06.揺らめく炎

 翌日の仕事終わり、リーゼはまたエディとジーンに会うことになっている。

 今日はノクターンに謝罪した後の様子を報告するために約束しているのだ。


 先に待ち合わせ場所である中央広場に到着したのはリーゼで、花壇の花を眺めて待っているとエディがやって来た。

 

「リーゼちゃん、待たせてごめんね。ジーンは遅れてくるから先にお店に入ろう。ここに書き残しでも置いて行くか」


 商談帰りのエディは、資料がいっぱい詰まった鞄を重そうに抱えている。

 今日もエディとジーンは別行動だったらしい。


「最近は一緒にいませんね。別々の仕事をしているんですか?」

「うん。ジーンには調べてほしいことを任せているからね。俺のお守は休んでもらっているんだ」


 そう言い、茶目っ気たっぷりに片目を瞑った。


「どのお店に行こうかな~。昨日は洒落っ気重視で選んだから、今日は渋くて落ち着いた店でもいいな」

 

 エディは顎に手を当てて悩んでいる。

 

 情報通の彼ならアヴェルステッド中の店を知っているだろう。

 いくつか候補に出している店があるようで、その内のどれにしようか迷っているようだ。


「よし、リーゼちゃんが食べたいケーキに合わせて選ぼう!」

「いいんですか?!」

「もちろん。リーゼちゃんが好きな物を知りたいからね」

 

(この人は本当に……! こういうことをなにも気にせずに言うから女性に勘違いされてしまうんだよ!)


 エディの率直で甘ったるい発言に眩暈がしそうだったが、好きなケーキを選ぶことに集中して中てられないように努めた。


「タルトが好きですけど……昨日ノクターンが食べさせてくれたので、レモンパイが食べたいです!」

「いいねぇ。夏を先取りして売ってそうなお店を知っているから、そこにしようか」

「ありがとうございます!」

 

 美味しい食べ物が待ち遠しくてふにゃりと笑うリーゼを、エディが優しい眼差しで見つめた。

 

 そんな穏やかな時間を裂くように、男性の叫び声が辺りにこだました。


「火事だっ! 警備隊を呼べ!」


 声が聞こえてきたのは、上流階級向けの雑貨店が立ち並ぶ通りだ。

 背伸びして覗くいてみると、見るからに高級店そうな店舗の二階部分から煙が上がっている。


「わーっ、これもまた例の王政復古反対派の仕業かなぁ?」

「そんな気がしますね。ここ最近の火事はほとんど彼らの仕業ですから」


 リーゼは最近読んだ新聞の記事を思い出す。


 ことの発端は、旧王族の生き残りがいるという噂だ。

 

 すると噂を聞きつけた人々が二つの派閥を作った。

 旧王族を根絶やしにしようとする王政復古反対派と、その生き残りの王族を支持しようとする新王政派だ。

 この二つの派閥が衝突しつつ、その生き残りを探している。


 いまのところそれらしい人物は見つかっていないらしい。

 

 写真技術がないこの世界で、当時の王族たちの顔を知る手掛かりは彼らの肖像画や当時の新聞に掲載されていた絵のみ。


 それらからまだ見ぬ生き残りの子どもを探すのは至難の業だろう。

 噂によると、過激な王政復古反対派が王族の肖像画や顔が書かれている新聞を見つけては燃やしているらしい。


「ただ肖像画や新聞の切れ端を処理だけならともかく、火事を起こすなんてさすがにやり過ぎです」

「それを正義と思っている奴らからするとなんともないのさ」


 エディの声音はどこか冷めており、軽蔑が込められている。

 

「厄介なものだよね。人によって正義の定義が違うから、争いや悲劇が繰り返されるんだ。それに巻き込まれるのは、日々を懸命に質実に生きている人たちであることが許せないよ」

「そう……ですね。王政崩壊の暴動でも、多くの罪のない国民たちの命が犠牲になったと聞いています」

 

 その暴動はリーゼが生まれたばかりの頃に起きたため、リーゼには記憶がない。


 しかしその暴動でリーゼは実の両親と離れ離れになり、ブライアンとハンナに拾われた。

 そこに、同じく暴動により家族を失ったノクターンが現れ、彼もまたブライアンとハンナに育てられることになったのだ。


(ノクターンには家名と財産があったから、養子縁組を辞退したのよね)


 リーゼの故郷である町の外れにある森。

 その中にノクターンの亡き家族が保有している古い小屋があった。


 暴動のせいで首都での生活に疲れたブライアンとハンナは、その町に移住することに決めた。

 そして、ヘインズ家とノクターンの『家族生活』が始まったのだ。

 

(私はあの暴動のおかげで出会えた人たちがいるけれど、あの暴動のせいで全てを失った人たちだっている)

