第10話 戦ノ大義

 伊163の艦内には重苦しい空気が漂っていた。上陸した者達から他の兵におかの様子が伝わったお陰で、いよいよもってただならぬ事態であると兵達も認識し始めたからである。


 また、本来ならかん口令でも布きたいところだが、小野瀬は敢えてある程度の情報を将校を通じて乗組員たちにも伝達することにしたのも大きい。


 命を預ける仲間に対しての信頼はときに血の繋がりすら越える。


 困難な事態だからこそ一人ひとりが知恵を絞ろり仲間の為に奉仕しよう。

 と、いうのはいわば建前であり、言ってしまえば、だからこそそれが裏返り、不審に変わったときの事を小野瀬は恐れたのだ。


 彼自身が抱える不安や疑念も拭えず、また、それを兵達に悟られる訳にはいかない。


 故に、小野瀬は敢えて兵達に情報を与える事によって、その疑念を払拭しようとしたといえる。




(やれやれ、まだ敵駆逐艦と鬼ごっこでもしていた方がマシだったかもしれんな)


 小野瀬は胸中で嘆息する。


 兵士の士気の低下がそのまま作戦行動に支障をきたす事態となれば、それは上官である彼の責任なのだ。


 そしてそれは同時に艦全体の指揮系統にも影響を及ぼすことになるのだから。


 彼の胆力の持ちようには、伊163、60余名の命がかかっていた。



「艦長」


 と、その時不意に背後から声を掛けられる。

 振り返るとそこには槙島中尉が神妙な面持ちで佇んでいた。


「どうした? そんな顔をして」


 小野瀬は努めて平静を装いそう問い掛ける。




「今後の方針はどう致しますか?」


「まずは彼女が回復するまで待とう。情報が得られるまで無闇に動くわけにはいかない。しかし、警戒は怠らずに続けるんだ」


 それが艦長としての彼の判断であった。


「しかし、それでは……」と槙島が何か言いたげに口籠もる。


 だが、小野瀬はそんな部下の言わんとする事を察して先回りして答えた。


「……わかっているよ。彼女の処遇だろう? ……確かに彼女は人間ではないかもしれない。だが、少なくとも敵ではない。保護こそすれ、拘束するわけにもいかん」


 そう断言する艦長に、槙島は尚も納得できない様子で反論する。


「しかし、あの角や耳は明らかに我々とは違うものです! 極端な話ですが、彼女が人間に対する敵性種族でない保証がどこにあるのですか!? ……我々に危害を加えないとは限りません」


 槙島の言葉に小野瀬は小さく嘆息すると、諭すように答えた。


「彼女は我々の言葉を理解している。現に会話も成立した。 それはつまり相互理解が可能だという事ではないかね?

 それとも君は姿が違うという理由だけで彼女を迫害するのか? それでは白人種の支配から有色人種を解放するのだ。……という我々の行っていた戦争の大義名分が崩れてしまうよ」


 小野瀬の反論に槙島は「しかし……」と尚も言い募る。


 だが、それでもなお納得できない様子の槙島に対し、小野瀬は不意に口調を和らげて優しく語りかけた。


「……なぁ槙島君。君はこの艦に乗ってからまだ日が浅い。だから不安になる気持ちも分かる。……だがね、私は君を信頼してるんだよ。君が優秀な士官である事は私が保証する。だからこれからもどうか力を貸して欲しい。……これは艦長としてではなく、一人の男としての頼みだ」


 その言葉に槙島は少し照れたように顔を赤らめながら小さく「はッ……」と呟き敬礼する。


 そこにあるのは若者から先達に向けられる尊敬と信頼の眼差し。



 小野瀬にはそれが酷く恐ろしく感じられるのだった。

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