第3話 我、接敵ス
正体不明の航空機らしきものがこちらへ向かってきている。
本来であれば、敵航空機を発見したとあれば何をおいても急速潜航すべき場面である。
だが、伊163潜は舵を損傷し、潜航どころか身動きもままならない。
それが行えない以上、武力をもって敵を撃退しなければならない。
しかし、伊163潜にとって唯一といっても良い対空兵装が、甲部甲板にある7.7ミリ機銃座。
後は対空攻撃では虚仮威しくらいにしかならない12センチ砲のみ。
はっきり言って詰んでいる。
甲板上の水兵は不安を押し殺すように皆一様に、月明かりとオーロラのおけかげで夜間にも関わらず昼間のような空を睨み付つけている。
緊迫した空気が艦全体に流れていた。
どれくらい時が過ぎただろうか。
初めは豆粒よりも小さかったその姿が次第に大きくなっていく。
「……っ! 何だアレは!?」
その物体の正体に気付いた小野瀬は驚愕の声を上げる。
遠目でもはっきりと分かる。
――それは、鳥の様な形をしていた。いや、むしろ翼を広げた翼龍の様な形と言えば良いだろうか。
だが、その大きさは鷲や鷹どころの話ではない。
全長は10メートルを超えるだろう。
更には、胴体から伸びた太い首と長い尾羽。そして、背中には巨大な二枚の翅が生えている。
そんな、現実味の無い光景が小野瀬の目の前にあった。
「ば、化け物……」
誰かがそう呟いた。
そう、まさにその通りだ。
あれは、人智を超えた何かだと小野瀬も思う。
「か、艦長! 攻撃命令を!!」
「……馬鹿者。今撃っても当たるはずがない。……それに、どう見ても奴は敵機ではないぞ」
隣に立っていた砲術班長の言葉に、小野瀬は冷静にそう返す。
訳の分からない世界に迷い込んでしまった伊163潜と謎の飛行生物。
双方はお互いの存在を認識すると同時に行動を開始する。
だが、先に仕掛けたのは謎の飛行生物の方であった。
その巨体からは想像できない程の速度で、ぐんぐんと高度を下げ伊163潜へと迫って来る。
距離が2000メートル、1000メートルと詰まっていくに従って、飛行生物の全貌がくっきりとあらわになる。
その身体は全身青黒い鱗で覆われており、その背から生えた大きな両の翼で大気を掴んで滑空している。
爬虫類を思わせる縦に割れた瞳孔が此方をジッと見つめていた。
見た目こそ異質だが、その飛翔する姿は優雅ですらある。
それは、まるで神話に出てくる神の御使いの様。
「綺麗だ……」
誰かがポツリと呟く。
確かに、その光景は神秘的で美しくすらあった。
しかし、それも一瞬の事。
次の瞬間、伊163潜を目前にした飛行生物はけたたましい咆哮を響かせる。
『ギャアァァォオオオオ!!』
その鳴き声に、その場に居た全員が身をすくませる。
伊163潜の誰もが、飛行生物が直ぐに攻撃を仕掛けてくるものと身構える。
だが、予想に反して飛行生物からの攻撃は無く、挨拶代わりとでも言うように飛行生物は伊163潜の上を掠める様に飛び抜ける。
その風圧に、小野瀬思わず顔を腕で覆う。
「……行ったのか?」
そう安堵したのも束の間、飛行生物は伊163潜の後方で急旋回すると再び伊163潜へと向かってきた。
此処に至れば最早やむ無しと、小野瀬は飛行生物との交戦を決断する。
「対空射撃用意! 目標、後方の飛行生物!!」
「ヨ、ヨーソロー!」
小野瀬の命令と共に、呆気に取られていた乗組員達も慌てて動き出す。
「対空射撃用意良し!」
と、報告が届いたのは飛行生物との距離が再び500メートルを切る頃。
「……まだだ。もう少し引き付ける」
「了解!」
再び、距離が縮まっていき、その距離は200メートル程までになる。
「……今だ! 撃ち方始めぇ!」
ダダダッと機銃の発砲音が響き渡る。
7.7ミリの機銃弾が闇夜の中を切り裂いて飛行生物へと着弾する。
『グゥオォォォ!』
銃撃を受けて飛行生物は僅かによろめく。が、すぐに体勢を立て直し伊163潜へと迫る。
「効かないだと?!」
「怯むな! もう一度だ!」
再度、機銃による射撃が行われるが、飛行生物は先ほどと変わらずに猛然と突っ込んくる。
「クソッ! 化け物がぁあああ!!」
叫び声を上げながら、機銃員は必死に機銃を撃ち続ける。
その気迫が通じたのか、単にチクチクやられる事に嫌気が差したのかは不明だが、飛行生物は再び伊163潜から距離を取ると少し離れた水面近くを悠々と旋回し始めた。
「……諦めたか!?」
砲術班長がそう叫ぶが、小野瀬は冷静に事態を分析していた。
「いや、違う。奴は恐らく我々の事を観察しているんだろう。
だが、これは好機だ。
主砲、榴弾発射用意!! 目標はあの化け物針路上の海面だ! 」
「ヨーソロー! 主砲、榴弾装填! 目標、飛行生物前方の海面!!」
砲術班長の指示の元、伊163潜の前部甲板に鎮座する12センチ単装砲に砲弾が装填され、その砲身が飛行生物に向けられる。
そして、砲術班長が諸元を入力すると、即座に砲撃が開始された。
ドンッ!!!
空気を震わせ、火箭が闇夜を切り裂き飛んでいく。
刹那、まるで流れ星の様なそれは飛行生物の鼻先を掠め海面に突っ込むと盛大に水柱を吹き上げた。
たまらないのは飛行生物だ。
突然の障害物の出現に、飛行生物は驚き慌てて上空へと逃げようとする。が、間に合わない。
吹き上がった水柱に巻き込まれ、その巨体を水面に勢い良く叩き付ける。
『ギャァアア!!』
苦悶の声を上げる飛行生物。
だが、それで終わりではない。
続いて2発目、3発目の砲弾が降り注ぎ飛行生物へと命中する。
それでも飛行生物の頑丈さは尋常ではなかった。
多少の傷を負いながらも、飛行生物は何とか飛び立とうともがくが、そこへ止めの一撃。
主砲から放たれた徹甲弾が飛行生物の頭部を偶然にも捉えたのだ。
凄まじい衝撃。
さしもの飛行生物も頭部を失い、そのまま海の底へとゆっくり沈んでゆくのだった。
『ワァアアアアア!!』
戦闘終了の合図なのか、それとも勝利の雄叫びか。
どちらにせよ、伊163潜の乗組員達は歓声を上げる。
戦闘が終わった事を確認すると、小野瀬はふぅと息を吐く。
「何だったのだアレは……」
だが、その問いに答える者は誰もいない。
小野瀬の呟きはただ波の音にかき消され、虚空へと消えていった。
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