黒姫、誕生す



 赤く巨大な門が、向こう側にほんのわずかだけ開いた。


 その隙間からふたつの人影が見えたかと思うと、あっという間に走り出て、空中でくるりと回転してから、池の淵にしゅたんと降り立つ。


 二人のうち、一人は長い黒髪で瑠璃色の瞳の女。

 もう一人は、長身の魅侶玖が見上げるほど背の高い、乱れたボサボサの藍色髪に灰色の目の男。


 近くへ歩み寄る二人を、ギーは舞っていた手をするりと下ろしてから出迎えた。

 

「……久しいな、涼月りょうげつ夕星ゆうづつ。げに恐ろしき人の子らよ。本当に生きたまま渡り、生きたまま帰るとは」

「は。妻共々無事戻りました」


 笑顔で挨拶をする涼月の一方で、真っ白な狩衣姿の夕星は無言で礼をし、手で素早く印を結び、口を開く。


「いみじくも、いのちのかがやきありて、うつしよにとじらむ」


 と――


「があおん!」

「がおおん!」


 門の向こう側で、黒い巨大な狼が吼えた。


「玖狼!? え? えっ」


 沙夜が動揺して首を巡らせるが、こちらにきちんと玖狼はいるし、門の向こうの狼はある。

 その二つの頭は、わずかに開いた門のふちをそれぞれの額で同時に押し――ぱたん、と閉まった門はガチンとかんぬきが下り、じんわりと消えていった。


「ふう。うまくいったようだな」


 緊張を最初に解いたのは、夕星だ。

 それを受けて、周辺のあやかしを殲滅せんめつした魅侶玖と玖狼も、戦闘態勢を解く。

 

「ゆーづつよぉ、俺、あの幅で出るのギリギリだったぞ」

「だから痩せろって言っただろ! バカ涼月」

「えー」


 はだけた濃い紫の直垂ひたたれの前合わせからは、ムキムキの胸筋や腹筋が見えている。

 その迫力に思わずのけぞる沙夜を

「さーよー! あいたかったああああ」

 強引に引き寄せてぎゅむりと抱きしめるのだから、焦った。


「えっ、ちょ、え!?」

「ちちだぞぉー! あだっ!」

 

 後頭部をド派手に叩いた夕星のお陰で、絞め殺される勢いからは解放される。


 それを呆気に取られて見ていた魅侶玖に、ギーが

「すべては、夕星ゆうづつの策であった」

 と眉尻を下げ

「うん。まだ大事なことが残ってるけどね」

 ハクが苦笑する。

 

「ハク様……! そのような儚いお姿におなりとは!」

 夕星が痛々しい表情でハクに向き合うと、

「ううん。君たちに感謝している。沙夜の守りのおかげで、帰って来られたね。良かった」

 沙夜の手首を指さす。

「え、これ?」

「そう。夕星と僕の髪で作った道しるべ。それがなかったら、そこの二人は帰って来られなかった」

「へ!?」

現世うつしよ幽世かくりよを結ぶ、ちぎりでね。沙夜を守るものでもあったんだけど」


 どういうことかと詰めよろうとする沙夜を、ギーが遮る。

 

「詳しいことは後に。涼月、青剣あおのつるぎは見つかったのか」

「こちらに、しかと」

 

 ニヤリと笑って背中を親指で差す。その涼月の言葉に驚いたのは、魅侶玖だ。


「!! ハク様がお隠しになられていたのか!」

「うん。もう力の限界でね……冥に渡すしかなかったんだ。沙夜の夢の中の冥門に、隠したんだよ。あ、覚えてないか。食べちゃったもんね」

「えっ!? 国宝……わたしが持っ……? えーっと、ええ……?」


 動揺して膝のガクガク震えてくる沙夜に、魅侶玖と玖狼が寄り添う。


「深く考えたら負けだぞ、たぶん」

「わしもそう思う」

「えぇ……」


 夕星が、事も無げに

「冥にある宝剣を取って来られるのは、我らぐらいだろう」

 と言う。

「母様はそれを見越して、あらかじめ渡った、ってこと?」

「そうだ。あちらの時の流れは、こちらと違うからな」

「それによぉ、向こうのあやかしは、すんげぇ強ぇの」


 涼月が言葉とは裏腹に洗練された恭しい態度で地面に片膝をつき、両手で捧げ持つように差し出したのは、凝った装飾の鞘に納まる剣だ。ぼんやりと青い光を発している。


「確かに、我があるじである。ギー」


 ハクがにこりと微笑んでギーを促すと、素早く手で印を切ってから右手で剣の下に手を添え、左手で上から掴んで受け取った。


萬物よろずものをご支配あらせたまう、青剣あおのつるぎなるを尊みうやまいて。一筋ひとすじ御仕みつかええ申す」

 

 途端にまばゆい光が生まれ視界を覆い、またすぐに収まり――


「うん。これでしばらくはあやかしも出ないだろう……戻るよ」

 

 青剣あおのつるぎとハクは、あっさりとその姿を消した。


「えっ」

「ハク様っ」


 茫然と立つ沙夜と魅侶玖とは対照的に、ギーと夕星、そして涼月は、いつの間にか地面に跪坐きざして深くこうべを垂れていた。


「さて殿下。目下の危機は去ったとて、これからが肝要」


 ギーは、宝剣が戻った余韻すら許さず、厳しい。


「分かっている。犠牲が多すぎた……国を立て直すために、一刻も早く継承の儀を執り行わなければならない」


 魅侶玖もまたその決意をにじませる一方、沙夜は

「あのー! 分かる、分かるんですけ……休ませ……」

 玖狼の背に突っ伏し、気絶した。

 

