08.だから逢引ではありませんってば

「あ、逢引じゃないんだけど?!」


 リーゼはエディを庇うように彼の前に立ち、ノクターンに向き合う。


 いまのノクターンは静かな怒りを瞳に宿し、害獣を屠る猟犬のごとくエディを警戒している。

 だから自分が間に入らないといけないと、本能で理解した。


「今日は私の気分転換のために誘ってくれたの。あと、市場調査もかねて!」

「二人きりで?」


 聞き返すノクターンの、地を這うような低い声にびくりと肩を揺らした。

 

 これまでに一度も聞いたことがない声。

 まるでリーゼを責めるような声だ。

 

 いままでリーゼがどんなに我儘を言っても、ノクターンに悪戯をしても、こんな声で叱られたことはなかった。


 ざわざわとする心を鎮めつつ、ノクターンを睨みつける。

 リーゼの眦がキッっと持ち上がると、ノクターンが少しだけ動揺を見せた。その一瞬を突いて、ノクターンににじり寄る。

 

「三人! いまは肉串を買いに行ってくれているからいないだけ!」

「誤魔化しているんじゃないだろうな?」

「本当だよ。だから逢引ではないってば!」


 怒って声を張り上げるリーゼを宥めるように、エディがリーゼの肩をポンポンと軽く叩いた。

 

「ははは。俺と二人で逢引していると思ってリーゼちゃんを助けに来たんだね? リーゼちゃん、本当に大切にされているなぁ」


 そう言い、リーゼとノクターンの間に割って入ると、胸に手を当ててノクターンに挨拶をした。

 流れるような所作は作法のお手本のようで、エディが旧貴族家の家庭出身あることを実感する。

 

「俺はネザーフィールド社を経営しているエディ・ランチェスター。初めましてだね」

「ランチェスター……、旧アーチボルト伯爵家の者か」

「そう。いまは上流階級の家門として有名だけど、生憎俺は次男だから実家の恩恵にはあやかれないんだ。おかげで自由にやらせてもらえるからいいんだけどね」


 エディは茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべつつ、肩を竦めてみせた。


 その様子に毒気を抜かれたのか、ノクターンから剣呑な空気が取り払われる。

 そして吐き捨てるように名乗った。

 

「ノクターン・スタイナーだ」

「話はかねがね聞いているよ。リーゼちゃんの?」

「……っ」


 落ち着いたと思っていた空気が、またもや緊張感を孕む。

 ノクターンとエディの間で、火花が散った。


(ど、どうしよう?)


 どうやらこの二人は相性が悪いらしい。

 ほとほと困り果てていると、両手に肉串を持ったジーンが戻ってきた。


「みなさん、お待たせしました。――おや、そちらの方は?」

「あ! ジーンさん!」


 リーゼはジーンに駆け寄る。

 肉串で両手が塞がっており、格好がつかないし勇敢さも神聖さもない救世主だが、リーゼは彼の登場に涙を流したくなるほど感激した。


「ジーンさん、この人がノクターンです」

「おや、噂のノクターンさんでしたか」


 ジーンは人の好い笑みを浮かべる。

 肉串を手に持ったまま腰を折り、丁寧に礼をした。


 そんな彼に意表を突かれたのか、ノクターンの視線がエディから離れた。

 

「お初目にお目にかかります。私はジーン・オブライトです」

「オブライト……国民議会議長の息子か」

「ええ、その息子はネザーフィールド社で社長秘書をしております」


 ジーンはノクターンの鋭い視線をものともせず、穏やかな表情と口調を崩さない。

 おかげで周囲の空気が穏やかさを取り戻した。


(すごい! 一瞬にして険悪な空気を鎮めた!)

 

 リーゼは改めてジーンの話術に感心するのだった。

 心の中でぱちぱちと拍手を贈る。

 

「ノクターンさん、もしよければ我々と一緒に昼食をとりませんか? あそこの肉串は美味しいと評判らしいですよ」

「いや、他用があるから遠慮する」

「そうですか。残念ですが他用があるのならしかたがありませんね。今度是非お食事に招待させてください」

「……!」

 

 ジーンはどんどんと会話の主導権を自分のものにしていく。

 すっかりと彼の勢いに押されたノクターンは、もはや無力化された状態に等しい。

 

(もしかすると、ジーンさんってこの世で一番強い人なのかも?!)


 リーゼのジーンに対する評価がうなぎ登りで上がっていく。

 

「ご安心ください。この阿呆がリーゼさんに危害を加えないよう、私がしっかりと見張っていますから」


 心得たように申し出るジーンに、ノクターンは素っ気なく一瞥するだけ。

 返事をするのかと思いきや、ふいと顔を背けてしまった。

 

「リーゼ、なにかされたらすぐに大声を出して助けを呼べ」

「ノクターン! 二人に対して失礼だよ!」


 さすがに言い過ぎだし失礼だ。

 憤ったリーゼが睨みつけるけれど、ノクターンはついと目を逸らすだけで二人に謝罪の言葉をかけようとしない。


「早く帰って来いよ。日が暮れる前にな」

「わかってるよ。夕食の準備があるし――それに、子どもじゃないんだから」


 リーゼが言い返すと、ノクターンはなにも言わずに踵を返して去った。


 ノクターンの姿が見えなくなると、ジーンが小さく息をついた。

 

「……ふぅ。気迫が違いますね。久しぶりに手に汗を握りました」


 先ほどまでは少しも見せなかったのだが、いまはいささか疲労感を滲ませている。


 どうやら緊張を隠してノクターンの相手をしていたらしい。

 

「ノクターンが失礼なことを言ってごめんなさい」

「謝らなくていいですよ。リーゼさんを想っての言葉なんですから。それに、あの阿呆を見たらどんな親兄弟も心配して同じことを言います」


 そう言い、エディを指差したのだった。


 昼食を終えたリーゼたちは、道端で大道芸を鑑賞したり、見晴らしのいい場所から街の景色を一望して楽しい時間を過ごした。


 しかしその夜、家に帰ったリーゼはノクターンと顔を合わせると昼間の怒りが蘇り、彼と目を合わさないようにした。

 ノクターンはなにか言いたげにリーゼを見つめるのだが、リーゼは仕返しと言わんばかりに無視する。


 家の中が殺伐とした空気になる。

 ブライアンとハンナは顔を見合わせてリーゼとノクターンを心配するのだが、二人で解決するのに任せることにしたのだった。

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