開門の儀

※不快で残酷な表現があります。苦手な方は、退避をお願いいたします。




 

伯奇はくき!」

 

 魅侶玖みろくの張りのある声が、曇天どんてんとどろいた。


「うん」


 返事は、池の方から聞こえる。

 振り返ると、赤い太鼓橋の上に人影がある。


 白い髪で白く濁った目の、水干すいかん姿の少年だ。


「頑張ったね、魅侶玖」

「え……?」


 魅侶玖は、特別なことは何もしていないのに、とばかりに首を傾げる。

 少年はにこにこしながらふうわりと飛んで――物音ひとつさせず、ふたりの側に降り立った。その姿は、前に見た時よりも少し


「瑠璃玉の忠誠を得ること。それが僕を眷属とする条件だよ……まあ、代々皇帝の中にはそれが無理な人も当然いてさ。継承の儀で無理やりにってことも多かったけど。君は自分で得たから、すごいね」

「瑠璃玉の、忠誠?」

「沙夜は、君が国を良くすると信じている」

「っ!」


 魅侶玖はたちまち目を見開き、息を呑んだ。


「けれど、継承の儀の前にそれを裏切ったら、僕も失う。心して」

「っ、裏切らないと、誓う」

「はは。良いけど。やっぱり危ういなあ」

「危うい、とは」


 ハクの目が、細められた。


「きれいなままだと、けがされたら戻れないんだよ」

 

 魅侶玖には、やはり想像もつかないことだった。


「さて。表に出ているのも疲れちゃうからさっさと……あ、来た来た」

 

 回廊を走り抜け、こちらへ向かってくるのは、大きな黒い狼の背に乗った、青い小袿こうちぎ姿の女だ。黒髪をなびかせて、大きく手を振っている。

 

「みんな、無事っ!?」


 ギーが、するりと指印を解いた。

 あれほどと蠢いていたあやかしたちの姿は、気づけば全て消えている。


「ふくく……さぁいざいざ。迎えようか」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇



 

「ぎゃああ!」


 後宮にある豪奢ごうしゃな部屋で、清宮きよみや龍樹りゅうじゅ陽炎かげろう部隊の護衛を受けながら震えあがっていた。

 守りを固めたものの、ねちょりぐちゅりと音を立てながら、容赦なく次々と目の前で喰われていく者どもを見て、恐怖で気が狂わんばかりになっている。

 

「やだ、やだ、やだああああああ!」


 血と涙と糞尿まみれになった龍樹に、美麗な第二皇子の面影はどこにもない。


「あーあ。オイラもやだよーこんなの。はーあ。でもなー、沙夜のお願いだもんなあ」


 ――と。


 ぶつくさ言いつつ、ばさりと大きな黒い翼をはためかせて突然その場に現れたのは、烏天狗の愚闇ぐあんだ。


「きったねーから、お首元。失礼しまーす」


 ぐい、と龍樹の首後ろの布を持ち、引きずって回廊まで出るや、バサバサと雑に飛び立った。

 ぽかんとそれを見送る清宮が、黒い影に覆いかぶさられるのを見ずに済んだのは、龍樹にとってきっと幸いなことだったであろう。

 

「城まで運びます」

 

 どこかのほほんとした声を聞き、我に返った龍樹は、空中にも関わらずジタバタと暴れ始める。

 

「ひ!? ぎゃあ! ぶぶぶぶ無礼なっ」

「えー。んじゃ……手ぇ、離します?」

「ややややめろっ」

「へえへえ。うっかり離すと落ちて死にます。黙っててもらえます?」

「っひ、ぎゅ、ぐ」

「ハハ」


 

 ――あれでも魅侶玖は、弟のことを思っているんだよ。


 

「こんなのでも、ねぇ……」


 烏天狗の呟きは、皇城の空に消えた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇




 ギーが、呆れたように沙夜を見る。


「……なぜ助けた?」


 玖狼の背から降り、沙夜はまっすぐに美麗な鬼を見上げた。その目は瑠璃色に輝いている。

 

「龍樹殿下のことですか? だって、魅侶玖殿下ってなんだかんだ弟思いですし」

「!」


 魅侶玖が驚いて首を向けるのを悟って、沙夜はギーから目を逸らさず頷きのみを返す。

 

