第11話 我、拠点ヲ確保セリ
少女を保護してから幾日かが過ぎた。
上陸地点周辺への数度の探索により、小野瀬らが上陸した入江付近に危険性は少なく、また入江自体も伊163の仮泊地として問題なく機能する事が判明し、ここ数日は、入江の泊地としての簡易的な整備及び、入江に投錨した状態での可能な限りの船体の補修や近くに湧いていた清水を取るなどと細々ながら生鮮品の補給など、小野瀬以下将兵一同は忙しくも穏やかな時間を過ごしていた。
艦内の空気は相変わらず重苦しい。伊163潜はこの未知の世界に取り残され、兵たちは不安と緊張の中で日々を過ごしている。
そんな中、赤毛の少女の存在が少しずつ彼らの心を和らげ始めていた。
艦長室で療養していた少女は山田軍医の治療と看護のおかげで次第に回復の兆しを見せ、率先して艦内の雑務を手伝おうとすらしてみせたのだ。
勿論、骨折や大きな火傷のダメージがそう直ぐに治るはずもなく、また周りの兵も本質的に朴訥で優しい気性のものが多く、幼気な少女を邪険にする者など一人もいるはずなく、むしろ皆率先して彼女と関わりを持とうとするようにすらなってきていた。
そして不思議なことに日本語の通じる彼女もまた、彼らと打ち解けるには然程の時間は要さなかったのだった。
少なくとも彼女のお陰で艦内の雰囲気は良い方向に変わりつつあり、それは艦長として小野瀬が望むところであった。
今もまた、浜辺で作業中の兵の間を、少女が昼食の配給を手伝いながら歩き回っている。
兵達はそんな少女の様子を見ては頬を緩ませ、あるいは微笑ましく見守っていた。
そんな様子を伊163の艦橋から見やっていた小野瀬の耳にふと、聞き慣れた声が入ってくる。
「不思議なものですね。
我々とは全く異なった容姿だというのに、言葉も通じ、仕草も人間と何ら変わりない」
声のした方へと視線を向ければそこには主計長の山崎誠二主計少尉が佇んでいた。彼もまたこの艦の誇る優秀な士官のひとりである。
「そうだな……」
なんともなしに煙草に火を付けながら答える小野瀬に対し、山崎は更に言葉を重ねる。
「ところで……艦長はどう思われますか、あの娘の話した内容を」
「うむ……まぁ信じるしかあるまいよ、我々には他に情報源も無いのだから……」
煙を吐き出しながらぼんやりとそう答える小野瀬。
実は、彼女が回復して直ぐに小野瀬は山田軍医中尉の同伴のもと少女から詳しい話を聞いたのであった。
彼女の名はリューリャと言い、自身の出自を「リオラの森の住人」と称した。森の住人は彼女のように角を持ち、魔力を使うことができるという。
魔力というものが何なのか小野瀬には理解できなかったが、リューリャが試しに、数節に渡る小野瀬には耳慣れぬ発音の呪文を唱え、何もない空間から水を出したときには度肝を抜かれた。
だがそれは、理解はできないまでも、何故かそういう物だと納得出来る程度には現実味を帯びた現象であったのだ。
そして、リューリャの語る言葉もそうであった。彼女曰く「リオラの森の住人」は古くから人間との交流が少なからずあったらしく、言葉が通じたのもそのおかげだという。また、人間の話す言葉は昔から彼女達にとって興味深いものであったらしい。
もっとも何故、それが日本語なのかは彼女にもわからないそうだが。
彼女の村が襲われた原因についても聞いた。リューリャによると、村を襲ったのは彼女達が「ドラッゲア」と呼んでいた大型の魔獣(魔力を帯びた獣らしい)の中でも、特に強力なものであったようだ。
小野瀬は、ひょっとするとそれは洋上で闘ったあの飛行生物の事ではないかと当たりを付けたが、特にその点については言わなかった。
無用な混乱を招くし、何よりも彼女の親兄弟の敵でもあるのだ。気軽に触れて良い存在ではないと考えたのだ。
もっとも、リューリャは過酷な環境で暮らす民族の為か、弱肉強食に基づく厳しい思想が身に染み付いており、そんな小野瀬の配慮は無用なものであったようなのだが。
その為、小野瀬や山田からすると少し投げやりに思えるほどサバサバとした体でリオラの森や近隣の地勢について語るリューリャだったが、それも艦内で過ごす内に徐々に年相応のものに戻っていった所を見るに、きっと虚勢を張っていただけだったのだろう。
「それにしても魔力とは、全く理解できない概念ですね……」
山崎が苦笑しながら呟く。
「そうだな、だがリューリャの語る事は理屈ではなく経験に基づいたものだ。信用する価値はある」
小野瀬は煙草を吸い終えると、目の前の海を眺めた。いつまでもこの未知の世界に漂っているわけにはいかない。
好む好まざるに関わらず、為すべきことを為さねばならないのだ。
「さて、山崎中尉」と、小野瀬は眼前の海に視線を向けたまま隣の主計長に語りかける。
「我々は今、何をするべきと思うかね?」
「それは勿論、我々の世界に帰るためでしょう?」
山崎が何を当たり前の事を?といった風に答える。
だが、そんな山崎に対し、艦長は静かに首を横に振った。
「……いや違うな」
「え……?」
思わず聞き返す山崎に、彼は静かに言った。
「生き残ることだよ。この未知の世界で、我々は生き残らねばならん。
そしてそれは、この伊163潜一隻では不可能だろう。
……重油の一滴とて手に入らなければ直ぐに使い果たしてしまう。
そうすればコイツとてただの鉄の塊だよ」
その言葉には、山崎がこれまで聞いたことのない艦長の苦悩と不安が入り混じっていた。
「だがな……それでも私はやらねばならんのだ。
それが私の責務だ」
そう言って海を眺める小野瀬の横顔。それを、山崎はただ黙って見つめていた。
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