七   辻

 昨日も今日も、逃げるようにほこらから立ち去る仕儀となってしまった。


 人気の無い田んぼ道を急ぎながら、今来た方角をちょっと振返って見た。もはや太くはっきりした煙が祠のもりから立上がり、次第に勢いを増しつつある。


 これは大事おおごとになるかも知れぬ。


 いよいよ足を速めて、一目散にその場を離れた。



 十五分ほどで、自分が住む横丁の近くに到る。

 こせこせと安普請の軒が接するように、狭い路地が迷路のように入組んでいる。

 その先、二つめの角を曲がるとわが家であるが、最初の辻に男の子が三人、何かを囲んでしゃがみ込んでいる。

 三人とも、年恰好は同じ位。尋常科に上るか上がらないかといった具合。いずれも見知った顔である。それぞれの家がどこなのか詳しくは知らないが、ここいらの貧しい家の子供であるには相違ない。

 近付くと、子供の輪の真中まんなかで、大きな蚯蚓みみずがのたうっていて、そこに四五匹の黒い虫がたかっている。


 蚯蚓に取付いているのは、いずれも草鞋わらじ虫を二回りほども大きくしたような姿かたち。

 黒光りするほどに黒々と、背中の節々が段々きだきだ横に並んだ――

 祠で新聞紙しんぶんがみに取付いていた蟲どもである。


 ぎょっとして立ち止まり、思わず、

「坊たちは、その蟲が何かを知っているのかい?」と尋ねた。


「知ってるよ、カバネムシ」


 一人の子が、顔も上げずにそう答える。


「ああ、屍蟲かばねむし、そうだね。――死出蟲しでむしとも言うね。屍肉しにくを喰らう蟲だね。――ただ、こいつらはね、まだ大人ではない。子供の蟲なのさ」


 男の子たちは、自分の言葉にさして反応することもなく、死出蟲の幼虫が蚯蚓を貪るさまを、夢中で眺めている。目をらんらんと耀かせながら――

 こちらの存在など、そもそも眼中には無いのである。

 やがて、そのうちの一人が、どこから持ってきたのだろう、三、四寸ほどの釘のさきを、死出蟲の仔の、節々が段々きだきだ横に並んだ背中目掛けて、乱暴に突き立てた。


 蟲は、背中をぐいとのけぞらせ、ばたばたうごめいている。

 厭な臭いが放たれる。


 その子供は、満足そうに何度も頷くと、他の二人の顔を交互に見やりながら、歯を出してにやにや笑っている。

 すると、あとの二人も、どこに隠していたか、めいめいに取出した釘で、死出蟲どもを次々に突き刺し始めた。


 きゃっきゃと歓声が上がる。三人が三人とも、何とも愉しげな様子――


 まるで、あの祠の狛犬のように、実に無邪気な笑顔である。


 かれらの様子に、自分はむしろ己のはらうちをつくづく覗いたような気がした。

 胃がぐっと収斂し、何やら酸っぱい噯気おくびが上がってくる。

 これこそが吾人ごじん真面目しんめんもくなのだろうか――そう、思い知らされたように感じながら、足早にその場を去った。


 子供たちの哄笑こうしょうが、狭い路地裏に響きつつ、自分の背中を追いかけて来る。



 さて、どうしたものだろう?



 否、どうしたもこうしたもないのだ。


 わが家に向かいつつ、あの女の顔を思い浮かべていた。

 あのときの、あの、女の顔――



 そうだ、彼女かのおんな手酷てひどく罵られたのがきっかけとなり、たちまちに、これまでのあれやこれやが思い出されて、あのときは無性に腹が立った――いや、そればかりではあるまい。立腹にかこちつつ、これで全てをお終いにできるという、くらい打算もあったのだ。


 だからこそ、わざわざ記憶の奧からいろいろ不愉快な材料を引張り出しては反芻し、自分でも抑えきれぬほどに、己の癇癪を自ら煽ったのである。


 身重だというのは重々認識していながら、わざと殊更ことさら手荒く振舞って、愛想尽かしをした――

 それが三日前――



 ――ああ、あれは? 半鐘だ。遠くかすかに、半鐘が鳴っている。



 もう逢わぬつもりだったが、こうなっては、やはり会わねばならぬだろう。


 しかし、つくづく憐れなものだと思う。

 女のことも勿論だが、自分自身のことも。何より、新聞紙しんぶんがみくるまれ棄てられた赤子のこと。

 そして、屍肉しにくを食らう性根に生まれ付いた、厭らしい蟲ども――その蟲どもが背中を刺されて殺されるさま。

 あのように残酷な遊びに興じる貧しい子供たち。


 いずれも、あさましいごうを、生来の本性として生まれついているのだ。

 それは、どんなに好人物でも、聖人であっても変わらない。

 生来の真面目しんめんもくは、肚の奥底にしっかりと巣食っている。忌まわしい性根は、普段表に出ぬように、ひっそりと潜んでいるに過ぎない。

 その不都合な、ゆゆしき事実から、たれのがれることはできない。


 この世の中に、心ならずも生を受けてしまった生類しょうるいの全てが、何だか酷く憐れむべき存在に思われた。



 さあ、会いに行こう。

 仮令たとい、拒まれたところで――是非も無い。

 どうでも覚悟を決めねばなるまい。





                         <了>











 

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