にえが足らなくなるぞえ」

「足ります」

「後継の血が要る」

「……そ、れは」


 言うのを躊躇ためらう沙夜の代わりに、ハクがそっとギーの手首を掴む。


「龍樹の子がね。流れている」

「っ!」

「な」


 ハクの言葉に絶句するふたりに、沙夜は静かに語った。

 

桜宮さくらのみや殿から聞いたのです。それを苦に、自らお命を絶った方が居て……それから殿下はおかしくなったのだと」

「っ……そうだった、のか……」


 よわい十九の皇子にとって、それはとても受け止めきれない悲劇であったであろうことは、容易に想像できる。

 魅侶玖が

「知らぬというのは、罪だな」

 苦しげに吐き出したのを、沙夜はかぶりを振って即座に否定する。

 

「いいえ、殿下の罪ではございません。清宮殿が、縁起が悪いとひた隠しにしたと」

「! あやつめ……!」

 

 沙夜はそんな魅侶玖に思わず微笑んだ。


「ほうら、弟思い。ね? ギー様」

「そうか……ならば贄は揃った。今こそ開門の儀をり行おうぞ。やり方は覚えているか」


 ばあば――星影に習ったもののうち、『かくれんぼ』に勝つため『隠れた門を開く』というまじないがある。きっとそれだ、と沙夜は確信していた。


「はい」


 頷き合ったふたりは横に並んで池へ向かい立つと、丁寧に頭を下げ、大きく一度柏手かしわでを鳴らした。

 それから、同時に口を開く――離宮の庭に、鬼と陰陽師の朗々とした声が、暗い空へ響き渡っていく。


「「かしこみ、かしこみ、もうす」」


 しゅさ、とそれぞれの衣擦れが響くだけで、澱んでいた空気が澄んでいく気がする。先んじて言葉を発するギーに合わせて、沙夜は舞い踊る。

 

「かけまくもかしこき、なりませる、めいのおおかみ」

「うつせみの、すがたをあらわせ、めいのもん」


 やがて赤い太鼓橋の上に、じんわりと姿を現してくるのは――赤く巨大な門だ。

 まだ、太く黒いかんぬきが下りていて、開く気配はない。


「かしこみささげしは、うつしよのにえ」

「あけたまえ、ひらきたまえ、みもろにおわす、めいのもん」

 

 そうして息の合った儀を行うふたりを、魅侶玖と並んで眺めるのは

「懐かしい匂いが漂ってきたな」

 玖狼だ。

 

「!? しゃべっ」

「はは。驚いたか。こう見えて、我は冥の門番よ。の贄として、幽世かくりよから現世うつしよに参った」

「……なぜ、そんな」

「あやつの母親は、まこと恐ろしくてなぁ」

夕星ゆうづつがか」

「おう。三つも頭があるんだから、一つぐらい切り落としても平気だろとぬかしよってな」

「言いそうだな」


 はっは! と黒い狼は高笑いをする。


「わしの首ひとつで、あのふたりが生きて渡れるなら、安いものよな」


 ぶるり、と魅侶玖が身震いすると、ガチンと閂が持ち上がり、ギギギギと門の音が鳴った。

 隙間から、紫色の煙がもわもわと漏れてきている。


「備えよ。冥のあやかしは強いぞ」

「! わかった」


 正眼に構える第一皇子を見て、黒狼は笑う。


「なかなかやりそうじゃないか。皇子のくせに」

「皇子なんか向いてないからな。紫電に入ろうと思っていた」

「ほーう? なら、助けはいらんな」


 ガルルルル、と唸るその眼前にゆうらりと現れたのは――今までとは全く性質の異なる、あやかしだった。

 まるでのようなそれらは、明確な意思を持って襲いに来る。

 

「心の臓を、貫くんだよ」


 ハクがふわりふわりと宙を飛びながら指さす場所は、左胸のあたり。確かに、黒く光るなにかがある。


「あいわかった!」


 魅侶玖は愛刀を一度振るや、かすみの構え(剣先を敵に向け、つかをこめかみに水平の高さにする)に持ち直した。

 袈裟切りを狙いつつ打突もするつもりか、と玖狼は少し距離を取ることを決めた――間合いに入ったら巻き添えを食う。それから、あおーんと怒鳴りながら、門番らしく宣言をした。


「さあさ、今こそ開くぞ、冥の門!」

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