 

 あの暴動がなければノクターンに出会えなかったのかもしれないと思うと、複雑な気持ちになる。


 多くの国民が自由を手に入れた暴動ではあるが、どうも素直に正義の行いと受けれられない事件。

 燃え上がった炎が残した燻りが、まだ人々の心の中に渦巻いているように思えた。


 リーゼとエディが火事の様子を見守っていると、ジーンが中央広場にやって来た。


「お待たせしました。先にお店に入ってくださっても良かったですのに」

「実は火事が起きたので、野次馬をしていました」

「ああ――王政復古反対派の仕業でしょうね」

 

 と、話を聞くなり犯人を王政復古反対派と断定したジーンは、火災現場となった建物を見て眉尻を下げる。

 

「火事の被害者はほぼ全員が旧貴族家――つまり上流階級の人間ですから、そこが気掛かりなんですよね」

「旧貴族狩りに発展するということでしょうか?」

「いいえ、私が懸念しているのは上流階級とその他の階級の人間たちの軋轢が深まることです。せっかくお互いの間にある溝を埋め始めているのに、これではまたお互いを憎み合い、反発し合うでしょう」

「国民議会議長の悩みが増えてしまいますね」

「ええ、ですから父を労わらなければなりませんね」


 国民議会には各階級から人が寄せ集められているため、意見が割れると仕事の妨げになるだろう。


「おとぎ話は、もう終わったのに……」


 リーゼは煮え切らない思いで、建物の窓から見える炎を眺める。

 

 人々が未だに旧王族を意識するのは、過去に対する憧憬の念を捨てきれずにいるからなのかもしれないと思う。

 この不安定で混沌とした世界を生きる不安から逃れたいと切に願っているから。


「そうだね。おとぎ話のような過去を懐かしむばかりでは前に進めないよ。いまは階級の垣根を越えてみんなが成功できる可能性を与えられているのに、活かせないと勿体ないね」

 

 そう言い、エディは空いている方の手でリーゼの目を覆った。


「さぁ、物騒な現場を見るのはもう止めよ? リーゼちゃんの頑張りを聞かせてほしいなぁ」

「が、頑張りですか?」


 慌ててエディの手を引き剥がしたリーゼは、火災現場の近くに見覚えのある男性が立っているのが見えた。


(チェスをしてくれたおじいさん?)


 おじいさんは間違いなく、先日あった人だと確信できる。服装も姿勢も、あの時と変わらないのだ。


(あのおじいさんの正体はまだわからないけど、巻き込まれていないといいな……)


 それっきり、リーゼは火災現場を見るのは止めて、エディたちについて行った。


 向かったお店は蔦を這わせた壁や店先を飾る花壇が素敵で、どこか洗練した印象がある。

 店内はテーブルごとにお洒落なキャンドルが飾られており、寛げそうな雰囲気だ。

 

 リーゼはひと目見てこのお店が好きになった。


「ここはケーキも軽食も美味しいぞ」

「もちろん、紅茶やコーヒーも素晴らしいですよ」


 ジーンはにっこりと微笑み、「リーゼさんが成人したら最初のお酒をここで飲みましょう」と提案してくれた。

 

「そう言えば、今日もスタイナー大佐はお迎えに来てくれるの?」


 エディがずいと食い気味で質問してくる。

 

「いいえ、夜勤があるので来れないと思います」

「えー、残念。お茶くらいはしてくれると期待していたのになぁ」


 言葉の通りたいそう期待していたようで、エディが目に見えてしゅんとしおらしくなった。

 

「お前、随分とスタイナー大佐を気に入っているな」

「だってあの人、面白いんだもん」


(あれだけ失礼な態度をとられていたのに?)


 リーゼの疑問が顔に出ていたのか、エディはニヤリと笑い、

 

「夢を叶えるために無我夢中で駆け回っている奴は好きだからね」


 と、好きな理由を教えてくれた。

 

「つまり、私とエディは恋の好敵手になるということですか……?」

「んもーっ! それはない! 断じて!」


 エディは綺麗な金髪が乱れるのもお構いなしで思い切り頭を横に振った。


「スタイナー大佐がリーゼちゃんを愛する気持ちは異常なくらいだからね。だから俺は絶対に太刀打ちできないよ」

「妹としてですけどね」

「いいや、あれは恋する男の顔だよ。昨日のスタイナー大佐の顔、リーゼちゃんに見せてあげたかったなぁ」


 思わせぶりなことを話し続けるエディのせいで、リーゼの胸がざわざわとうるさくなる。

 

「本当にそう……だといいな」


 リーゼはキャンドルの炎を見つめ、ぽつりと呟いた。

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