第6話 我、上陸ス
ソレはもう伊163潜の眼前、肉眼でもハッキリと確認出来る距離に近づいていた。
背後に巨大な山脈を控え、切り立った崖と入り江が複雑に折り重なった、リアス式の海岸線だ。
「もう、
牧島から報告を受けて艦橋に上がった小野瀬は、前方に広がる光景を見て無意識のうちに言葉を漏らす。
その言葉に、隣に立つ牧島は自らの上官の横顔をそっと横目で眺めた。
小野瀬は普段通りの冷静沈着な表情。だが僅かに口許が歪んでいる。
そこに滲む感情、それが何なのか牧島も理解している、つもりだ。
それを惰弱と責める気には牧島はなれない。
未知への恐怖心と士官としての責任感。その狭間に立つ苦悩は己も今良く良く味わっている。だからこそ、牧島はその感情を副長としての職務のうちに封じ込める。
「……今のところ人工物らしき物は発見されていません。
艦影、機影も同様です」
牧島の言葉に小野瀬は静かに首肯した。
それから数秒後、小野瀬はゆっくりと息を吐き出し、前方に見える大地を見据え告げる。
「各科から人員を抽出し臨時陸戦隊を編成、……私も陸戦隊を率いて上陸する。
――その間の艦の指揮は副長に任せる」
「艦長自ら上陸なさるのですか!?
……危険過ぎます! 私が上陸部隊の指揮を取ります!!」
小野瀬の命令を受けた牧島は咄嗟に反論を口にする。
しかし、そんな牧島に、小野瀬は首を横に振ってみせた。
それは明確な拒否の意思表示。
だが、牧島としても、はいそうですかと引き下がるわけにはいかない。
この艦の艦長は小野瀬なのだ。彼の身に何かあればそれは伊163潜乗組員全員の危機を意味する。
常道から言っても次席指揮官の自分が上陸するべきだと牧島は考えた。
「……駄目だ。
この異常な状況下で、現状の確認を人任せにする事は出来ない。
……ここは任せてくれ」
「……了解しました。
ご武運をお祈りします」
小野瀬の断固たる意思を含んだ言葉を受け、牧島は絞り出すように答える。
その声音に、小野瀬は微かに笑みを浮かべた。
それは安堵とも取れる笑み。
だが何処か自虐的な色も含んでいる。
「――ありがとう。
貴様が居てくれるお陰で私は安心していける」
そう言うと、小野瀬は踵を返し、艦内へと降りて行く。
牧島はその背を黙って見送る。
「……」
小野瀬の姿が消えるまで、牧島はじっと何かを堪える様にその場を動かない。
「……艦長、貴方は……」
誰に言うでもなく、牧島はそう呟く。
その呟きは、ただ虚空に溶け消えていった。
※※※※
小野瀬と完全武装の陸戦隊10名――ろくに陸戦訓練を受けてもいない水兵に小銃を持たせただけだが――は、2艘のゴムボートに分乗し伊163潜を離れる。
進む先は周辺では比較的大きめの入り江だ。
切り立った断崖に両脇を囲まれ、全面には幾つかの岩礁が頭を覗かせている。
「周囲の警戒を厳にして前進せよ。海面下の障害物への注意も怠るな!」
小野瀬の号令の元、彼らは慎重に、というよりは、慣れない小銃を持て余し気味に行動を開始する。
小さいといって良いボートは木の葉の様に揺れながら波間を進む。
降り掛かるその波飛沫は、夏服の第二種軍装では誤魔化しようもなく、酷く冷たい。
気温自体も南洋の茹だるような熱気をまるで感じず、まるで避暑にでも来たようだと小野瀬は場違いにもおかしくなってしまった。
そんな事を考えている間にも、ボートは入り江の入り口を抜け、海岸へと迫る。
間近から望む入り江の全体像は、まさに圧巻だった。
両側は殆ど垂直に近い絶壁となっており、岩壁の高さは約50メートル程だろうか。
奥行きは凡そ500メートル以上はあるだろう。その幅は狭いところで約100メートルといったところ。
それでいて水深は意外と深く、入り江の入り口を除き艦船の行動を妨げる障害物はほぼ見られない。
「……これは見事だな」
小野瀬は海軍軍人として、潜水艦乗りとしての知見から、この入り江をそう評価する。
周囲を囲う断崖絶壁により天然の要害となり、かつ船舶が航行可能な広さがある入り江。
少々手狭だが、潜水艦一隻の根拠地としては申し分ない。
「艦長、上陸はどうなさいます?」
同行していた航海科の二等兵曹が小声で尋ねてくる。
「そうだな……。まずは最奥の砂浜に上陸しよう。
それから崖の上に登れそうな地点を探すぞ」
小野瀬はそう指示すると、双眼鏡を手に取り、崖上の様子を確認する。
崖上の陸地は岩肌が剥き出しになっており、草木の類はあまり生えていないように見える。
だが、それはあくまでも目視での印象に過ぎない。
極端な話、この世界に自分達の常識が通用しないならば、植物など存在しない可能性だってあるのだ。
紺碧の海に灰褐色の岩壁、その狭間に張り付くようにある白い砂浜。とうとう、そこに2艘のボートは乗り上げる。
「よし、総員上陸を開始せよ! 周囲への警戒も忘れるな!!」
小野瀬は陸戦隊に対し、手早く命令を下すと、自らも腰に下げた海軍刀に手を掛けつつ、陸上に足を踏み入れた。
――そこは既に異世界の大地。
踏み締める砂の感触は、まるで雲の上を歩いているかのような錯覚を小野瀬に与えてくる。
「……」
小野瀬は思わず立ち止まり、足元を見つめた。
確かに己が足で立っている。その事実を確かめるかのように。
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