.対抗意識

 翌日、学校に着くなり他の生徒たちからの視線があちこちから飛んでくるものだから、リーゼはいたたまれなくてしかたがなかった。


 げんなりとしていると、友人のケイトがやって来てこっそりと耳打ちする。


「リーゼちゃん、昨日ノクターンさんにお姫様抱っこされていたって本当?」

「う、噂になっている?」

「うん。今朝はその話題で持ちきりだよ。みんなリーゼちゃんから詳しく話を聞きたくてうずうずしているんだから!」

「みんなが想像しているようなことではないって伝えておいて! お願い!」


 昨日の出来事はただノクターンがリーゼを強制帰宅させるために無理やりしてきたことであって、決してリーゼが望んでしてもらっていたのではないとわかってほしい。


 必死で代弁をお願いするリーゼに、ケイトは探るような眼差しになる。

 

「わかったわ。それで、噂は本当なの?」

「うん……。昨日いろいろあって、ノクターンに抱きかかえられたまま強制帰宅させられたの」

「わーっ! 本当だったんだね!」


 ケイトは先ほどまでの胡乱げな表情から一転し、頬を上気させてはしゃぐ。

 友人が経験した恋愛小説のような出来事に興味津々なのだ。


 リーゼにずいずいと詰め寄り、逃げ道を塞ぐ。

 

「なにがあったのか聞かせてよ」

「もうっ! 他人事だからって楽しみ過ぎだよ!」

「そうよ。自分のことではないから浪漫を感じるし楽しく聞けるの。普段のリーゼちゃんだってそうでしょう?」

「ううっ。そうだけど……」


 目を輝かせているケイトに促されたリーゼは、渋々と昨日起こった出来事を話した。


 エディが恋愛相談に乗ってくれるから彼と待ち合わせをしていたこと。

 その待ち合わせ場所の近くでノクターンに捕まり、そのまま強制帰宅させられたこと。

 ノクターンがエディを信用していないこと。


「とにかく、エディのことを信用するなとかエディからの誘いに乗るなとかうるさいの!」

「ノクターンさんは前からリーゼちゃんのことに関しては心配性なところがあるけど、今回は比にならないくらい心配しているんだね」

「そうなの。心配するだけならいいのだけど、エディに失礼なことを言うのは止めてほしいよ。エディはいい社長なのに、なぜかエディに対して攻撃的なんだよね」


 思い出すだけでも腹立たしく、頬を膨らませてノクターンへの愚痴を零す。

 そんなリーゼの隣で、ケイトは顎に手を当てて思案している。

 

「リーゼちゃん、もしかしたらノクターンさんはエディさんに対抗意識があるんじゃないかな?」

「対抗意識……?」


 ノクターンに似合わない言葉に驚き、素っ頓狂な声になる。

 リーゼが知る限り、ノクターンが誰かと張り合っているところを見たことがないのだ。


「ノクターンはなにを張り合っているの?」

「もちろん、リーゼちゃんのことでだよ」

「え? なんで?」

「だって、エディさんの方がノクターンさんよりもリーゼちゃんと一緒にいる時間が長いでしょう?」


 またもや予想外の意見が飛んできて、リーゼの目が点になる。

 ケイトの言葉を咀嚼するのに時間がかかった。

 

「そんなことで張り合うものなの?」

「リーゼちゃんだって、ノクターンさんともっと一緒にいたいから軍の経理を目指しているでしょう? きっとノクターンさんも同じ気持ちなんだよ。本当はもっと一緒にいたいんじゃないかな?」

「だからエディに妬いていると言うの?」

「きっとそうだよ。だって、ノクターンさんはリーゼちゃんが大好きなんだもん。見ていたらわかるよ」

「だって……それは私が妹分だからで……」


 急にリーゼの声に勢いがなくなる。

 リーゼは恥ずかしそうに俯き、指先を捏ね合わせた。


「もし本当にノクターンが妬いてくれているのなら……ちょっと、嬉しい。も、もちろん、程々にしてほしいけど!」

「絶対にそうだと思うんだけどなぁ」


 この友人が恋を実らせる日はそう遠くないだろう。

 そう思ったケイトは、隣で顔を赤くする友人を見て微笑んだ。


     ***

 

 ネザーフィールド社での仕事が終わったリーゼは、エディが指定したカフェに入った。


 エディは今日も商談があるため、終わるまでそこで待つよう言われているのだ。

 このところエディは毎日商談続きで、ジーンの話によると新規事業を始めるための準備をしているらしい。

 

(新しい事業か……。エディは次々と新しいことに挑戦していてすごいなぁ)

 

 店員に案内されたリーゼは、席に座ってショコラを頼む。


 ショコラは通常では冬の飲み物だが、店によっては初夏まで提供してくれるところがある。

 そのためリーゼはの見納めとしてショコラを注文したのだ。


(最近は悩み事が多いから、甘いものを飲んで元気になろう!)


