第8話 死者多数、生存者一名
小野瀬達が上陸した砂浜から内陸に向かって進む事およそ1時間。
樹木に覆われ丘の上からは確認出来なかったが、それなりに起伏のある密林を周囲に警戒しながら進むのはたかが1キロ程度といっても中々に骨の折れる行程となった。
だが幸いにも、森林内では昆虫や小動物の類いこそ度々見られたが、あの謎の飛行生物の様な化け物染みた生物とは遭遇することもなく行軍する事が出来た。
その種類は草木の植生と合わせて元の世界と比べてもそれ程大きな差異はない様に小野瀬には見えた。
強いて言えば、寒冷地帯に生息する動植物がこの地に多く見られるといった感じだろうか。
だがそれでも、マタギの村出身の砲雷科、内野孝吉上等兵に言わせると「何かがおかしい」らしい。
例えば、樹木1本取っても大きい。
樹齢数百年は下らないであろう、胴回りが10メートルはある大木が乱立している光景は異様である。
また、動物にしてもそうだ。
総じて臆病なのか、こちらの気配を感じ取ったのか、姿を現わすことこそなかったが、それでも内野に言わせると、糞や足跡等の痕跡を見るに、ここらの生物はどれもこれもが巨大すぎると言うのだ。
「艦長。……この森、やはり妙です」
「ああ、分かっているさ」
小休止の最中、森に入ってからというもの、ずっと黙り込んで歩いていた藤田二等兵曹がひそりと小野瀬の側に歩み寄り声を掛けて来る。
「どうしますか? 引き返しますか?」
藤田の問い掛けに、小野瀬は少し考え込む素振りを見せるが、直ぐに横に首を振り答える。
「いや、進もう。
小野瀬は生い茂る枝葉の間隙に覗く空を見上げながら、独りごちる様に言う。
小野瀬の脳裏には先程の不吉な光景が焼き付いていた。
あの空舞うハゲタカの下には、この世界についての核心的な何かがあると小野瀬の勘が告げていたのだ。
「……了解」
藤田は短くそう答えると、再び黙って隊員の方に戻って行く。
「――鬼が出るか蛇が出るか、見てみてのお楽しみだな」
その背を見送りつつ、小野瀬は小声で呟く。
……さざ波立つ己の胸中に蓋をするように。
****
――その光景は唐突に現れた。
「……っ、これは……」
その光景に小野瀬は思わず呟いてしまう。
ちょっとした崖を下ったそこにあったのは、小さな泉であった。
美しいエメラルドグリーンの水面は鏡のように凪いでいて、その周囲には色とりどりの花が咲き誇っている。
その湖畔の光景は、まるで楽園の如き美しさであったろう。
――
「艦長……」
「ああ……」
傍らで声を震わせている藤田の言葉を遮ると、小野瀬は静かに軍刀を抜き放ち、藤田もそれに倣い小銃を構える。
「総員警戒態勢。
各個に散開して、状況の確認と……生存者の捜索に当たれ。
――危険を察知したら即座に発砲を許可する」
「「「「「了解!!」」」」」
小野瀬の命令と同時に、隊員達は一斉に散らばり、各々の武器を手に辺りを警戒する。
その顔は緊張と恐怖で青ざめているが、しかし同時にある種の覚悟を決めた表情をしていた。
――そこにあったもの。それは、無残に破壊され、焼け落ちた村落の姿。
――辺りからは酷く鼻につく焦げ臭ささが漂っていた。
****
「酷いな……」
「ええ、本当に」
小野瀬と藤田は言葉少なに、村落だったものの残骸を見て回る。
そこは地獄絵図という言葉すらも生温い惨状が広がっていた。
村落を囲っていたであろう木の柵は悉く引き倒され、十数戸はある家屋は全て燃え尽き炭と化し、地面には黒く染み付いた血痕に、そこらに転がるかつて人であったろうナニか。
この惨状に陥ってからかなりの時が経っているのだろう。辺りには酷い腐臭が漂い、崩れ落ちた家屋の残骸の隙間から見え隠れしている黒焦げになった人間の手足には白いウジがビッシリとたかっている。
この集落を何らかの災厄が襲ったのだろう事は容易に想像がついた。
それは果たして何者の仕業なのか……。
人ならばまだ理解出来る。
だが、もしそれが己の知見の及ぶ所ではなかったら……。
「……艦長!
