宿縁と呪(しゅ)


 後宮に、あやかし現れり。


 その事実があっという間に駆け巡った皇都は、真昼だというのにまるで宵のような暗さだ。

 いつもなら華やかな賑わいを見せる大通りも、人どころか野良猫すら見当たらない。


 戸も窓もぴしゃりと閉じられ、ひっそりと静まり返っているその様は――


「まるで廃墟だな。これならば、多少暴れても問題なかろう」

「(こくり)」


 忍装束に身を包んだ大小の人影が、シュン、シュンと建物の上を跳びながら移動している。

 息一つ乱さず、上体は揺らさず、足だけが素早く動くふたりは黒雨一位と二位だ。

 やがてその影は、皇都の街中でも一際ひときわ高い、織物問屋の屋根の上で足を止めた。

 

魅侶玖みろく殿下の寵姫ちょうきには、愚闇がいるから良いとして。あと残っているのは清宮の者たちだけだったな」

「(こくり)」


 二位が頷くのを横目で見てから、一位は襟元から小さく黒い玉を取り出した。


「ぬん」


 それを空高く放り投げると、「ぱん」と弾け、黒い煙を放って散る。

 

 ――と。


 見渡す限りの屋根の上に次々と黒い人影が生まれた。その数、ざっと二十。


「全力で行け」


 黒雨一位のその簡素なめいに、それぞれがババッと礼を返し、散っていく。


「二位よ。……うまくまぎれろよ」

「(こくんっ)」


 大きく頷いた二位は、一位の方を見たまま大きく跳躍したかと思うと、すぐさま姿を消した。


 その代わり、悠然と皇都を見下ろす一位の目の前には


 ――ぴちょん。ろーろろろ。

 

 突如として黒くねろねろとした影――あやかしが現れる。

 

「これで良いのだな、夕星ゆうづつ

 

 シュンッと忍刀で瞬時にそれを両断した彼は恐らく、覆面の下で笑っていた。

 



 ◇ ◇ ◇


 

 

 鮮やかな青の小袿こうちぎに黒い袴姿の後宮の更衣がひとり、回廊から庭へ降り立った。強い意志でもって唇を引き結び、目を閉じてから深く息を吸って吐く。

 それからカッと見開いたその瞳は、瑠璃色に輝いていた。しゅさり、と衣擦きぬずれが鳴る。カアッと遠くで烏が鳴く。


「……まよいあやかし、はよかえり。めいのもんは、とじかけり。るりのまもりにゃかなわんて」

 

 低く穏やかな声で歌い、複雑な手の印を結びながら舞を舞う沙夜は、落ち着いていた。

 目の前には多数のあやかしがと浮かんでいる。普通なら泣き叫んでもおかしくはない状況であるのに、その心の様はまさになぎであった。

 


 後宮へはべり、正しきものを門へ導け――


 

 今沙夜の頭に浮かんでいるのは、星影ほしかげの笑顔だ。厳しい暮らし、温かい手。一度も「あれをせよ」「こうあれ」とは言われなかったが、彼女といるだけで背筋の伸びる思いがしていた。所作、立ち居振る舞い、物の見方考え方。思い出の中に、全ての教えがある。


「ねえばあば……正しきものって? 門って、どこ?」


 喉も、手も、記憶も。

 連綿と続く血を感じ、それをたぎらせ、沙夜はただひたすらに舞う。


「分からないけど。わたしは、わたしにできることを!」


 

 ――ねちょり

 

 ――ぺたり、ねちょん

 


「わおおんっ!」

 

 一体のあやかしが沙夜の肩に触れようとしていたのを、玖狼は威嚇する。


 動きの鈍ったあやかしをふわりと舞って避けたが、すぐにまた追ってくる。宙をさらりと飛んでいく小袿こうちぎの広袖が、かわす。絡めとらんと、懸命に伸びてくる。ひらり、ひらりと歌いながら、舞っている。

 

 うぞうぞとしたがこぞって追うは――たなびく黒髪に青いころもの、華麗に羽ばたくオオルリアゲハ蝶のような陰陽師の娘だ。

 