 うきうきとしてショコラを待っていると突然、見知った男性が目の前の椅子にどっかりと座った。


「……!」


 不意打ちを食らったリーゼが驚きに言葉を失っていると、店員がショコラを持って来てくれた。

 温かいショコラから立ち昇る湯気の先には仏頂面のノクターンがいて、今日もまた両肘を机の上に突いて尋問を始めそうな体勢になっている。


 二人が待ち合わせしているのだと勘違いした店員がメニューを持って来ると、ノクターンはメニューに目を通さずにイチゴのタルトを注文した。


「な、なんでノクターンがここにいるの?!」

「リーゼこそどうしてここにいる?」

「どこにいても私の自由でしょ? もちろん、夕食の準備はちゃんとするよ?」


 リーゼはノクターンとは目も合わせず、ショコラを堪能する。

 

 このお店のショコラにはクリームが乗っていて豪華だ。

 気に入ったから、冬になったらまた飲みに来ようと密かに計画を立てた。


「誰と待ち合わせているんだ? またあの女誑しだろう?」

「だとしたら、どうするの? 昨日みたいにエディに失礼なことを言ったり無理やり連れて帰るなら、もうノクターンとは口をきかないから!」


 啖呵を切ったリーゼだが、ノクターンがハンカチを取り出して彼女の口についているクリームを拭ったせいで威力が半減してしまった。


 もう一度言っておこうかと悩んでいると、商談終わりのエディが顔を出す。

 

「あらら、お兄さんがいる。こりゃあまた強制帰宅かな?」


 エディはくすりと笑うとリーゼの横に座る。

 ノクターンの目元がひくりと動いたのを見逃さなかった。


「リーゼちゃんが他の男と一緒にいるのが許せないんだね? 嫉妬深いとそのうち嫌われるよ?」

「――っ!」


 ノクターンは肘を突くのを止めて両手を組むと、そこにエディへの不満を全て込めるかのように力を入れて握りしめた。

 

「そのようなつもりはなかったが、とにかく先日の無礼は謝る」


 ぶっきらぼうな声で紡がれる謝罪の言葉に驚いたリーゼは、瞠目してノクターンを見つめる。

 

(ノクターンが謝った?!)


 あれだけエディを非難していたから、彼を信用してもらうのには時間が必要だと思っていた。

 それなのにいとも簡単に態度を軟化させたから驚いたのだ。


 もとより頑固な性格であるノクターンが折れるなんて珍しい。

 明日は大雪になるのかもしれないとさえ思った。


 しかし感動できたのも束の間のこと。

 ノクターンは眉根を寄せると、謝罪した後とは思えないほど鋭い眼差しでエディを睨む。


「だが、リーゼに手を出さないでくれ。リーゼがお前に寄せている信頼を踏みにじるような真似はしないと約束してほしい」

「ふ~ん? 本当に俺のこと全く信用してないね。要するに、だからリーゼちゃんと一緒に出かけるなと言いたいの?」


 エディの言葉に、ノクターンの手はギリギリと音を立てて更に握りしめる力を強める。


「いや……オブライトの息子も一緒なら構わない」

「なるほどねぇ。じゃあ、ちょっと事務所に寄ってそのオブライトさん家のジーンくんを呼んでこよう。それならいいんだよね?」

「ああ」


 席を立つエディに、リーゼはこっそりと耳打ちする。


「ノクターンがまた失礼な態度をとってすみません」

「いいのいいの、気にしないで。リーゼちゃんのことが心配でああ言っているのはわかっているから」


 エディが店を出ると、ノクターンがリーゼの前にイチゴのタルトが乗せられている皿をずいと寄越してくる。


「なに?」

「待っている間に食べたらいい。好きだろ?」


 そう言い、ご丁寧にもフォークを手渡してくれる。

 

 ノクターンはエディがジーンを連れてくるまで居座るつもりらしく、相変わらずどっかりと椅子に座っている。

 

「……うん」


 本当はもっと言いたいことがあるのだが、とはいえ目の前に置かれたイチゴのタルトに罪はないから無視せず食べてしまおう。

 

 リーゼはイチゴのタルトをフォークで切り分けて口に運ぶ。

 甘酸っぱいイチゴの下には甘くてまろやかなカスタードがあり、美味しさに頬が緩む。

 

 しかしその表情をノクターンが目を眇めて見ていることに気づき、慌てて真顔になった。

 

「今日もまた仕事を抜け出したの?」

「いや、まだ仕事中だ。街中で調査をしている」

「カフェに入った時点で抜け出しているようなものじゃない」

「街で起きていることを知るにはカフェに入るのもいいだろう。だからこれも仕事のうちに入る」

「屁理屈ばっかり。この税金泥棒め」


 リーゼがどんなに文句を言っても、ノクターンは軽くあしらうだけ。

 そんなノクターンの様子を見て、いつの間にか以前のような状態に戻っていることに気づいた。


(ノクターンは私がエディといることを反対していたけれど、考え直してくれたんだね)


 ならば自分はどのようにして彼の気持ちに歩み寄るべきなのだろうか。


 甘酸っぱいイチゴと甘い視線を感じつつ、リーゼは頭を悩ませたのだった。

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