第5話 我、陸影ヲ発見ス

「……そんな馬鹿な」


 小野瀬の話を聞いた陸軍軍医、山田中尉は信じられないと言った様子で呆然と呟いた。


 山田だけでは無い、砲雷長の小森少尉も、主計長の山崎中尉も驚きを隠せないでいる。


「にわかには信じ難いでしょう。自分も最初はそうでした」


副長である牧島中尉は静かに語る。


 その言葉を引き取る様に小野瀬が慎重に言葉を紡ぐ。


「……しかし、我々は実際に体験してしまったんだ。

 此処が何処で……アレが、あの生物が何なのか、それは解らない。

 だが、少なくとも我々の常識では理解出来ない存在なのは確かだろう。

 ……我々は決断しなければならない。生き抜く為に」


 小野瀬の言葉に一同は押し黙る。

 この場にいる誰もが、小野瀬の言わんとしている事が分かっていたからだ。

 それでも皆、この異常事態に思考が追い付かない。


「――まずは、艦の修復が最優先事項でしょう。身動きが取れなければ話にもならない。

 その為にも、安全な拠点の確保は必須。その上で、情報収集を行い、情報の共有化を行うべきです。

 それが、今後の方針を決める上で重要な事となるはずです」


 沈黙を破ったのは山崎中尉。

 彼は普段通り淡々と話す。しかしその声色は僅かに震えている。

 無理も無い。今自分達が居るのは未知の世界。

 不安にならない方がおかしい。


 それでも、冷静であろうとする山崎の姿を見て、他の者達の表情も引き締まる。


「そうだな、その通りだ。

 だが我々にはこの海域の海図どころか正確な位置を知る方策すらない。

 どちらに陸があり、何処に向かえばいいかもわからない状態だ」


 小野瀬は山崎の言葉に深く同意を示す。


「……そうですね。

 ですが幸いにも、重要な情報として先程の飛行生物の存在があります。

 奴が現れた方向に針路を取るというのはどうでしょうか?」


 小野瀬の言葉に牧島が応じる。

 それを聞いて僅かに小野瀬は顔をしかめた。

 彼の頭の中には、あの巨大な生物の姿が脳裏に浮かんでいた。


 ――あんな化け物がいるような場所だ。果たしてどの様な危険が待ち受けているか……。

 だが、大海で当てもなく漂流する事がどれ程恐ろしい事か、船乗りとして良く理解している小野瀬は即断する。


「……その方向でいこう。

 主計長の言うとおりだ。

 まずは、陸を目指す。

 その先に何があっても。……皆、覚悟は良いな?」


 小野瀬の言葉に、一同は首肯する。


 こうして、伊163潜の乗員達は、まだ見ぬ土地へと舵を取る。

 その先に、どんな困難が待ち構えていようとも、彼らは進み続けるしかないのだから。


****


 伊163潜が浮上してから4日。


 幸いにもその後は襲撃を受ける事もなく、応急修理を済ませた伊163潜は、その船体を海面に晒したまま時速16ノットで航行を続けていた。


 周囲には相変わらず望洋たる大海原が広がっていて、時折、鳥らしき生き物や魚らしい影が見える。

 それらの光景は、まるで映画か何かのワンシーンのように美しい。


 甲板上では配置に就いた甲板員以外にも、非番の乗組員達が思い思いに過ごしており、まるで休日のレジャー船といった雰囲気すらある。


「のどかなものですね……とても、これが我々の最後の航海になるかもしれないとは思えません」


 艦橋で煙草片手に周囲を見回していた小森少尉も紫煙を吐き出すとポツリと漏らした。


 乗組員達にも、ある程度の状況説明は為されたのだがやはり実感が湧かないのか、夢でも見ているかのようなぼんやりとした空気がそこには漂っている。


 もっともそれは小森も同じ事。

 彼も、何処かフワフワと浮わついた気持ちのまま、なんとなしに周囲を眺める。


「まぁ、そう言うなよ。

 こんな事態なんだ、少しくらいは羽目を外さないと参ってしまう」


 その言葉に苦笑しながら答えたのは牧島中尉。


 彼は眼に当てていた双眼鏡を外し、小森の横に並び立つと、手すりに肘を乗せながら、穏やかな口調で言う。


「確かに、のどかだ。

 ……まさか、此処が地球じゃ無いとは思えない」


「えぇ……。でも、本当にそうなんでしょうかね? 俺達はまだ艦の中に居て、本当はそのまま海に沈んで……。……そんな風に思えてきます」


 小森は自嘲気味に笑う。それは、牧島に向けてというよりは、自分自身に言い聞かせるような言い方だった。


 そんな小森の言葉に、牧島は一瞬、言葉に詰まる。


 牧島自身、この異常な状況に対して、同じ様な感慨を抱いていたからだ。

 戦争という極限状態から突如放り出された状況。

 しかも、そこは自分達の知る常識など通用しないであろう異世界の海域。


 自分達はこれからどうなるのだろうかと、考えれば考えるほど、不安に押し潰されそうになる。

 だが、そんな事は誰にも言えない。言える訳が無い。


「……そうだったらまだ楽だったんだがな」


 牧島はそう呟くと、再び双眼鏡を構える。

 彼が見ているのは水平線の向こう側。


 ――その時だ。


 牧島の視線の先、そこに、うっすらとではあるが陸地らしきものが見え始た。


 ――陸地だ。


 そう思った瞬間、誰かが叫んだ。

 その叫びを皮切りに、次々と歓喜の声が上がる。

 それは次第に大きくなっていき、やがてそれは歓声となって辺りに響き渡った。


 その様子に、牧島は思わず頬が緩む。


 ……不安を感じていないと言えば嘘になる。この現実を歓迎する気にもなれないが、少なくとも今だけは素直に喜ぼうと思った。


「……砲雷長、俺達は死んではいないさ。

 確かに此処は見知らぬ世界だ。

 だが、生きてる。……それだけは間違いない」


「……副長」


 牧島の言葉に、小森は小さく笑う。


 ――伊163潜が浮上してから4日目。



 遂に、彼らの前方に異界の陸地が姿を現そうとしていた。

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