「なんて、美しい……」


 恐怖を忘れたかのように、桜宮さくらのみやがほうっと感嘆の息を漏らす横で、玖狼は

「あれこそが、瑠璃玉を受け継ぐ陰陽師だ。舞っているように見えるは、悪鬼あっき調伏ちょうぶくの印」

 ぐるると唸りながら言う。

「おん、みょうじ……」


 やがてうごめく黒いものたちが、みな一箇所に吸い寄せられたかと思うと、

「まよいあやかし、はよかえり」

 先ほどまでとは違い、甲高く強い言葉を発した沙夜が、パン! と大きく一度柏手かしわでを打つ。



 ――ろーろろろろろ



「っ! 消え……」


 桜宮が驚くのも無理はない。

 あれほど醜悪な存在感を放っていたあやかしたちが、満足げに鳴いたかと思うと、徐々に薄まってやがて消えたのだ。


「見事なり! あおおおおおん」


 玖狼の遠吠えが、後宮に響き渡った。


「ふあ~疲れた! 暑い!」


 汗みどろの沙夜が、縁側にへろへろと戻ってきて、どさりと腰を落とした。

 普段着とはいえ、小袿こうちぎで舞を舞うのは重労働だったに違いない。

 

 桜宮がささっと駆け寄り、額に手ぬぐいを当ててくれる。その顔が安堵しているのを見て、沙夜の疲れは吹き飛んだ。


「素晴らしき調伏ちょうぶくでございました」

「えへへ」


 そうして気を抜いたのも束の間、ばさりと大きく黒い翼をはためかせて降り立ったのは

「沙夜、無事か!」

 烏天狗の愚闇だ。

「無事。遅いよ愚闇ー」

「すみません……」

「! 怪我、してるの!?」

「あー、大丈夫です。すぐ治ります」


 愚闇の右腕が、痛んでいる。刀傷の上から焼かれたような――


「術の匂いがするな。陽炎かげろうか」


 玖狼がすんすん鼻を揺らすや、隠密は硬い声を発する。


「はい。ここも危険です。桜宮様、安全な場所へ」

 

 沙夜たちの背後に、黒雨と思われる忍装束がふたり、静かに立っていた。沙夜はそっと立ち上がり桜宮の移動を促しながら

  

「夜宮殿は、いずこへ?」

 

 不安そうな彼女に、真摯に向かい合う。

 

「うんとね……迎えに行かなくちゃ」

「迎え?」

「うん。心配いらないです! また、おしゃべりしましょうね!」

「……約束、よ?」

「はい!」


 沙夜が笑顔で頷くとようやく、桜宮は歩き出した。

 その背を見送ってから、

「離宮へ」

 短く発するその音には、覚悟が乗っていた。


 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 


「ギー。なぜここに連れてきた?」


 離宮にある池を背にして、魅侶玖みろくは眉間にしわを寄せる。

 宙に向かって刀を正眼に構える傍らには、紫の狩衣を優雅に着こなす最強の赤鬼が、不思議な指印を組んで立っていた。驚くことに、「ケン」と気を発するだけであやかしを滅している。魅侶玖は、その隣で剣を構えるだけだ。

 

「来臨の機が整ったと言っていたが……さっき聞いた言葉に関係するのか?」


 

 ――ねちょり、ねちょり。



 近づいてくるあやかしを滅しながら、ギーは

しかり」

 短くそれしか言わない。

 回廊や庭には、何人もの武装をした人々が倒れている。龍樹に呼応した陽炎部隊に襲撃を受けたふたりであったが、ことのごとくギーが蹴散らした。

 

「ぐはぁ」

「ぎゃ」

 

 悲鳴のする方へ顔を向ければ、あやかしがのしかかって

 

むごいな」

「同情は禁物ですよ、殿下」

「……冥へ引きずられるというのだろう。分かっている」


 ギーが口角を上げたのが、見ずとも気配で分かった。

 


 ――んで……



「? 何か言ったか?」

「ふくくく。やはりか」

「ギー?」

「聞こえたなら、応えるがよい」

「……わかった」



 ――呼んで……


 

 魅侶玖は体の力を抜いて、刀をだらりと下ろした。



 ――呼んで……真名まなを……



 青剣あおのつるぎの眷属、その真の名を先代皇帝よりたまわることが、継承の儀に盛り込まれている。

 ギーがそれを魅侶玖へ与えることを決めたのは、三百年前と同じように『青剣を持つ』があるかどうかをからに他ならない。

 

 魅侶玖にはその資格があり、その証拠に、が聞こえている。

 夕星ゆうづつの描いた儀が、今まさに成ろうとしている。

 ギーの胸の内に今溢れているのは、安らぎか寂寥せきりょうか。本人ですら、分からない。

 

 

伯奇はくき!」



 魅侶玖の張りのある声が、曇天どんてんとどろいた。

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