03.軍医の素敵なお姉さん

 翌日の放課後、リーゼは飛ぶように学校を出た。向かった先は、ストレーシス国軍本部。

 昨夜も今朝も渡しそびれてしまった差し入れを渡すため、立ち寄ることにしたのだ。

 

「わぁ、今日もたくさんいるなぁ……」


 門の前に広がる群衆を見て茫然と立ち尽くした。ノクターンをひと目見ようと集まっている女の子たちがいるのだ。

 彼女たちにはリーゼとノクターンの関係を知られているから、あの中に入っていくのは気まずくてならない。ノクターンに紹介してくれと頼まれたり、嫌味を言われたことがあるため、関わりたくないのだ。


(あの子たちが帰るまで待とうかな)


 こっそりと物陰に隠れて様子を窺っていると、見知った人物に声をかけられた。


「おや、お嬢さん。こんなところでなにをしているのかな?」

 

 先日一緒にチェスをした、元騎士の老人だ。彼の隣には白衣を着た女性が佇んでいる。


「先日は世話になったね。今日はどうしたんだい?」

「軍で働いている知り合いに差し入れをしようと思ったんですけど……門の前が込み合っているので、人がいなくなるまでここで待っているんです」

「ああ、本当だ。あの状態だと一人で行くのは心細いだろうに。ミラー医務官、この子を案内してくれるかね?」


 すると、老人の隣にいるミラー医務官がにこりと微笑む。

 

 医務官ということは、軍の関係者なのだろう。怜悧な印象の美人に微笑まれ、少しだけ緊張してしまった。


「かしこまりました。私がお連れしましょう」

「ああ、頼むよ」

「え? ええっ? いいんですか?」


 よもや門の中に通してもらえるとは思っていなかった。ノクターンを呼んでもらうか、届けてもらえばいいと考えていたのだ。

 しかし、老人は動揺するリーゼに紳士らしい挨拶をすると、踵を返して去ってしまった。


「あのおじいさんは何者なのでしょうか?」

「ただの優しいおじいさんよ。たまに息抜きで遊びに行くと、チェスの相手をしてくれるのよ」


 ミラー医務官によると、昔住んでいた家のご近所さんだったらしい。

 もう一度あの老人の姿を見ようと振り返ったが、どれだけ見回してみても姿がなかった。


「そういえば、挨拶がまだだったわね。私はシャノン・ミラー、ここで軍医をしているの」

「初めまして、リーゼ・ヘインズです。スタイナー大佐に差し入れを持ってきました」

「まぁっ! あなたがリーゼちゃんなのね!」


 ミラー医務官はパッと顔を輝かせ、バスケットを持つリーゼの手を両手で握りしめる。


「会えて嬉しいわ。あなたの話を聞いてからずっと会ってみたかったの!」

「わ、私の話を……ですか?」

「ええ。スタイナー大佐からたくさん聞いたわ」

(待って、ノクターンが軍で私の話をしているの?!)


 どのような話をしたのか気になる。しかし昔の恥ずかしい話を広められていたらと思うと気が気でないため、敢えて聞かないことにした。


「さあ、中に入って。一緒にお茶しましょう」

「あ、あの……お忙しいのに私のような者に時間を割いていただくのは悪いかと……」

「気にしないで。軍のむさくるしい男どもとばかり顔を合わせて疲れているから、久しぶりに女の子と一緒に話したくてしかたがないのよ」


 期待を込めたキラキラとした瞳でそのように言われると断りづらい。思わずこくこくと首を縦に振ってしまう。


「やったー! 女の子と話せるー!」

 

 そして非常に乗り気なミラー医務官に手を引かれ、あれよあれよという間にストレーシス国軍本部の門をくぐったのだった。

 

     ***

 

 ストレーシス国軍本部の医務室に入ると、消毒液特有の匂いがツンと鼻をつく。

 

「医務室にようこそ。そこの椅子に座ってちょうだい」

「お邪魔します」

 

 部屋の中は白色で統一されており、備品も薬品も全て整然と並べられている。

 ミラー医務官の几帳面さが部屋に表れているようだ。

 

「紅茶でもいいかしら?」

「あっ、はい。ありがとうございます」

「よかった。ここでは一緒に紅茶を飲んでくれる人がいないから嬉しいわ。軍人は強がって珈琲ばかり飲むもの」


 備えつけの簡易台所で淹れてもらった紅茶を両手で包む。掌に熱が伝わり、ほうっと息を吐いた。

 普段ノクターンが買ってきてくれる銘柄とは違い、花の甘い香りがする紅茶だ。口に入れるとさらに香り高く、体の中に染み渡る。


「ふふ、女の子がいると華があっていいわぁ」

「そんな……私は華やかさなんて少しもないのですが……」

「謙遜しちゃダメよ。リーゼちゃんはとっても可愛いもの! ……いや、可愛い美人と言うべきかしら?」

「き、恐縮です……」


 軍のむさくるしい男たちによほど辟易しているのか、ミラー医務官は嬉々としてリーゼの差し向かいの椅子に座った。

 先ほどから畳みかけるように褒め言葉を連ねに連ね、文字通り褒め殺してくる。おかげでリーゼは恐縮してばかりだ。

 

「ところで、今日はどうしてスタイナー大佐に差し入れを持ってきたの?」

「最近忙しいようなので、休憩に甘いものを食べて疲れをとってもらおうと思ったんです」

「なんて優しい子なの! リーゼちゃんは本当に天使だわ。スタイナー大佐が大切にしたくなるのもよくわかる」

「大切……ですか」

「ええ。先日なんて、リーゼちゃんとお出かけすると自慢されたわ」


 同僚に自慢していたなんて意外だ。驚くものの、ノクターンもお出かけを楽しみにしてくれていたことに安堵した。


(あの日以来、避けられているけれど……)


 変わってしまったのは、あの日からだ。その因果を思うと渋面になる。

 それに昨夜の素っ気ないやり取りを思い出しては、寂しさに胸が締めつけられて泣きたくなった。

 

(どうしたらいいんだろう?)

 

 一人で百面相を始めてしまったリーゼに、ミラー医務官は気遣わしく話しかけた。


「リーゼちゃん、浮かない顔をしているけど……なにかあった?」

「えっと……少し……悩み事がありまして……」

「差し支えなかったら、少し聞かせてくれない? 無理にとは言わないわ。相手が私でもよかったら相談して?」


 リーゼは俯き、紅茶の水面に映る自分を見つめた。ひどく惨めな表情を浮かべている。


 初対面の人にこのような相談をしても、いいのだろうか。

 逡巡したものの、この数日の間に消耗していたリーゼは、これまでの出来事を打ち明けることにした。

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