「ふは! 玖狼、離宮へ運んでやってくれるか」

「良いぞ。いつものように、添い寝してやろう」

「……そうだな。とりあえず俺も休む。ギーは宝物殿を確認後、情報収集。涼月と夕星は、明朝の朝議で説明を求めることとする。即刻九条と連携後紫電並びに白光へ復帰、後始末せよ」

「「「は!」」」


 離宮の一室で寝ていた沙夜が、魅侶玖に腕枕されているのに気づき動揺して叫ぶまで――ふたりはぐっすりと眠った。




 ◇ ◇ ◇



 

「悪かった、忙しくてな」


 その七日後の宵、魅侶玖は夜宮をようやく訪れていた。

 見慣れた黒い狩衣でなく、皇族のみ許される紅花べにばな色の束帯そくたい姿である。

 

 それを見た沙夜は、内心では少々怖気おじけづきつつも

「言い訳無用!」

 と、持ち前の負けん気を発揮していた。

 

「怒るな」

「怒ってません!」


 ふたりが言い争うのを聞くはめになっているのは、玖狼と愚闇だ。巻き込まれまいと、部屋の隅で縮こまっている。


「寂しがっていたと聞いたが」

「はあ!? 違いますし!」

逢瀬おうせがなくなったと言っていたそうだな」

「おう……はあ!? わたしを生きにしたのを、怒っていただけです!」

「あー、悪かった」

「軽い!」

「無事だったんだから、良いだろ」

「かっる! いや、かっるい!!」

 


 ――呪いの舞い、舞ったろうかな!?



「これって、犬も食わないってやつですよね」

「がうっ、言うな愚闇」

「だってー」

「何か言った!?」

「「言ってません」」


 話の矛先を変えようと

「ところで愚闇、龍樹に何をしたんだ。急に大人しくなったぞ」

 魅侶玖が愚闇に尋ねると

「あー。首根っこ掴んで空を飛びまして」

 けろりとのたまう烏天狗。

 

「「空を飛んだ!?」」


 ふたりから同時にキラキラとした目で見つめられた愚闇は、ぼそりと「似た者夫婦」と呟いてみたが聞こえなかったようだ。


「おっほん。とにかく! 詳細なご説明をいただきたいですね!」


 沙夜が居住まいを正して言うと、魅侶玖は後頭部をかいてから

夕星ゆうづつに聞けば良いではないか」

 と眉尻を下げる。

 

「ぜんっぜん捕まりませんし!」

「そうか……分かった」


 ならば報告を受けた内容をかいつまんで説明しよう、と口を開くに――



 青剣あおのつるぎは元々、持ち主の欲を具現化する宝なのだという。

 ところが、その力の源である皇帝の欲、すなわち護国への願いが年々薄れ――平和が続くとそれが当たり前になる――剣の力が弱まることを、夕星は自身の持つ特異な能力『先見せんけんめい』で予見していた。このままでは、再びあやかしが溢れる世になるのは避けられない。

 さらに、ハクが沙夜の夢を通して青剣を冥門の中へ隠すのが分かった。


 冥界へ渡ってしまった宝を取り戻す方法を模索した結果、禁術を用いて生きたまま渡ることを思いつく。

 渡るまでは良いが、普通なら『片道だけの死出の旅』だ。戻るには、少なくとも現世との繋がりを保ち続けなければならない。

 

 そこで瑠璃玉を沙夜に継がせ、自身とハクの髪で編んだ組紐を命綱として結んだのだった。


 とはいえ元の場所へ生きたまま戻るには、年ごとに方位違えをする陰陽師の式にのっとり、現世うつしよで十二年の時が必要になる。

 しかも皇帝が冥へから四十九日の間(その後は輪廻のため魂が消滅する)にそれらを済ませなければならない。

 さらには、冥界の門を出現させるにえとして大量の人命と、宝剣を継ぐ皇族の血が必要だった。



「綱渡りすぎですし、人を犠牲にしすぎです」

「俺もそう言おうとしたが……青剣が失われれば、いずれにせよ皇雅国こうがのくには全滅だ。夕星たちも命懸けの賭けに出たと」

 

 そう言われてしまうと、沙夜は何も責めることができない。

 

「おまけに、ギーの力を取り戻すためと言われてはな」

「ギー様?」

「ああ。あの鬼も剣とは契りがある。あれでかなり弱っていたのだそうだ。あやつがそれを逆手にとって、わざと命を削ることで剣自身の欲をあぶり出し、それを龍樹が利用することも、剣の欲を取り込んで復活することも――夕星の予想の範囲内だった。まこと恐ろしいよな」

「ええっともう、なにがなんだか」

「だろう? うまくいった。それでよしとしないか」


 釈然としないが、頷くしかなかった。


「沙夜」

「はい」


 今度は魅侶玖が姿勢を正して、真摯しんしに向き合う。

 

「そなたは、紫電一位と白光一位の娘。貴族と同等ゆえ、姫として迎え入れなければならない」

「げっ!」

「沙夜姫」

「いや、むずがゆいですってば!」

「なら、違う名にするか? 陰陽師として生きるつもりなら真名は隠した方が良いしな」

「えーと」


 そういえば、夕星は夕宮陛下から『夕』の字をもらっていたんだったなと思い出しながらも、悩む沙夜に


「ばうっ。深く考えるな。直感で良いんだぞ」


 はっは、と玖狼が笑うので――


「じゃ、黒姫で!」

「……良い名だ」



 ――救国の皇帝魅侶玖親王みろくしんのう寵姫ちょうき黒姫とともに皇雅国を再興す。


 

 これからの二人には当然、波乱の道が待ち受けていた。

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後宮の黒姫は、冥門に微睡む 卯崎瑛珠 @Ei_ju

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