生き残りがいました!」
小野瀬が物思いにふけっていたその時、不意に兵の声が響いた。
その声にハッとして、小野瀬は視線を巡らすと、村落の中心であったろう小さな広場にポツンと残る井戸、その周りに周囲から兵が集まり中を覗き込んでいた。
「生存者か!」
小野瀬が叫ぶと、兵達は振り返り、皆一様に顔を強張らせながらも、小さく首を縦に振る。
そんな兵士達を押し退ける様に小野瀬が井戸に近付いて底を覗き込むと、暗くて良く見えないが、深さ5メートル程の所で僅かに身じろぎをしながらこちらを見上げる人影が確認出来た。
「大丈夫か!? 今助ける! ……おい、ロープを下ろせ!! 急いで救助するんだ!!」
小野瀬が大声で怒鳴りつけるように命令すると、兵達が慌てて行動に移る。
「よし、良いぞ。ゆっくり引き上げるんだ。
慎重にな」
仮にも訓練を受けた兵士達。
彼等が素早く作業に取り掛かると、程なくして腰にロープを巻かれた兵に抱えられて生存者が井戸から引き上げられる。
――それは一人の少女であった。
歳の頃は10代前半だろうか。
所々焼け焦げてしまったた毛皮の貫頭衣を纏っている。
煤と泥に汚れてはいるが、それでも尚美しい艶やかな長い赤髪と透ける様な白い肌は、整った顔立ちと合わせ見るもの全てを魅了するだろうと小野瀬は感じた。
しかしその全身は傷だらけであり、特に左腕は酷い有様で、骨折したと思わしきそこは、だらんと垂れ下がったままピクリとも動かない。
そして何より目を引くのが、両側頭部に生えた2本の
まるで山羊のような捻れた形状のその角は、明らかに彼女の身体的特徴の1つであった。
(……鬼……か?)
そのあまりにも現実離れした風体に、小野瀬は一瞬思考を停止させてしまう。
だが、すぐに我に帰ると、
「どうだ? 意識はあるか?」
と、問い掛ける。
「はい……ただ長らく井戸水に浸かって居たためかかなり衰弱しています。
左腕の火傷も早く手当てをした方が良いかと思われます」
そう少女を引き上げた兵から報告を受ける間にも、他の兵士が雑嚢から取り出した毛布の上に少女を寝かせたり、水を飲ませたりと甲斐甲斐しく介抱している。
だが、やはり奇異な風体に兵達は戸惑いを隠せぬようであった。
当然だろう。
明らかに己らと異なる存在に対する恐怖や戸惑いは、小野瀬ですら感じられるのだから。
「何人かを看護の為に残して、残りは引き続き周辺を捜索してくれ。
……俺は少しあの子と話してくる」
暫くの思案の後、小野瀬は藤田に兵の指揮を任せると、少女の側に歩み寄り優しく声を掛ける。
「……君、私の言葉は分かるかね?」
小野瀬の問い掛けに、毛布に横たわる少女は虚な瞳をゆっくりと向ける。
髪の色と同じ灼眼の双眸。
どこか焦点の合っていないそれに、小野瀬は思わず息を呑む。
その眼は何物も写してはいない。
村を襲った災厄への恐怖も、死に対する絶望も、そして自らが生き残った安堵も。
ただ何もかもを諦めてしまったかのような無感情な瞳。
その様は余りにも痛ましく、小野瀬の胸の奥深くに刺さるような痛みを与えるものであった。
「…………」
少女は答えない。
ただその紅い双眼でぼんやりと小野瀬を見つめているだけ。
「君の名前は? 何があった?」
小野瀬は根気強く質問を続ける。
英語やフランス語、あるいは片言のロシア語などでも問いかけてみるが、やはり少女は何も答えない。
「艦長……じきに陽も落ち始めます。この森の中で夜を迎えるのは余りにも危険です」
どれ程時が経ったろうか。
いつの間にか側に寄っていた藤田の言葉に、小野瀬も同意する。
既に日は傾き始めている。
このままではこの焼け跡で一夜を空かす事になるだろう。
「……仕方がない。彼女を保護して引き上げる。兵を集めろ」
「……連れ帰るので?」
小野瀬の言葉に、藤田は僅かに反駁の意を込めた表情で問い返す。
「ああ、そうだ。
こんな所に放り出す訳にはいかんだろ」
「しかし……」
藤田は言い淀みながら、チラリと少女を見る。
どうしても視線が向かうのは、彼女の額の角。
どう見ても人ではない。
ただでさえ訳の分からない現状で、更に得体の知れないものを連れて帰るのが得策とは藤田にはとても思えなかった。
その気持ちを察したのか、小野瀬は小さく嘆息し答える。
「心配はいらんよ。
もしもの時は私が何とかする。
……それにこの世界で始めての情報源だ。
無下には出来ん」
「……了解。
ただちに兵を集めます」
無理矢理に得心したような藤田が兵を集めるべくその場を離れようとしたその時、不意に少女が口を開いた。
それは鈴の音のように澄んだ、しかし酷く弱々しい声。
「……この、世界? ……あなた達、……
その言葉に、小野瀬はハッとして彼女の顔を覗き込む。
だがしかし、少女は既に限界だったのであろう。
そのまま静かに瞼を閉じて、眠りに落ちてしまう。
小野瀬は暫くの間、じっとその顔を覗き込んでいたが、やがて意を決したように立ち上がると、兵に指示を出し始めた。
――小野瀬達が村落の探索に当たった約2時間。その間、他に特にこれといった発見はなく、ただひたすら遺体を発見しただけであった。
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