第9話 如何ニシテ人タルカ
潜水艦というのは、狭い艦内に極限まで航行・戦闘に必要な設備や武装を詰め込んでいる関係で居住環境は酷く劣悪である。
一般兵はほぼ雑魚寝状態、身動きの取れないような三段ベッドとて、とても全員分はなく。中には魚雷の上で寝る者もいる有り様。
たった数名の士官すら二段ベッドの詰め込まれた小部屋を共同で利用しているのだ。
それは外洋での行動を前提に造られた大型潜水艦の伊163でも変わらず、唯一個人の個室を持っているのは艦長である小野瀬中佐のみであった。
今、その艦長室の簡素なベッドの上に有り合わせなのが丸見えのブカブカの水兵服を着せられた一人の少女が寝かされていた。
小野瀬が直率した陸戦隊に保護された赤い髪の少女である。
彼女を保護した後密林内の集落跡を出発した一行は、強行軍の末に何とか日没前には無事伊163に帰還できた。
だが、酷く衰弱している少女は意識を取り戻す事もなく、そのまま艦長室で治療を受けていた。
艦長室室内にいるのは少女の他には艦長の小野瀬に副長兼航海長の槙島中尉。
そして、山田陸軍軍医中尉のみ。
山田は自前の診察器具の他、艦備え付けの備品を用いて懸命に少女の診察と治療にあたっていた。
「それで、山田中尉。この子の具合はどうだ。……助かるかね?」
小野瀬の問い掛けに、山田軍医は困ったように眉間に皺を寄せ、難しげに答える。
「外傷は、まぁ大丈夫でしょう。
腕の骨折は命には問題ありませんし、……火傷も井戸水に浸かっていたからなのかそこまで炎症は酷くない。
主計長殿が用意してくれた抗生剤も処方したので合併症も何とかなるでしょう。
――もっとも、痕は一生残るでしょうな。若い娘さんにはむごい事です……」
痛ましそうにそう呟く山田軍医は、やはり生粋の善性を持った男なのだろうと槙島は思う。
こちとら戦争が始まってからは、そんなまともな感性はとうの昔に擦り切れたというのに。
と、そんな益体もない事を考えていると、山田軍医は「ただ」と言葉を続ける。
「問題は寒冷な環境で長時間水に浸かっていた事による低体温症です。
できる限りの処置はしましたが……正直、ここまで体力が落ちてしまっているとなると、後は本人の気力次第かと。
……医者として不甲斐ない限りですが」
「そうか……。
ともかく、できる限りの事はしてやってくれ。彼女は貴重な情報源になり得るしな」
「ええ、それはもちろん。
……ところで、……その、このツノは一体……」
山田軍医の言う彼女とは少女の頭部に生えた2本の角のことである。
今までは敢えて触れなかったが、治療を行ったのが彼ならば当然気になる事だ。
だが、そう言われても小野瀬も困る。彼女とはまともに口も聞いていないのだ。
むしろ医者として学識のある山田の方が分かる事はあるだろうと、小野瀬は山田に素直に一つ尋ねて見ることにした。
「……そうだな、私にもさっぱりわからんのだ。
山田中尉。医者として人体の構造に通じているだろう君にはどう思うかね」
「ふむ……」
山田軍医は、少女を起こさぬよう静かにベッド脇に移動すると、改めてその角を様々な角度から眺める。
そして不意に視線を上げると、「どうでしょうか」と呟き小野瀬に視線を向けた。
「正直に申し上げれば……私はこの様な人体の頭部にある角状器官は見たこともありませんし聞いた事もありません。
その上で、この角以外はこの少女の外的特徴は我々と同じ人間。ホモサピエンスとなんら変わりありません。
よって、何かしら私の預かり知らぬ奇病、或いは外的要因により生じた症状である可能性も無きにしもあらずとは思います、が……」
その続きを言い淀む山田軍医に対し、小野瀬は無言で先を促す。
「しかしながら……私個人の率直な感想として申しあげるのであれば、これには生物学上合理的な機能性が感じられます。
……つまり、目や口のように、この角は彼女にとって意味がある人体の一部……であのかもしれません。
あくまで私の直感ですが」
訥々とそう語る山田軍医の姿はその道を修めようと人生を賭けた者特有の迫力がある。
「……いや、興味深い意見だ。ありがとう」
小野瀬はそんな山田軍医に礼を述べると、少女の方へと視線を戻し、ジッとその寝顔を見据える。
つまりは、この少女は人間ではないと、山田軍医は暗にそう言っているのだろう。
(だが、どうにも……)
「……娘を思い出す、な」
暫く少女の顔を眺めていた小野瀬は不意にポツリと呟くと、そのまま静かに瞼を閉じる。
その呟きは誰にも聞き止められる事はなく、ただシンと、部屋の片隅に吸い込まれていった。
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