第二章

01.片想いの相手に避けられています

「え? ノクターンはもう出勤したの?」

「ああ。朝食もとらずに行こうとしたから、弁当を持たせたよ」


 朝起きると既に、ノクターンの姿がなかった。ブライアンとハンナが起きた時には身支度を終え、家を出ようとしていたところだったらしい。


(今日も会えないなんて……これで何日目なんだろう?)

  

 告白して以来、ずっとこの調子だ。

 リーゼが早く起きても出勤してしまって会えず、夜はどれだけ待っても帰ってこない。


「最近はまた国境付近がごたついているらしいからねぇ。忙しいみたいだよ」


 そう言い、ハンナは手早くリーゼの昼用の弁当を作ってくれる。

 丸いパンに切れ込みを入れ、レタスやトマト、そして炒り卵スクランブルエッグを間に挟んだ。


「また長期出征がありそうだな。王政が崩壊して十年以上経つが、未だに他国の侵略が続くから戦をするしかないのかねぇ」


 ブライアンは床掃除をしながら窓の外を見遣った。昔のことを思い出しているのだろう。

 リーゼに王国時代の記憶はないが、ブライアンとハンナ、そしてノクターンは鮮明に覚えている。


(お父さんもお母さんも不安そう……)


 王国を崩壊させた暴動は甚大な被害をもたらせたのだ。その暴動の犠牲者である二人が憂うのも無理はない。


「リーゼ、大丈夫だよ。なにかあってもノクターンが守ってくれるからね」

「うん……」


 つられて不安そうな顔をしてしまっていたらしい。ブライアンがリーゼの頭を撫でて励ましてくれた。

 

「ええ、そうね。ノクターンは昔から強くて賢い子だから、戦争があってもすぐに終えて帰ってくるよ」

 

 肝心なところで不器用な子だけれど、とハンナは零した。


 ハンナにとってノクターンは息子のような存在だ。利発で頼もしいけれど、時々危うげなところがある。だから彼になにかあればすぐに助けられるよう、いつもひっそりと見守っているのだ。

 

「ねぇ、ノクターンが私のこと、なにか言ってなかった?」

「なにかって……どうしたんだい? 喧嘩でもしたのかい?」

「う、ううん」


 しかし返事とは裏腹に、水色の瞳は物憂げに足元を見つめるばかり。だから二人の間になにかあったのだろうと確信した。


「そうだねぇ……変わりないか、だとか、どんな様子だったか聞いてきたよ。――いつも通りね」

「いつも通り?」

「ええ、毎日ね」

「毎日?!」


 よもやその質問が日常的に交わされているなんて、思いもよらなかった。いつも意地悪ばかり言ってくるノクターンが自分のことを毎日心配してくれているなんて、想像すらできない。


「ああ、いつも通り、リーゼを気にかけているよ。あの子は昔っから、リーゼのことばかり考えているからね」

「……そんなこと、ないよ」


 ならばどうして、顔を合わせてくれないのだろうか。込み上げてくる不満が喉元まで出かかり、つっかえる。


「嘘ではないよ。なんなら、お父さんにも聞いてみるといい。いまでこそノクターンはリーゼと別々の部屋で眠っているけれど、昔はリーゼが隣にいないと眠れないほどリーゼにべったりとくっついていたんだからね」

「でも、昔の話でしょう?」

「いまも変わっていないよ」

「そう……なの?」


 ノクターンは変わった。そしてリーゼの手の届かない所へと、どんどんと進んでいく。

 だから必死で手を伸ばしているのに、そうすればするほど、遠ざかっているように思える。


 しかしその不満をいま伝え、仕事前のハンナを困らせたくはない。

 だからリーゼはただ黙ることで、胸の中の不満に蓋をしてやり過ごすのだった。

 

「さてさて、私たちはもう出勤する頃合いだね。リーゼ、後はよろしくね」

「はーい」

 

 玄関で両親を見送ると、いつものように家事を済ませてから朝食をとる。

 空いている隣の席を見ると、がっくりと肩を落とした。

 

 数日前まではノクターンが座っていた席は、いまでは朝も夜も空いている。

 たった一人分の空白があるだけで、家の中ががらんどうになったような気がしてならない。


 心の中はいつも隙間風に入り込まれ、じわじわとリーゼの心を冷たくしていく。


(家には帰ってきているらしいけど……なんで全然会えないの?)

 

 両親に聞いたところ、彼らはノクターンと顔を合わせているらしい。ただ、リーゼが眠っている間に帰ってきているだけのようだ。


(もしかして……避けられている?)


 告白してきたリーゼと顔を合わせるのが気まずくて、避けているのだろうか。

 

(ううん。仕事が忙しいから会えないだけよ)


 国民を守るために日夜奔走しているのだからしかたがない。ましてノクターンは大佐なのだから、色々と仕事を任されて大変なのだろう。

 

「はぁ……。それでもやっぱり、落ち込んじゃうな」

「にゃあ」


 しゅんと項垂れるリーゼを見かねたのか、ワルツが膝の上にそっと手を置いて慰めてくれた。


「ノクターンに会いたい」

「んな~」

「ワルツ、あのね。告白して声に出してみると、前よりももっとノクターンを好きになってしまったの」


 ずっと心の内にあった想いを伝えてから、その気持ちが以前より鮮明になり、心の中を支配する。

 もう隠すことも見て見ぬふりをすることもできない。だから余計に、胸が苦しくてならないのだ。

  

「どうしたら会えるのかな?」

「にゃー」

「差し入れを持って行く……とか?」

「にゃあ」

「賛成してくれるの?」

 

 賢い黒猫は、リーゼの目をしっかりと見据えて話を聞いてくれる。そして尻尾をぴんと立てると、名案だと称賛するかのごとく、もうひと鳴きした。


「よし決めた! 差し入れに木の実入りのクッキーを作ろう」


 木の実入りのクッキーはノクターンの好物で、おまけに日持ちするから差し入れにちょうどいい。


 放課後に材料を買って今晩作ると、明日には届けられる。それにもし今晩か明日にでもノクターンと会えるのなら、その時に手渡しすればいいだけ。


 ――ただ、彼と話す口実が欲しい。


(木の実入りのクッキーを作って、油紙に包んでおこう)


 楽しい予定を立てると、少しだけ気分が晴れた。

 差し入れを持って行けばきっと、受け取ってくれるだろうから。


「今晩こそ……会えたらいいんだけどな」


 時間が経つにつれて心細さがどんどん募る。

 そんなリーゼの呟きを聞いたワルツは、また「にゃあ」と鳴いて励ましてくれるのだった。

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